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申侯 (周幽王時代)

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曖昧さ回避 申侯」はこの項目へ転送されています。周の孝王の時代の西申国の君主については「申侯 (周孝王時代)」をご覧ください。
申侯
王朝
在位期間 不明
生年 不明
没年 不明
不明

申侯(しんこう、生没年不詳)は、西周(現在の陝西省 宝鶏市 眉県)の申侯の乱を起こして西周を滅ぼした。

娘は周の幽王の王后の申后で、その子の宜臼は周の太子となった。しかし、幽王は寵后の褒姒を后として、その子の伯服 (中国語版)を太子とした。宜臼は申に亡命し、申侯は (中国語版)や西方の犬戎とともに周を攻めた。幽王は犬戎により殺され、西周は滅亡した。幽王の死後、申侯や繒侯文公らは太子の宜臼を申で即位させた(平王)。都の鎬京は荒廃したため、洛邑に遷都した。

脚注

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申侯 (周幽王時代)

不明 - 不明

先代
申伯 申の侯
不明 次代
申公彭宇

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