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柳谷中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 愛媛県にある中学校については「久万高原町立柳谷中学校」をご覧ください。
柳谷 中
やなぎたに ただし
生年月日 1938年 2月18日
出生地 鳥取県 米子市
没年月日 (2000年09月06日) 2000年 9月6日(62歳没)
出身校 大阪商業大学(中退)
所属政党 自由民主党
親族 父・柳谷保一(鳥取県議会議員)

鳥取県議会議員
在任期間 1983年 -
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柳谷 中(やなぎたに ただし、昭和13年(1938年)2月18日 - 平成12年(2000年)9月6日 [1] )は日本実業家政治家鳥取県議会議員。

父は元鳥取県議会議員の柳谷保一

経歴

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鳥取県 米子市出身[2]

昭和33年(1958年)大阪商業大学中退[2] 。昭和41年(1966年)米子自動車学校 理事長に就任[2] 。同年かいけ幼稚園理事[2]

昭和55年(1980年)鳥取県指定自動車学校協会会長[2] 。昭和58年(1983年)鳥取県議会議員に当選[2]

2000年9月6日、呼吸不全のため死去[1]

人物像

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保一氏が私に向かって「先生も親に似ないで左側を歩いておられるが、うちのはもっとで困っています。ひとつ説教して下さい」と、はまり役の説教係だといわんばかりに頼まれたことがあった[3]
私は「若い時にヒューマニズム、社会正義の立場から革新に走るのは、美談でこそあれ説教すべきことではありません」と申し上げた[4] 。「あれこれ言わなくても収まるところへしょせん収まるものですよ」と言ったそのとおりに、ご令息も今は国民政党所属の地方政治家として立派なもの[4] 。たどるべき道をたどりながら、人間は成長していく[4] 。今昔の感に耐えない[4] 。」という。

家族・親族

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柳谷家

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(鳥取県 米子市 角盤町・米子市錦町・米子市皆生)
明治31年(1898年)2月生[5] 〜没
明治34年(1901年)1月生[5] 〜没

略系図

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柳谷丈四郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柳谷保一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
柳谷中
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
由里
 

参考文献

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  • 『鳥取県人名録』(企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年 629頁)

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典2000〜2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.631
  2. ^ a b c d e f g h i j 『鳥取県人名録』 629頁
  3. ^ 安田貞栄 著『ひとすじに』59-60頁
  4. ^ a b c d 安田貞栄 著『ひとすじに』60頁
  5. ^ a b c d e f 『第廿一版 人事興信録 下』昭和36年(1961年)、や四五

外部リンク

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