コンテンツにスキップ
Wikipedia

桂木洋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 増田葉子の別名「桂木葉子」とは別人です。
かつらぎ ようこ
桂木 洋子
桂木 洋子
1952年頃
本名 黛 住恵
まゆずみ すみえ
生年月日 (1930年04月06日) 1930年 4月6日
没年月日 2007年3月
出生地 日本の旗 日本東京府 東京市 四谷区
(現:東京都 新宿区)
職業 女優
活動期間 1948年 - 1963年
配偶者 黛敏郎
著名な家族 長男:黛りんたろう
主な作品
映画
晩春』(1949年 小津安二郎)
『破れ太鼓』(1949年 木下惠介)
薔薇合戦』(1950年 成瀬巳喜男)
醜聞』(1950年 黒澤明)
台風騒動記』(1956年 山本薩夫)
テンプレートを表示

桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年 4月6日 - 2007年 3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優

来歴・人物

[編集 ]
SKD時代(1948年)

東京市 四谷区(現・新宿区)に、家具屋の娘として生れる。1946年に東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)を卒業し、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する。同期に千草かほるなどがいる。

1948年黒澤明脚本の『肖像』を準備中の木下惠介監督の目に留まり、この作品で映画デビューする。続いて、同監督の『破戒』に出演したのを期に歌劇団を退団し、松竹に入社する。

その後、木下監督の作品に次々と出演する傍ら、1950年に『三つの結婚』に初主演するなど、甘い美貌で人気を集めた。1953年に作曲家の黛敏郎と結婚し、以降は家庭を優先して徐々に出演本数を減らし、1963年日活『丘は花ざかり』を最後に引退した。

2007年3月に死去した。満76歳没。葬儀は近親者で済ませ、翌月に公表した。死亡日や死因などの詳細は遺族の意向で伏せられた。なお、夫の黛敏郎は1997年4月に亡くなっている。

長男黛りんたろうは、日本放送協会のドラマ演出家で、映画監督もしている。

エピソード

[編集 ]

主な出演作品

[編集 ]

映画

[編集 ]

テレビドラマ

[編集 ]
  • おめでたい連中(1956年、NTV)
  • 冠婚葬祭(1959年、NTV)
  • 石の庭(1959年、CX)
  • SOSパリ(1959年、NTV)
  • 愛こそわがすべて(1961年、NTV)
  • 蔦(1961年、TBS)
  • 美貌の歴史(1962年、CX)

外部リンク

[編集 ]
ウィキメディア・コモンズには、桂木洋子 に関連するカテゴリがあります。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /