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ニコライ・ギャウロフ

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(2023年2月)

ニコライ・ギャウロフ(ブルガリア語: Николай Гяуров, ラテン文字転写: Nicolai Ghiaurov, Nikolaj Gjaurov, 1929年 9月13日 - 2004年 6月2日)は、ブルガリア出身のオペラ 歌手(バス)。

戦後最高のバス歌手の一人とされ、広い音域で深みのある声を持ち、知的でよくコントロールした歌唱を聴かせた。バルカン系バス特有の癖が少なく、スラヴ・オペラ、イタリア・オペラ、フランス・オペラ、モーツァルト作品までまったく違和感のない歌唱を聴かせる。レコード録音でも『ボリス・ゴドゥノフ』『シモン・ボッカネグラ』『ドン・ジョヴァンニ』など数多くの作品を記録している。

生涯

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ブルガリア王国ヴェリングラードで生まれ、ソフィア音楽院クリスト・ブランバロフに、さらにレニングラード音楽院およびモスクワ音楽院でも学ぶ。

ワルシャワ1955年パリ国際音楽コンクールで優勝し、同年ソフィアの歌劇場でパイジェッロの『セビリアの理髪師』のドン・バジリーオを歌いデビューした。翌年ウィーンで『アイーダ』のランフィスを歌い成功、翌1958年にはボリショイ劇場メフィストフェレス(グノーの『ファウスト』)やピーメン(ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』)を歌い注目を集めるとともに、イタリアでもボローニャ歌劇場でバジーリオを歌いデビューした。翌年、『ボリス・ゴドゥノフ』でミラノ・スカラ座に出演、1962年にはコヴェント・ガーデン1965年にはメトロポリタン歌劇場にもデビューし、さらにウィーン、パリ・オペラ座ザルツブルク音楽祭などに次々と出演して、様々な歌手や指揮者との活躍の場を広げていった。

日本には1973年NHKイタリア・オペラ公演の『ファウスト』でメフィストフェレスを歌い、また1981年のミラノ・スカラ座の公演では『シモン・ボッカネグラ』のフィエスコを演じ、シモンを歌うピエロ・カップチッリとの熱い競演を見せた。

最初の妻でピアニストズラティーナ・ミシャコワと離婚後、イタリアの名ソプラノ歌手 ミレッラ・フレーニと再婚し、2人でしばしば揃って劇場やレコード録音に登場していた。

2004年1月には、デビュー役であるドン・バジーリオをヴェネツィアで歌っている。同年5月、心臓発作に襲われ、自宅のある(フレーニの生まれ故郷)モデナ近郊の病院に入院していたが、6月2日に死去した。

外部リンク

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