晋侯緡(しんこうびん、生年不詳 - 紀元前679年)は、中国の春秋時代の晋の君主。姓は姫、名は緡。
晋の鄂侯の子として生まれた。紀元前705年に甥の小子侯が殺害されると、翌年に緡が晋侯に擁立された[1] 。紀元前679年、曲沃の武公が翼の晋宗家を滅ぼし、晋侯緡も殺害された[2] 。翌年、武公が晋の国君と認められた[3] 。
- ^ 『史記』晋世家および『春秋左氏伝』桓公7、8年
- ^ 『史記』晋世家
- ^ 『春秋左氏伝』荘公16年
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成師(桓叔)の曲沃就封で、晋は翼の宗家と曲沃の分家に分裂
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翼宗家 |
- 昭侯 前745-前739
- 孝侯 前739-前724
- 鄂侯 前723-前718
- 哀侯 前717-前710
- 小子侯 前709-前706
- 晋侯緡 前706-前679断絶
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曲沃分家 |
- 桓叔 前745-前731
- 荘伯 前731-前716
- 武公 前716-前678
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- 武公前678-前677
- 献公 前676-前651
- 奚斉 前651
- 卓子 前651
- 恵公 前650-前637
- 懐公 前637-前636
- 文公 前636-前628
- 襄公 前627-前621
- 霊公 前620-前607
- 成公 前606-前600
- 景公 前599-前581
- 厲公 前580-前573
- 悼公 前572-前558
- 平公 前557-前532
- 昭公 前531-前526
- 頃公 前525-前512
- 定公 前511-前475
- 出公 前474-前457
- 哀公 前456-前438
- 幽公 前437-前420
- 烈公 前419-前393
- 孝公 前392-前378
- 静公 前377-前376
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