上原立斎
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上原 立斎(うえはら りっさい、1794年〈寛政6年〉 - 1854年 2月15日〈嘉永7年1月18日〉)は、江戸時代後期の儒学者。近江国 高島郡(現・滋賀県 高島市)出身[1] 。
旧姓は多胡、名は正福、通称は甚太郎[要出典 ]。
来歴
[編集 ]大津で、若林強斎の流れをくむ川島栗斎に儒学を学ぶ[1] [2] 。山崎闇斎を祖とする「崎門」の一員として名をなし、梅田雲浜は京都で勉強していた折に立斎の門下生となる[1] [2] 。立斎は雲浜の才を認め、娘(上原しん)を嫁がせた[2] 。
嘉永7年1月18日没(享年61)[注釈 1] [要出典 ]。大津の大練寺に葬られた[1] 。
門人には雲浜の他、池上隼之助・笠夕山等がいる[要出典 ]。
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 佐伯仲蔵『梅田雲浜遺稿並伝』有朋堂書店、1929年
スタブアイコン
この項目は、人物 に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。