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劉連仁

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(2016年8月)
劉連仁
プロフィール
出生: 1913年
死去: 2000年 9月2日
出身地: 山東省 高密市
職業: 強制連行体験者
各種表記
簡体字: 刘连仁
拼音: Liú Liánrén
ラテン字: Liu Lianren
和名表記: りゅう・れんじん
発音転記: リュウ・リェンレン
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劉 連仁〈聯仁〉(りゅう れんじん 、1913年 - 2000年 9月2日) は、現在の中華人民共和国 山東省 高密県 井溝鎮 (中国語版)草泊村生まれ[1] 華人労務者

人物・生涯

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山東省の故郷に家族と共に暮らしていたが、1944年9月、大東亜省によって華人労務者として雇用され、北海道 雨竜郡 沼田町明治鉱業 昭和鉱業所へ炭鉱労働者として送り込まれた。 1945年7月、仲間の労働者4人と共に脱走を図る。直後に仲間は次々と脱落していったが、以後13年間、ただ一人終戦を知らないまま山中を逃避行し続けた。

1958年 2月8日当別町の山中で穴ぐらの中に潜んでいる姿を農民が発見、保護された。その後、故郷へ帰国。

1996年東京地裁強制連行であったとして日本国を相手取り提訴したが、2000年、判決を聞かないまま本人が死去。裁判は劉の息子を原告として継続され、2001年に地裁では勝訴するが、日本国は控訴。

2005年東京高裁は訴えを棄却。

関連文献・資料

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脚注

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  1. ^ 20世紀日本人名事典劉 連仁』 - コトバンク

関連項目

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  • 中村輝夫(漢名李光輝、本名スニオン) - 第2次世界大戦時、日本兵としてインドネシアに派遣され、終戦を知らずにジャングルの中で31年生活し1974年発見された。台湾人日本兵#経過も参照。

外部リンク

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