1982年の横浜大洋ホエールズ
1982年の横浜大洋ホエールズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
53勝65敗12分 勝率.449[1] | |
本拠地 | |
都市 | 神奈川県 横浜市 |
球場 | 横浜スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 中部新次郎 |
経営母体 | 大洋漁業 |
監督 | 関根潤三 |
« 1981 1983 » | |
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1982年の横浜大洋ホエールズ(1982ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1982年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1982年の横浜大洋ホエールズは、関根潤三監督の1年目のシーズンである。
概要
[編集 ]土井淳前監督の休養を受けてチームは1981年オフに長嶋茂雄の監督招聘に動いたが、長嶋が「古巣の巨人を敵に回せない」として拒否したため、球団と資本関係のあるフジテレビの野球解説者だった関根潤三を監督に就任させた。こうしてスタートした関根体制は4月こそ首位争いに加わるも7月以降失速しBクラスに低迷したが、投手陣では遠藤一彦と役割を交換した斉藤明夫が抑えながらも規定投球回に到達して最優秀防御率を獲得し、先発に回った遠藤もBクラスのチームでまずまずの成績を収め、ベテラン平松政次や野村収も衰えを隠せなくなったものの、それなりの成績を残してチーム防御率は最下位ながらも3.92と若干改善された。打撃陣では10年目の長崎啓二が開幕から打棒が絶好調で、優勝した中日の田尾安志と首位打者を争った。それ以外では2年目の高木豊が一軍に定着し、4番の田代富雄は三振こそ多かったものの27本塁打の活躍でチーム本塁打125本はリーグ4位を記録した。残り試合の少ない巨人は得意の大洋戦で勝ち越せず全日程を終了したが、中日の試合が残っており、10月18日の中日戦を迎える。しかし大洋の投手陣は長崎の首位打者を守るため田尾を敬遠し、それに奮起した中日打線が打ちまくり戦意を喪失。最終的に中日の胴上げを許し、関根監督の1年目は5位に終わった。それでもルーキーの金沢次男など若手が台頭したこともあり、翌年のAクラスにつながることになる。対戦成績では最下位のヤクルトに18勝6敗2分と勝ち越したが、逆に優勝の中日に弱く5勝17敗4分で大きく負け越した。
チーム成績
[編集 ]レギュラーシーズン
[編集 ]開幕:4/3 | 5/1 | 6/2 | 7/1 | 8/4 | 9/1 | |||||||
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1 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 遊 | 山下大輔 | 中 | 屋鋪要 |
2 | 二 | 基満男 | 中 | 長崎啓二 | 中 | 屋鋪要 | 左 | 長崎啓二 | 左 | 長崎啓二 | 左 | 長崎啓二 |
3 | 中 | 長崎啓二 | 一 | ラム | 左 | 長崎啓二 | 一 | ラム | 一 | ラム | 遊 | 山下大輔 |
4 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 三 | 田代富雄 | 一 | ラム |
5 | 一 | ラム | 左 | 高木嘉一 | 右 | 高木嘉一 | 右 | 高木嘉一 | 右 | 高木嘉一 | 二 | 基満男 |
6 | 左 | 高木嘉一 | 二 | 高木豊 | 二 | 高木豊 | 二 | 基満男 | 二 | 基満男 | 三 | 高木豊 |
7 | 右 | マーク | 右 | マーク | 一 | 中塚政幸 | 中 | 屋鋪要 | 捕 | 福島久晃 | 右 | マーク |
8 | 捕 | 辻恭彦 | 捕 | 辻恭彦 | 捕 | 辻恭彦 | 捕 | 高浦美佐緒 | 中 | マーク | 捕 | 高浦美佐緒 |
9 | 投 | 斉藤明夫 | 投 | 遠藤一彦 | 投 | 平松政次 | 投 | 平松政次 | 投 | 平松政次 | 投 | 金沢次男 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 広島 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- |
2位 | 大洋 | 2.5 | 中日 | 1.0 | 巨人 | 1.0 | 中日 | 1.0 | 中日 | 4.0 | 巨人 | 0.5 |
3位 | 中日 | 3.0 | 広島 | 1.0 | 中日 | 3.0 | 広島 | 2.0 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 4.5 |
4位 | 広島 | 大洋 | 3.0 | 大洋 | 4.0 | 大洋 | 6.5 | 広島 | 11.0 | 広島 | 8.0 | |
5位 | ヤクルト | 5.5 | ヤクルト | 7.0 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 7.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 14.5 |
6位 | 阪神 | 7.0 | 阪神 | 12.0 | ヤクルト | 17.5 | ヤクルト | 19.0 | ヤクルト | 23.5 | ヤクルト | 23.5 |
オールスターゲーム1982
[編集 ]- 監督推薦
できごと
[編集 ]選手・スタッフ
[編集 ]表彰選手
[編集 ]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
長崎啓二 | 首位打者 | .351 | 初受賞 |
斉藤明夫 | 最優秀防御率 | 2.07 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
長崎啓二 | 外野手 | 初受賞 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山下大輔 | 遊撃手 | 7年連続7度目 |
ドラフト
[編集 ]順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 大畑徹 | 投手 | 九州産業大学 | 入団 |
2位 | 関根浩史 | 投手 | 日産自動車 | 入団 |
3位 | 西村博巳 | 外野手 | 住友金属 | 入団 |
4位 | 高橋雅裕 | 内野手 | 名古屋電気高 | 入団 |
5位 | 武田康 | 捕手 | 今治西高 | 入団 |
6位 | 井口竜也 | 内野手 | 武相高 | 拒否・日本鋼管入社 |
出典
[編集 ]- ^ a b "年度別成績 1982年 セントラル・リーグ". 日本野球機構. 2017年4月7日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1983』ベースボール・マガジン社、1982年。ISBN 4-583-02163-1。
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セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
優勝 | 中日ドラゴンズ | 2位 | 読売ジャイアンツ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 日本ハムファイターズ |
3位 | 阪神タイガース | 4位 | 広島東洋カープ | 3位 | 近鉄バファローズ | 4位 | 阪急ブレーブス |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | ロッテオリオンズ | 6位 | 南海ホークス |
:前期優勝・日本一 :日本シリーズ出場 :後期優勝(パ・リーグ) | |||||||
1950年代 | |
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1960年代 | |
1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 | |
1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |
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