DJ.taiki
基本情報 | |
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本名 | 畑 大樹 |
通称 |
撲殺執事 死神ストライカー 修斗ハンター 意外性の男 |
国籍 | 日本の旗 日本 |
生年月日 | (1982年08月24日) 1982年 8月24日(42歳) |
出身地 | 千葉県 |
所属 |
和術慧舟會RJW CENTRAL →和術慧舟會東京本部 →K.I.B.A. →フリーランス →マルワジム横浜 →フリーランス →パンクラスイズム横浜 |
身長 | 172cm |
体重 | 61kg |
階級 |
フェザー級 バンタム級 |
バックボーン |
レスリング キックボクシング |
テーマ曲 |
KISS ME (氷室京介) DISCOTHEQUE (水樹奈々) パーティーは終わらない (田村ゆかり) |
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DJ.taiki(ディー・ジェー・タイキ、1982年 8月24日 - )は、日本の男性 総合格闘家。千葉県出身。元DEEP バンタム級王者
リングネームは「なんとなくかっこいいから」という理由で付けられた。
OGUNI GYMで打撃を習い、ニュージャパンキックボクシング連盟や K-1での試合経験もある。長いリーチから放たれる打撃が武器。
来歴
[編集 ]高校時代にプロレスゲームでプロレスラーに憧れ、和術慧舟會RJW CENTRALに入門。2001年秋に和術慧舟會東京本部へ移籍した後、2002年1月にK.I.B.A.へ正式入門。
2002年12月8日、第13回全日本アマチュアシュートボクシング選手権大会の中量級トーナメントで優勝した。
その後、パンクラスのアマチュア総合格闘技大会で3連勝。
プロデビュー
[編集 ]2004年4月25日、リングネームζ(ゼータ)でニュージャパンキックボクシング連盟でプロキックボクシングデビュー。
2004年10月15日、本名の畑大樹としてDEMOLITIONでプロ総合格闘技デビュー。
パンクラス・DEEP
[編集 ]2005年2月27日、パンクラスデビュー戦となったネオブラッド・トーナメントのフェザー級(-64kg)1回戦で藤本直治と対戦し、判定負け。この試合よりリングネームをDJ.taikiに変更した。
2005年7月10日、パンクラスで元修斗世界フェザー級(-60kg)1位の今泉堅太郎と対戦し、判定勝ち。今泉と対戦予定であった宮川博孝が交通事故に遭ったために2日前にオファーが来るという緊急参戦であった[1] 。
2005年暮れから2006年2月ごろまでブラジルに渡り、3週間ほどシュートボクセ・アカデミーに入門し、ルイス・アゼレード、アンドレ・ジダなどとスパーリングを行った。
2006年3月19日、パンクラスで前田吉朗と対戦し、TKO勝利を収めた[2] 。同年6月6日のパンクラスフェザー級トーナメント1回戦では志田幹からTKO勝利を収めた。8月27日のパンクラスフェザー級トーナメント決勝戦では前田吉朗に判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
2007年1月14日、3年ぶりにNJKFに参戦し健太と対戦。長く遠ざかっていたキックルールでの試合だったが、ダウンを奪い判定勝ち。
2007年春にK.I.B.A.を脱退し、5月30日のパンクラスよりフリーランスとして参戦。
2008年10月23日、DEEP 38 IMPACTで植松直哉と対戦予定であったが、植松の右肩負傷により中止になりDEEP 38のリング上で「収入源が無くなって困っている。怪我や病気で休まない選手とやりたい。」と植松に対し、挑発・批判した[3] 。12月10日、DEEP 39 IMPACTで改めて植松と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。
2008年12月14日、NJKFで行われたOGUNIジムの盟友・国分省吾の引退記念エキシビションマッチで、タックルからの投げでテイクダウンを奪うとパウンドで国分をKOした[4] 。
DREAM・K-1・DEEP
[編集 ]2009年2月10日、新春!DEEP&CMAファン感謝祭2009でDREAMフェザー級(-63kg)グランプリへの出場権をかけ元同門の昇侍と対戦、判定勝ちでグランプリへの切符を手にした。
2009年4月5日、DREAM.8のフェザー級グランプリ1回戦の所英男に判定勝ちを収めた。しかし、この試合で右眼窩底および眼窩壁を骨折し、ドクターストップとなり、2回戦には所が出場することになった。
2009年10月6日、DREAM.11のフェザー級GPリザーブマッチにて宮田和幸と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2010年7月10日、DREAM.15で石田光洋と対戦し、0-3の判定負け。この試合から所属がマルワジム横浜となった
2010年3月27日、K-1初出場となったK-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜にて渡辺一久と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
2010年5月2日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜で久保優太と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2010年10月24日、DEEP 50 IMPACTで今成正和と対戦し、0-2の判定負けを喫した[5] 。
2010年11月23日、シュートボクシング初出場となったSHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2010にて及川知浩と対戦し、2Rにフック連打によるKO勝ちを収めた[6] 。
2011年6月19日、TENKAICHI Super Fightで全沖縄ミドル級王者廣虎と対戦し、2R後半にスタンディングダウンを奪われるなどして0-3の判定負けを喫した[7] 。
2011年8月26日、DEEP 55 IMPACTで和田竜光と対戦し、0-2の判定負けを喫した。
2012年4月7日、DEEP CAGE IMPACT 2012 in TOKYOでTAISHOと対戦。2Rに両者のカットにより、2R終了時に両選手試合続行不可能と判断されてドクターストップ。2Rまでの判定によりDJの勝利と裁定された。しかし試合後、TAISHO陣営から「両者ドクターストップが妥当」である旨の訴えが提起され、DEEP主催者において協議を重ねた結果、両者ドクターストップによる引き分けと試合結果が変更された。
2012年12月8日、DEEP CAGE IMPACT 2012 in TOKYO 2nd ROUNDでバンタム級次期挑戦者決定トーナメントの1回戦として原田ヨシキと対戦し、3RTKO勝ちを収めた。
2013年2月16日、DEEP 61 IMPACTで北田俊亮と対戦し、判定勝ちでバンタム級次期挑戦者の切符を手にした。
2013年4月26日、DEEP 62 IMPACTのバンタム級タイトルマッチで王者の前田吉朗と再戦し、1Rにダウンを奪われたが、2Rにダウンを奪い返し、そのままパウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。試合後には試合前に発言していた通り引退を表明した。
引退後、語学留学のためアメリカのサンディエゴへ渡る。
留学先のアメリカのスポーツバーでUFCの試合に熱狂する一般人を目の当たりにし、UFC出場を目指して現役復帰を決意。
当初はラスベガスでトレーニングを行っていたが、UFCとVTJの提携によるUFC出場をかけたトーナメントの開催を知り日本へ帰国。しかしトーナメントの開催日程が未定であったためDEEP代表佐伯繁やVTJと相談をした結果、長期ブランクが査定上不利になると判断してファイターとして10月26日開催の「DEEP 69 IMPACT」にて現役復帰することとなった[8] 。
2015年、リアリティ番組「Road to UFC: Japan」に参加。ジョシュ・バーネットが率いるチームバーネットに所属。フェザー級トーナメント1回戦で長倉立尚と対戦し、3-0の判定勝ち。準決勝で廣田瑞人と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
RIZIN
[編集 ]2015年12月29日、RIZIN初出場となったRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 SARABAの宴にて高谷裕之と対戦し、0-3の判定負けを喫した[9] 。
DEEP
[編集 ]2016年10月18日、DEEP CAGE IMPACT 2016 in KORAKUEN HALLで元谷友貴と対戦し、0-3の判定負け[10] 。
2019年5月12日、DEEP 89 IMPACTのDEEPフェザー級タイトルマッチにて王者の弥益ドミネーター聡志と対戦し、2Rに右フックからのパウンドによるTKO負けを喫し、王座獲得に失敗した[11] 。
2022年5月8日、|DEEP 107 IMPACTのDEEPバンタム級暫定王座決定戦にてCOROと対戦し、判定負けで王座獲得に失敗した。
人物・エピソード
[編集 ]- アニメオタクであり、一時期、入場時に水樹奈々の「DISCOTHEQUE」のポーズ、試合後の写真撮影時には涼宮ハルヒの憂鬱やかんなぎにちなんだポーズをとっていた。またアニメのコスプレで入場や記者会見に出席したことがある[12] 。
- 一時期、入場時に氷室京介の物真似をしていたが、特に氷室のファンというわけではなく、「周囲に顔が似ていると言われたからやってみた」と語っている。
- たい焼き屋でアルバイトをしていた事がある[13] 。
- 女性声優 田村ゆかりの熱狂的なファンである[14] 。「パーティーは終わらない」のMUSIC VIDEOにて観客の一人として撮影に参加している[15] 。また、DEEPバンタム級王座獲得時にはリング上でベルトと共にゆかり王国のはっぴを纏って「Go Happy!Go Happy!ゆかりん」の応援コールをした[16] 。
戦績
[編集 ]プロ総合格闘技
[編集 ]総合格闘技 戦績 | ||||||
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43 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
22 勝 | 10 | 1 | 11 | 0 | 6 | 0 |
15 敗 | 1 | 0 | 14 | 0 |
【バンタム級次期挑戦者決定トーナメント1回戦】 2012年12月8日
【ネオブラッド・トーナメント フェザー級 1回戦】 2005年2月27日
アマチュア総合格闘技
[編集 ]【パンクラスゲート】 2004年7月25日
【ライト級 1回戦】 2001年4月15日
キックボクシング
[編集 ]キックボクシング 戦績 | ||||||
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7 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
4 勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | |
3 敗 | 0 | 3 | 0 |
「X-DUEL III 〜終わりなき決戦〜 Young Fight」 2004年4月25日
獲得タイトル
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ [パンクラス] 7.10 横浜文体:桜木、高橋戦で「本当の戦いを見せる」 BoutReview 2005年7月9日
- ^ [パンクラス] 3.19 大阪:DJ旋風に吉朗まで... BoutReview 2006年3月20日
- ^ DEEP 38 IMPACT BoutReview 2008年10月24日
- ^ BRAVE HEART 〜START OF NEW LEGEND XV 新しい伝説の始まり〜 BoutReview 2008年12月16日
- ^ 【DEEP】死闘!菊野が帯谷を判定で退ける、青木&ミノワマン&長南は快勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月24日
- ^ 【シュートボクシング】立ち技最強はムエタイ!ブアカーオ優勝、サワーは準決勝で敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月23日
- ^ 【天下一Sファイト】DJ.taiki、K-1ルールで廣虎に敗れる!YUMAが新王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年6月19日
- ^ [1]
- ^ "【試合結果】RIZIN 20215 SARABAの宴 第8試合 髙谷裕之 VS DJ.taiki スペシャルワンマッチ 試合結果 - RIZIN オフィシャルサイト". jp.rizinff.com. 2024年3月7日閲覧。
- ^ "【DEEP】元谷友貴、DJ.taikiを圧倒勝利しRIZIN参戦アピール". eFight【イーファイト】. 2024年3月7日閲覧。
- ^ "【DEEP】弥益ドミネーター聡志がDJ.taikiをTKO、初防衛に成功。大塚がPXC王者に敗れる。水垣偉弥は昇侍との熱戦制す=5.12『DEEP 89 IMPACT』". ゴング格闘技 - GONKAKU. 2024年3月7日閲覧。
- ^ [D.O.G] 12.11 ディファ:井上克也逆転勝ち。弘中が一本 BoutReview 2005年12月21日
- ^ "【K-1MAX】DJ.taikiがたい焼き屋で公開練習!?「TBSの考えを全てパーにしてやる」". 格闘技ウェブマガジンGBR. (2010年4月23日). http://www.gbring.com/sokuho/news/2010_04/0423_k-1max.htm 2010年4月24日閲覧。
- ^ 「ゆかり王国」と書かれたはっぴを着たDJ.taiki
- ^ "「パーティーは終わらない」MV撮影に行ってきますた". DJ.taiki非公式ブログ. (2012年9月13日). https://ameblo.jp/djtaikinanamizuki/entry-11352161911.html
- ^ 北岡悟、DJ.taiki、ダン・ホーンバックルが王座獲得:4.26 TDC BoutReview 2013年4月26日
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- RIZIN 選手データ
- DREAM 選手データ
- パンクラス 選手データ
- DJ.taikiの戦績 - SHERDOG (英語)
- DJ.taiki非公式ブログ - DJ.taiki公式ブログ
- djtaiki非公式ブログ - ウェイバックマシン(2007年1月25日アーカイブ分) - 旧ブログ
- DJ.taiki (@DJ_taiki) - X(旧Twitter)