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Wikipedia:削除依頼/ログ/2017年3月28日

3月28日

キャッシュを破棄 - << 3月27日 - 3月28日 - 3月29日>>

このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。

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ケースZ(その他の問題がある場合)とすべきかケースD(ページ名に問題がある場合)とすべきか微妙なのですが、もともとある記事具志川城 (久米島町)に気付かずミスで立項されたと思しき重複記事で、内容はほとんどなく、記事名の付け方は曖昧さ回避の丸括弧の前に半角スペースが無いので間違っています。重複立項の場合はリダイレクト化という解決策がありますが、この場合具志川城 (久米島町)にリダイレクトしてもリダイレクト元の記事名そのものが付け方違反になってしまいますし、意味がありません。このため、削除が一番簡単な解決方法かと思います。--さえぼー(会話) 2017年3月27日 (月) 15:08 (UTC) [返信 ]


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ケースEの特筆性なし及び広告・スパムを理由とする依頼です。河北新報に二度とりあげられているようですが、複数の情報源で大きくとりあげられていることが証明できませんでした。文面は非常に宣伝的で、経歴の部分は公式サイトプロフィールからのコピーですが、あまり著作性がない部分であるため著作権の規定に違反しているかは微妙です。なお、記事名にも問題があり、「ジェームス・オペ」とすべきでしょう。--さえぼー(会話) 2017年3月27日 (月) 15:33 (UTC) [返信 ]

  • 削除 依頼者票です。宣伝的記述が除去され、特筆性がわかる形に書き換えられれば取り下げます。--さえぼー(会話) 2017年3月27日 (月) 15:33 (UTC) [返信 ]
  • 削除 依頼者に同意。ケースE。人物や作品に対する有意な第三者言及は見つかりませんでした。家庭画報国際版の日本語訳(2012年春夏号、家庭画報、p.13)に浦霞に関連する酒器作家の写真キャプションで紹介あり。さえぼーさんが指摘している河北新報の記事の一つにダムカレーの変り種として釜房ダムカレーの容器を制作しており、宮城県の公式ブログで2016年7月のやきものフェアでむすび丸がカレー容器に注目するも特にコメントはなし[1]。2016年1月の「多文化共生シンポジウムin柴田」でパネリストを務める[2]佐浦(浦霞)の店舗で個展やトークショーを行う[3] [4]、居住地で英会話を教える[5]などの社会活動などもありますが特筆性に欠ける。やきものの専門雑誌等で作品性について評価している記事などがあると存続票を入れることができるかもしれません。--Benpedia(会話) 2017年3月29日 (水) 07:15 (UTC) [返信 ]

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TRIPLANEのメンバーの個別記事

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TRIPLANEのメンバーですが、それ以上のものではなくバンド以外の目立つ実績はないようです。過去にWikipedia:削除依頼/TRIPLANEのメンバーの個別記事で全員削除されましたが、履歴不継承を理由にしたものだったのでケースEであらためて依頼します。


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アートディレクター、グラフィックデザイナーだそうですが、具体的な実績や出典が記載されていないので調べてみました。公式サイトによるとm-floのジャケット写真を手がけたらしく、それが一番目立つ実績のようですが、それについて第三者から高く評価された様子がありません。そのほか目立つ実績はこの名義ではみられません。検索すると本名が出てきますがそちらについてもある著名人とのスキャンダルでその相手として出た程度でした。


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WP:Nを満たしていないと感じます。事故の一覧に記載すれば事足りるのではないでしょうか。--JR East E231(会話) 2017年3月28日 (火) 07:38 (UTC) [返信 ]


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ケースZ。円柱 (数学)との重複。初等教育レベルの解説を加えるのは有意義だとは思いますが、記事を分ける必要はありません。出典が提示されておらず統合は不適切。既存記事にきちんとした出典を付ける形で「初等教育では〜と教えられる」といった感じで加筆するのは問題ないと思います。


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ケースE、特筆性なしでの依頼です。出典としてあげられているニュースは全て市長選への立候補を扱ったもので、当選していないため政治家としての特筆性は満たさず、選挙報道以外の業績を扱った報道等はほぼ無いため、特筆性が認められないものと考えます。--さえぼー(会話) 2017年3月28日 (火) 11:44 (UTC) [返信 ]


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2016年04月22日T14:00:06‎ (UTC)の版にて英語版「en:Bima」2015年10月27日T09:04:44 (UTC)からの転記と翻訳が実施された。要約欄にて情報が記載された2017年03月28日T11:58:47‎ (UTC)の版の直前までの18版の削除を依頼します。--iwaim(会話) 2017年3月28日 (火) 12:04 (UTC) [返信 ]


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2011年10月14日 (金) 16:24時点における版から2016年7月20日 (水) 03:51時点における版において、Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してに該当する記載。記載された事柄が発生した際、当該人物は既にお笑い芸人ではなく、一般人。


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削除依頼の理由 - ケース B-1:著作権問題に関して(ウィキペディア外の著作物(書籍・ウェブサイトなど)からコピーしたもの、および、同一性が高いもの。引用が著作権法の要件を満たしていないもの。)として。 2017年3月11日 (土) 03:29‎ の版(差分)塩小路海麻呂 (会話)さんによる投稿部分が、外部サイトのhttp://panasonic.co.jp/avc/psn/ssj/casestudy/business/15.html からコピーによる転載です。参照:ノート:江の島。 2017年3月11日 (土) 10:06‎ の版で2017年3月10日 (金) 09:38‎の版まで(差分)戻してあります。--J.K(会話) 2017年3月28日 (火) 11:40 (UTC) [返信 ]


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宮城県議会議員を経て石巻市議会議員になった人物。2008年6月30日から記事がありますが、9年近くにわたり、全く出典のない内容が書かれています。2017年3月27日にさらに出典なしで大幅に加筆されたので{{存命人物の出典明記}}などを貼ったところ、「出展無しの情報の削除。出展ありの情報に差し替えを行いました。」として書き換えられましたが、それも出典は本人プロフィールページと石巻市公式サイトの選挙の案内ページのみで、第三者による情報源がありません。また、第三者情報源も検索する限り市長選の出馬に関するものがある程度のようです。ウィキペディアが政治宣伝に使用されている面も否定できず、現状では百科事典に記載されるべき実績を有していない方(ケースE)と判断し、削除依頼を提出いたします。


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初版および2017年3月28日 04:39(UTC)から同日11:39(UTC)までの11版に、独立節中に掲載歌集名のみを記載する形で著作権保護期間中の短歌作品の列挙。Wikipedia:削除依頼/俳句の掲示での審議結果に照らし、適切な引用とは認められず、著作権侵害の疑い。--Unamu(会話) 2017年3月28日 (火) 13:12 (UTC) [返信 ]

  • 版指定削除 依頼者票。ケースB-1として該当の11版を版指定削除。--Unamu(会話) 2017年3月28日 (火) 13:12 (UTC) [返信 ]
  • コメント Wikipedia:削除依頼/寺山修司とはちがって、これはさすがに地の文に比べて掲載作品が多いですね。詩歌専門の媒体ですとこういう形でも掲載している場合はままありますが、そうではないWikipedia日本語版においては他ジャンルとの整合性もあって、ちょっと注意を要するかと思います。ですから、著作権的に問題があるというのには同意します。ただ、今回の場合は、この記事対象の特筆性に疑問を持ちます。書籍の点数は多いですがいずれも自費出版と目され、それ自体は特筆性の担保にはならないと思います。唯一の出典とされているのは川村杳平氏の論考ですが、これも自費刊行物で、これ一つをもって特筆性を証されたと判断するのは私には難しく思います。せめてもう一人二人、専門家からの言及が確認できれば、もしくは専門誌などでの掲載が確認できれば、まだ良いのですが。。。--アイザール(会話) 2017年3月30日 (木) 07:50 (UTC) [返信 ]
  • 削除 短歌作品の著作権の問題もそうですが、 川村杳平氏の評論からの転記量が多すぎ、これは著作権法上の「引用」とはみなせないと考えます。依頼提出後にもさらに転記が重ねられていますので、これはいったん全削除でいいのではないかと思います。--アイザール(会話) 2017年4月3日 (月) 03:33 (UTC) [返信 ]
  • Unam 様 (4月4日20時45分) Wikiの「田江岑子」に"変な保留マーク"がついてそろそろ10日ですがご検討は進んでいますか。いつ頃解決するのかご連絡を願います。また投稿以来の疑問点、要望、提言を下記に取り纏めましたのでご賢察の上ご回答頂けば幸甚です。 1当初の投稿時にまず所属が田江氏と同じ「未来」の「河野愛子」と2同じ岩手県出身の「板宮清治」を模造して経歴、代表歌などを書いたことは既にお伝えしましたが、今回の「田江岑子」がそれがなぜいけないのかの返答をまだ頂いておりません。アッチがいい理由はなんですか。 2私の初稿が「作者あとがき」と「代表歌」が著作権に抵触するというご指摘でいきなり抹殺され「客観的資料」による立証が必要とのことで『鬼古里の賦-俳人歌人論集-』川村杳平を引用し説明を尽くしました。ご納得が行かないようなのでさらに追加の引用、説明をいたしました。その上さらに昨日ノート欄に冨士田元彦の『冨士田元彦短歌論集』(国文社歌人文庫)によって冨士田と増谷龍三(田江岑子歌集第4,第5歌集の解説者)との接触についても説明をしておきました。またご教示の「歌風」における代表歌、作者のあとがきとそれらのバランスをとる"主従関係"という記述方法もそれなりに適用したつもりです。拙ければ多少は書き直してください。 3昨日も申し上げましたがWikiで「歌人」を開いたときに当人の代表歌が一首も見当たらないのは全く殺風景でなんともガッカリなものです。これは常識からいっても実に拙い。まして当の歌人は詠歌が生命なのです。あなた方、ただの管理者(創作者でない者)にはわからないかも知れない。これは日本の短詩形文学の表現としての特筆すべき検討事項でしょう。この点よくよく考えてほしいと思います。(以上)--以上の署名のないコメントは、石川民雄(会話投稿記録)さんが 2017年4月4日 (火) 22:25 (UTC) に投稿したものです(Challemoni(会話)による付記)。[返信 ]
返信 本業が多忙なためお返事が遅れましたことをお詫びいたします。まず始めに断っておきますが、私はあなたと同じ一般のWikipedia利用者(参加者)の一人に過ぎません。何らかの権限を持っているわけではなく、一利用者として私がWikipediaのガイドラインや規範に照らして問題があると判断した内容につき、利用者に与えられた権限として削除依頼の申請をおこなっただけです。この依頼に対してWikipediaの他の参加者が議論をおこない、それらを総合的に判断して削除権限を付与された利用者(管理者や削除者。これらは定められた手続きによって専任されます)が削除するかどうかを最終的に決定して削除すべきと判断されれば削除がおこなわれます。削除審議は一週間程度で結果を出すことがベストですが、人材不足などの理由でそれよりも時間を要することは珍しくありませんので、そのあたりはご容赦願います。また、この件に関して私にWikiメールを何度かいただいておりますが、参加者の議論によって方針を決めるというのがWikipediaの大きな前提ですので、記事の存否に関わったりするような内容については、個人宛のWikiメールではなく、こうした場や該当ページのノート、あるいは該当利用者の会話ページといった多くの参加者の目に触れる場所でお願いしたいと改めて申し上げておきます(Wikiメールは相手以外に秘匿すべき事項がある場合に利用するべきものだと私は考えています)。
さて、挙げられた点について私なりのご返事(あくまで私の判断)をいたします。まず、他の記事ではこうであるのにこの記事に対してのみ問題視される、という言い方は、Wikipediaでは推奨されません。詳しくはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないをご覧いただきたいのですが、あくまでその記事がガイドラインに沿っているかどうかがまず問われるべき点であり、ほかの記事が放置されているからといってそれが是認されているとは限らないのです(本来ならそうした記事にも削除審議がなされるべきでしょうが、膨大な記事に対して十分な手が回っていないのが実情です)。私は上にも記述した過去の別件の削除審議に照らし、この短歌の引用はWikipediaで認められる引用の条件を逸脱しているのではないかという理由でこの削除依頼を提出しました。短歌のような短詩形文学の引用をどこまで認めるかには過去に長い議論がなされています。私が別途提出したWikipedia:削除依頼/寺山修司に対して、引用の条件を満たしうる場合もあるというコメントがございました。こちらの審議もまだクローズとなってはおりませんが、ご参考までに申し上げておきます。ただ、「当人の代表歌が一首も見当たらないのは全く殺風景でなんともガッカリなものです。」というのはあくまであなたの個人的な要望や印象であって、それがWikipediaの定める著作権保護の方針に適合しなければ叶えられないということはご理解いただけますでしょうか。また、Wikipediaは百科事典であって、創作者の創意工夫を伝達表現するためのメディアではありません。百科事典には百科事典としての方針・論理があり、あなたにとってはご不満かもしれませんが、そうした意図と相反することもやむを得ないと申し上げておきます(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかもご覧下さい)。
次に出典を追加したという点について。上のアイザールさんのコメントにもありますが、Wikipediaではどんな出典でも認めているわけではありません。詳しくはWikipedia:信頼できる情報源をご覧下さい。大まかにいって、自費出版刊行物は著者がよほどその分野で十分な業績と専門性を持っていると広く認められていなければ、出典としての信頼性に欠けると判断されるのが実情です。アイザールさんも書かれているように、よりWikipediaの方針にかなった出典を追加していただくようにお願いいたします。--Unamu(会話) 2017年4月7日 (金) 14:20 (UTC) [返信 ]

Unamu様 「検証可能な出典」については私は3点の立証をしました。 1最初に『鬼古里の賦 川村杳平俳人歌人論集』の「北の歌人列伝 田江峰子論」を揚げ2更に同論によって歌集の経緯についての補足的な説明があることも指摘しておきました。ここまではUnamu様もご承知のようですがもう一点次の3が欠落していませんか。 (以下の3は4月3日に、利用者‐会話:石川民雄 「田江岑子に関する件」に記述しましたし、直通Wikiメールでも貴殿に送付しました)。 3 なお上記の『われやみちのく』についての川村杳平の論述はなお2頁にわたって続きますが 1まず田江自身の「後記」を6行にわたって引用し、その文意の真意について物足りなさを述べている。 2もう一点は巻末に付された長文の増谷龍三の「解説 田江岑子作品論」をなぜ併録したのかと疑点を呈している。(川村杳平はここまでで終わっている)。 以上の2点について私の説明の補足をしておきたい。 田江自身の別著『螢観る人 小田観螢』の掲載記事と現代歌人文庫の『冨士田元彦短歌論集』(国文社歌人文庫)によって 増谷氏はこの第4歌集のみならず続く第5歌集の『紫陽花や杏あやめの雨の日日』にも「解説〈水〉と〈死〉と〈愛〉と」のこれまた長文の「田江岑子論」を書いている。田江氏と増谷氏は田江氏の別の著書『螢観る人 小田観螢』によると北海道で1960年以前からの歌友であったようだ。(田江氏のこういう経歴が全く不明なのだ、説明もなくて写真が1枚あるだけだ)。同書に北海道歌壇で著名な『新墾』の「小田観螢との7人歌話会の写真」が載っていて若き田江氏と増谷氏が写っている。(経歴に1961年 新墾社に入社とある)。この増谷龍三について前記の『冨士田元彦短歌論集』のなかの終章の一節「七十年代の運動体ー再びシンポジウムの季節ー」(p.172)の「現代短歌・北の会」の発足のなかで再三にわたり言及されている。(増谷龍三の名前が3回、ほかに同氏の短歌が1首)。1975年8月23、24日冨士田氏はこの結成総会と記念シンポジウムに出席し主導的な役割を果たしている。この時おそらく北海道青年歌人会の幹部だった増谷氏とは親しく話しているはずだ。(簡単に書いたがこのあたりは冨士田氏特有の詳細な記事だ)。その縁がおそらく田江岑子に及び『われやみちのく』の雁書館の編集発行人 冨士田元彦に繋がって第4歌集『われやみちのく』に至ったことは確かだろう。

以上私が主張した「検証可能な出典」は3点だ。これ以上は私は知らない。出典不十分ということであれば『冨士田元彦短歌論集』を含め、ただ貶めるだけの言い回しではない十分な理由を論理的に明快に明示して欲しい。 なお歌風がだめなら早急に経歴、著書欄の"殺風景な田江岑子"に戻して欲しい。浅薄な連中をいつまでも相手にしても無駄だ。--Dirou(会話) 2017年4月8日 (土) 02:00 (UTC) [返信 ]


Unamu殿 田江短歌の歌風について、ただの管理者(利用者だっけ)であるあなた方にもう一度念を入れて言い添えておく。前述の立証の1と2において川村杳平が再三述べている田江短歌の精髄(例えば「濃厚な血液が一気に噴き出してくるような衝撃がある・・・など。」)や3で増谷龍三の二度(この第4歌集『われやみちのく』と次の第5歌集『紫陽花や杏あやめの雨の日日』)にわたる歌集巻末の「田江岑子作品論」などは君らチンピラには理解困難だろう・・・。馬鹿ドモメ・・。--Dirou(会話) 2017年4月8日 (土) 10:10 (UTC) [返信 ]

返信 Wikipedia:個人攻撃はしないをお読みください。暴言を繰り返されますと、Wikipedia:投稿ブロックの方針に照らしてWikipediaへの参加をご遠慮いただくことになりますのでご留意願います。--Unamu(会話) 2017年4月8日 (土) 15:10 (UTC) [返信 ]
  • 削除 引用のおつもりだろうと言うのはわかりますが、あまりに転載の部分が多すぎます。というより転載部分以外ほとんどありません。依頼者の指定版ももちろんですが、その後の版でも過剰な転載があります。(削除) 人物には特筆性があるものの、 (削除ここまで)(追記) 特筆性はふめいなものの (追記ここまで)今は一旦削除しておくべきかと。ちなみに参考文献を読み込んでその人物について理解し、参考文献の内容を自分の言葉で説明してください。理解を助けるために引用が必要となる場合もあり、またそのまま転載するべきものもありますが、ほとんどが転載によって成り立っている記事はあってはなりません。主題は歌人ですから1首の転載も許されないと言うことではありません。1首といわず程度問題の範囲内ならば転載も可です。なお、(削除) 人物には特筆性があるものの、 (削除ここまで)(追記) 特筆性はふめいなものの、いまの (追記ここまで)問題はほぼ転載で成り立っていると言うことですので、削除されても適切に書き改められましたら当然に再作成が拒まれるものでも制限されるものでもありません。--ぱたごん(会話) 2017年4月8日 (土) 12:30 (UTC)。出版されている本が自費出版かどうかわかりませんでしたが、ほのすべてが自費出版もしている出版社、自費出版を主にしている出版社からの出版ですので出版している本の量も持って特筆性がありそうとはいえず、それは川村杳平の評論についても同じですので訂正いたします。--ぱたごん(会話) 2017年4月9日 (日) 04:08 (UTC) [返信 ]
  • 削除 WP:引用要件を満たさないケースB-1。引用部分はあくまで本文の補足であるべきですから、現状では明らかに引用部分の割合が高すぎます。転載部分を除去するとほとんど略歴と著書しか残らず記事としての体裁をなしませんので、一旦削除でよいかと思います。また俳句(追記) や短歌 (追記ここまで)を引用するのであれば、代表作とされる理由や受けた評価など、地の文で(削除) その句に (削除ここまで)言及し引用の必要性を示すべきではないかと思います。出典が自費出版・企画出版をしている出版社の評論1個というのもWP:PERSON#創造的な専門家WIkipedia:信頼できる情報源の関係上問題があります。現状では一評論家が個人的に評価している歌人としか見えません。--SilverSpeech(会話) 2017年4月10日 (月) 00:27 (UTC) ミス修正。--SilverSpeech(会話) 2017年4月10日 (月) 05:35 (UTC) [返信 ]
  • 削除 引用要件を満たさず、転載部分を除去するとほぼ内容が残らないため、ケースB-1として削除に賛成します。一方で、この人物については『短歌研究』に一定の言及があるようです([6])。また『短歌現代』に書評があること([7])、『歌壇』([8])や『短歌現代』・『短歌研究』の別の号など雑誌での継続的な作品掲載が確認できますから、特筆性はあるかもしれません。--伊佐坂安物(会話) 2017年4月10日 (月) 02:06 (UTC) [返信 ]
    • コメント せっかくなので書いておきますと、1982年に「角川短歌賞」の候補に入ったということで、同年の「短歌」9月号の候補者特集に作品が掲載されています。ただ、35人のうちの1人という扱いですが。。。--アイザール(会話) 2017年4月10日 (月) 05:27 (UTC) [返信 ]

コメント 一旦、削除なのは紛れないので、管理者の方、早期の対処をお願いします。その方が投稿者にとっても良いと思われます。--アイザール(会話) 2017年4月10日 (月) 14:13 (UTC) [返信 ]

    • 対処 現状では著作権侵害の疑いありとして削除が妥当と判断すべき様です。適切な引用は認められるものですが、引用には著作権法(あえてどこの国のとは申し上げません)に定められた用件に加え、Wikipedia独自のルール、慣習がありますのでそれを守った編集をして頂くようお願いいたします。--Karasunoko(会話) 2017年4月14日 (金) 17:43 (UTC) [返信 ]

上の議論は保存されたものです。編集しないでください。新たな議論は当該ページのノートか、復帰依頼で行ってください。再度削除依頼する場合は削除依頼ページを別名で作成してください。

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議論の結果、削除 に決定しました。


Google検索しても特筆性を満たす情報は得られず、対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及も全く確認できません。特筆性は無いと思われます。--Solidrock0327(会話) 2017年3月28日 (火) 14:43 (UTC) [返信 ]


上の議論は保存されたものです。編集しないでください。新たな議論は当該ページのノートか、復帰依頼で行ってください。再度削除依頼する場合は削除依頼ページを別名で作成してください。

このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。

議論の結果、存続 に決定しました。


過去のWikipedia:削除依頼/俳句の掲示にて対処された著作権侵害の再発。具体的には2012年4月27日 11:43(UTC)の版で一首が「今昔秀歌百選」からの引用として単独節に掲載され、その後、2013年4月12日 13:10(UTC)の版で何らかの選歌集からの引用ではなく、単に収載歌集名を記載しただけで4首を記載する形に修正されて、この依頼を提出する直前までその状態が続いておりました。後者については弁護の余地なく著作権侵害の虞、前者は選者と出典元は明記されておりますが、その記載だけで単独節を構成しており、主従関係という点で適切な引用にはならない可能性があるため、両方をまとめて削除依頼の対象といたします。--Unamu(会話) 2017年3月28日 (火) 14:56 (UTC) [返信 ]

  • 版指定削除 依頼者票。大変膨大な版数となりますが、過去の議論を踏まえるとやむを得ないかと存じます。--Unamu(会話) 2017年3月28日 (火) 14:56 (UTC) [返信 ]
  • 存続 著作権侵害として問題が生じることはほどんどないと判断し、削除の要はないと考えます。著作権法関連において短詩系をどう扱うかというのは現実社会においても議論があるところですが、Wikipedia:削除依頼/俳句の掲示はWikipedia日本語版2006年段階の判断であって、2009年のWikipedia:削除依頼/宮崎信義Wikipedia:削除依頼/有馬朗人などにあるように、Wikipedia日本語版でもいろいろと考えに変遷があり、判断も変容するものと思います。歌集名があるということは出典は明記されているということです(短詩形の場合は、作者名のみでもそれが担保されるという慣習もあります)。主従関係でいうなれば、記事全体が主、短歌を引用した節が従、ということになるかと思います。いずれの歌も寺山の文句なしの代表作とされていますので、主題の理解のための引用されたという必然性は大いにあり、問題は発生しないかと。--アイザール(会話) 2017年3月30日 (木) 07:32 (UTC) [返信 ]
  • 版指定削除 2012年04月27日T11:43:01 (UTC)の版から問題が解決された版までの版指定削除。2012年04月27日T11:43:01 (UTC)の版も形式的に引用とは判断されない(=引用だとわかるような表記ではない)ので、ウィキペディア日本語版のライセンスだとこれらの作品のみを利用することが可能となってしまう。--iwaim(会話) 2017年3月30日 (木) 14:05 (UTC) [返信 ]
    • コメント 2012年04月27日T11:43:01 (UTC)の版ですが、短歌作品一首と収録歌集名が一時空けで区切られて併記してありますので、作品の引用であるということは明確ですから、すなわち「作品のみ」の利用が許可されるというわけではないかと思います。よしんばIwai.masaharuさんのご危惧を考慮したとしても、2013年4月12日 13:10(UTC)の版にて整理されているので、その直前の版までの対処ということになるのではないでしょうか。--アイザール(会話) 2017年3月31日 (金) 00:50 (UTC) [返信 ]
      • コメント 私は2012年04月27日T11:43:01 (UTC)の版も2013年04月12日T13:10:40 (UTC)の版もウィキペディア日本語版でよく使われる文書構造になっていると判断しており、故に明瞭区分性が確保されているとは判断していません。文書構造のみで「引用」であるのか「転記」であるのかの判断は困難です。--iwaim(会話) 2017年3月31日 (金) 02:26 (UTC) [返信 ]
        • コメント まず、「ウィキペディア日本語版でよく使われる文書構造」になっていると明瞭区分性が確保されているとは判断できない、という理由がよく解りません。。。この2013年04月12日T13:10:40 (UTC)の版の記事全体を通覧してみて、「代表歌」という節に出典まで明示されて掲載された短歌作品の「明瞭区分性」が感じられない、というのは、私の感覚ではちょっとあり得ないのですが。。。--アイザール(会話) 2017年3月31日 (金) 03:05 (UTC) [返信 ]
  • 存続 消極的ですがおおむねアイザールさんに賛成で、存続でいいのではないかと思います。記事の構造として前後に出典つきで解説をつけるなどしたほうがいいとは思いますが、記事解説、人物理解のために引用されており、出典も一応はわかるので、著作権侵害として削除までする必要はないのではと考えます。ただ、記事の書き方としては2012年4月27日 11:43(UTC)の版の出典の書き方は「空には本」が何のことだかわからないし(上の部分を読んでいないと出典とわからないでしょう)、『今昔秀歌百撰』の書誌情報が無いので、あまりよくないとは言えると思います。--さえぼー(会話) 2017年4月1日 (土) 06:12 (UTC) [返信 ]

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