コンテンツにスキップ
Wikipedia

宗政潤一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は語句の内部リンク、見出しのマークアップなどスタイルマニュアルに沿った修正が必要です。 ウィキペディアの体裁への修正にご協力ください(ヘルプ)。(2018年11月)
宗政 潤一郎
名前
愛称 ムネ
カタカナ ムネマサ ジュンイチロウ
ラテン文字 MUNEMASA Junichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1957年07月30日) 1957年 7月30日(67歳)
出身地 広島県 広島市 中区
身長 180cm
体重 80kg
選手情報
ポジション FWMFDF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1999
2000-2015
マツダSC
MUNE広島FC
監督歴
1990-1999
2000-2015
マツダSC
MUNE広島FC代表
1. 国内リーグ戦に限る。
しかくテンプレート(しかくノート しかく解説)しかくサッカー選手pj

宗政 潤一郎(むねまさ じゅんいちろう、1957年 7月30日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA公認S級コーチ)。広島県 広島市 中区出身。現在、日本サッカー協会参与、評議員、中国サッカー協会 (日本) 会長、広島県サッカー協会会長。サッカー解説者。テレビ番組「MIKASA サッカーナビ ミカサッカーちゅピCOMひろしま〜」レギュラーコメンテーター

来歴

[編集 ]

1957年7月30日、弁護士宗政美三(むねまさ よしぞう)<日本弁護士連合会副会長、広島弁護士会会長、広島市法律顧問等を務める>の長男として広島県広島市中区に生まれる。大学卒業後、周りから政治家への道を勧められたが実現しなかった。

競技歴

[編集 ]

サッカーが盛んな広島に生まれ、広島大学附属東雲小学校の時にボールを蹴り始めた。広島大学附属東雲小学校・中学校では優秀選手にも選ばれる実力であったが、政治家になることを希望していた父親の反対により、一旦サッカーを断念する。その後約2年間のブランクを経て、名門・広島国泰寺高校2年生の6月に遅まきながら復帰した。 大学は、サッカー推薦入学の話が幾つもあったものの、敢えて一般入試を選択し、旧制高等学校を起源とする東京四大学(設立順に学習院大学武蔵大学成蹊大学成城大学)の一校で、ゼミによる少人数教育をモットーとする武蔵大学(学校法人根津育英会武蔵学園)に入学した。歴史があり校風に魅力を感じたことと、将来の進路等を考慮したものだった。大学でも部活動は継続したが、当時日本にはプロサッカーがなかった為、サッカー選手は諦めようとしていた。しかし、入社した東洋工業(現マツダ)で熱心な勧誘を受け、紆余曲折あったが結局本気でサッカーに打ち込むことになった。1989年迄選手として全国レベルの大会にも数多く出場して活躍した。

指導歴

[編集 ]

1990年マツダSC東洋クラブ[当時日本サッカーリーグマツダサッカー部(サンフレッチェ広島の前身)下部組織の若手育成チームで、Jリーグ発足に向けて優秀な選手が沢山在籍していた]の監督に抜擢される。その後、Jリーグ・サンフレッチェ広島の発足に伴い、新生マツダサッカー部の監督に任命され、1999年に退く迄社会人サッカーの全国トップレベルのチームの指導者として活動した。その間、広島県国体代表チームの監督にも数度任命され、広島県のサッカーの向上に努めた。

2001年マツダを退社し、2015年迄プロのコーチとして、MUNE広島FCの代表者の傍ら、広島県サッカー協会の各種委員、テレビ解説等、幅広く活動。毎年1〜2回イタリア等のヨーロッパに直接出向き、最先端のサッカーを研究した。

2005年 日本サッカー協会 公認S級コーチ(Jリーグ及び日本代表の監督資格)に認定された。広島県では、初のサンフレッチェ広島関連以外のS級コーチとなる。

〜主な戦績(中国大会以上)〜

  • マツダサッカー部:全国大会3位、西日本大会優勝、中国大会優勝、中国サッカーリーグ優勝(7回) 等
  • 広島県国体代表チーム:全国大会入賞、中国大会優勝
  • MUNE広島FC:中国大会(D2)優勝、フットサル中国大会優勝(全国大会出場)

サッカー関係の役職

[編集 ]

1997年より広島県サッカー協会の各種委員を歴任。2016年に事務局長、2018年に専務理事、2020年に副会長兼専務理事、2024年には会長に就任した。 その他にも、日本サッカー協会参与、中国サッカー協会会長等、多くの要職を務める。

  • 日本サッカー協会参与、評議員、マッチコミッショナー

〜天皇杯実施委員・競技会委員(シニア大会部会長)・理事・常務理事を歴任〜

  • 中国サッカー協会会長

〜理事・専務理事を歴任〜

  • 広島県サッカー協会会長

〜技術委員(第1種技術委員長)・広島県社会人サッカー連盟委員(技術委員長)・総務委員長・天皇杯/全広島実施委員長・事務局長・特任理事 ・専務理事・副会長兼専務理事を歴任 〜

資格

[編集 ]
  • 日本サッカー協会公認S級コーチ

出演

[編集 ]
  • テレビ/NHK「お好みワイドひろしま」Jリーグコーナー (2009年)、NHK・ちゅピCOM「天皇杯サッカー」(2019年〜 )、NHK・ちゅピCOM「天皇杯サッカー広島県大会決勝」(2006年〜 )、NHK「全国高校総体(インターハイ)サッカー広島県大会決勝」(2006年)、ちゅピCOM「MIKASAサッカーナビ ミカサッカー」(2021年〜 ) 等多数
  • ラジオ/FMちゅーピー「リュケイオン研究塾(リュケカフェ)」(2021年) 等

その他

[編集 ]
  • イタリア(セリエA)指導者研修修了者
  • S級コーチ海外研修修了者/イタリア・インテルミラノ(セリエA)
  • 広島県「ひろしままなびネット」登録指導者
  • マツダスペシャリストバンク登録指導者

所属クラブ

[編集 ]

人物

[編集 ]

高校1年生の時、学校近くの本通り(広島の繁華街)を通学中に、俳優にならないかとスカウトされた。

無類の車好きで、大学卒業後Uターンして地元の自動車メーカー・東洋工業(現マツダ)に入社したのもその影響が大きい。入社から退社迄の20年間一貫して購買本部に所属し、自動車部品及び資材の調達(バイヤー業務)等を担当した。

趣味はイタリア車2001年マツダ退社後、サッカーの仕事で度々イタリアを訪問する内、イタリア車の魅力に取り憑かれる。一方で、芸能界の大御所・堺正章の影響を受けて(昔から様々な影響を受けて来た)、クラシックカーにも興味を持ち始める。堺正章とは師弟関係にあり、常時アドバイスを受けたり、何かにつけて行動を共にする間柄であるが、それにより益々クラシックカーに没頭していった。 2011年から2015年に掛けて、春(関西)・秋(関東)2回行われるラ フェスタ ミッレミリア(本場イタリアのクラシックカーイベント・ミッレミリアの日本版で、堺正章、近藤真彦鈴木亜久里横山剣清水國明等が常連)への出場が認められ、毎回参戦した。 2012年12月、ヴェテランカークラブ東京(会長 堺正章)の会員に登録される。 2013年5月、堺正章の多大な尽力により、狭き門の本場イタリア・ミッレミリアへの出場を果たした。翌年の2014年にも連続出場している。 2024年3月、堺正章が代表を務める「Club Rotondo」主催によるクラシックカーイベント「SUPER MUSEUM」が開催され、世界に誇ることの出来る希少なクラシックカー20台だけが招待を受け、その内の1台として参加した。

食も趣味の一つ。世界の食文化に造詣が深く、2018年2月に、フランスパリに本部があるラ・シェーヌ・デ・ロティスール協会の日本本部副会長を務める堺正章の推薦を受けて、当協会の会員に名を連ねた。 当協会は、素晴らしい料理とワインの真価を認める、世界中の料理人や美食家達からなる、伝統と格式を持った国際美食団体(騎士団)。会員になるためには、2名の会員の推薦を必要とし、指名を受けた後、フランス評議会において正式に就任を認められなければならない。協会員には、ロティ調理人の誓いを立てた上で、フランス本部よりその階位を表す記章が与えられる。 2023年2月、理事会の承認を受け、シュヴァリエ ダム デ ラ シェーヌからオフィシエに昇格した。

関連項目

[編集 ]

参考資料

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /