ホイラー・グレイシー
基本情報 | |
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本名 |
ホイラー・グレイシー (Royler Gracie) |
通称 |
最強一族の柔術マスター 一族最強の柔術家 |
国籍 |
ブラジルの旗 ブラジル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 |
生年月日 | (1965年12月06日) 1965年 12月6日(58歳) |
出身地 | リオデジャネイロ州 |
所属 |
アカデミア・グレイシー柔術 →グレイシー・ウマイタ |
身長 | 173cm |
体重 | 69kg |
階級 | ミドル級(HERO'S) |
バックボーン | ブラジリアン柔術 |
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獲得メダル | ||
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ブラジルの旗 ブラジル | ||
男子 グラップリング | ||
アブダビコンバット | ||
金 | 1999 アブダビ | 66kg級 |
金 | 2000 アブダビ | 66kg級 |
金 | 2001 アブダビ | 66kg級 |
銅 | 2003 サンパウロ | 66kg級 |
ホイラー・グレイシー(Royler Gracie、1965年 12月6日 - )は、ブラジルの男性 柔術家、元総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。グレイシー・ウマイタ所属。ブラジリアン柔術七段。
エリオ・グレイシーの五男。兄にヒクソン・グレイシー、弟にホイス・グレイシーがいる。アブダビコンバット三連覇、世界柔術選手権四連覇を達成するなど、グレイシー一族の中でも秀でた柔術テクニックを持つ。
来歴
[編集 ]1995年、柔術大会でマーカス・アウレリオに敗れた。
1998年3月15日、PRIDE初参戦となったPRIDE.2で佐野なおきと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
1999年11月21日、PRIDE.8で桜庭和志と対戦し、チキンウィングアームロックで見込み一本負け。ホイラー側のセコンドはタップしていないことを指摘して抗議を行ったが、裁定は覆らなかった。試合の翌日、ホイラーは「普段から特殊なトレーニングを積んでおり、私の腕関節はあの状態でも極まらない」と主張したが、主催者側からは「亜脱臼、あるいはそれに近い状態にあったことは明らかで試合続行は不可能」として訴えは退けられ、桜庭からは「仮にあそこまで腕が曲がるとしても、あの状態からどうやって脱出するんですか」と反論を受けた。
2001年1月8日、DEEP2001旗揚げ戦で村浜武洋と対戦し、時間切れドローとなった。
2004年5月22日、K-1 ROMANEXで須藤元気と対戦。タックルを潰されたところに膝蹴りを顔面に受けダウンし、パウンドで追撃されKO負け。
2005年7月6日、初参戦となったHERO'Sのミドル級(-70kg)世界最強王者決定トーナメント1回戦で吉田幸治に判定勝ちするも、9月7日の準々決勝で山本"KID"徳郁に右フックでKO負け。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で所英男と対戦し、判定負けを喫した。
2011年9月14日、引退試合となったAmazon Forest Combat 1で上田将勝と引退試合を行い、判定負け。
2015年9月23日、アメリカ合衆国の市民権を獲得した。
人物・エピソード
[編集 ]戦績
[編集 ]総合格闘技
[編集 ]総合格闘技 戦績 | ||||||
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11 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
5 勝 | 0 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 |
5 敗 | 2 | 1 | 2 | 0 |
グラップリング
[編集 ]獲得タイトル
[編集 ]- 世界柔術選手権(ムンジアル) 黒帯ペナ(-67kg)級 4連覇(1996年 - 1999年)
- 世界柔術選手権 黒帯アブソルート(無差別)級 3位(1997年)
- パンアメリカン柔術選手権 黒帯ペナ級 優勝(1997年、1999年)
- ADCC 1999 66kg未満級 優勝(1999年)
- ADCC 2000 66kg未満級 優勝(2連覇)(2000年)
- ADCC 2001 66kg未満級 優勝(3連覇)(2001年)
- ADCC 2003 66kg未満級 3位(2003年)
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- ホイラー・グレイシー 公式サイト
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- HERO'S 選手データ
- K-1 選手データ
- ホイラー・グレイシーの戦績 - SHERDOG (英語) ウィキデータを編集