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運天ジョン・クレイトン

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(2014年1月)
運天 ジョン・クレイトン
北海道日本ハムファイターズ時代
(2013年9月28日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県 宜野湾市
生年月日 (1992年03月27日) 1992年 3月27日(32歳)
身長
体重
181 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト4位
初出場 2011年5月14日
最終出場 2011年5月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

運天 ジョン・クレイトン(うんてん ジョン・クレイトン、1992年 3月27日 - )は、沖縄県 宜野湾市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。

経歴

プロ入り前

父親がアメリカ人で母親が日本人。そのため、父親との会話は英語と日本語の半々で行っている。

父親の影響で小学2年から我如古ファイターズで投手として野球を始め、中学時代は硬式・宜野湾ポニーズに所属していた。その容姿や長い手足を持つ体形、投球フォームから「沖縄のダルビッシュ有」の異名をとる[1]

2007年浦添工業高校に入学。当時は下半身が弱く体が出来上がっていない状態でありながら145km/hの球を投じ、1年の夏には沖縄尚学高校を相手に140km/h台の直球で打者5人から4三振を奪うも敗退。エースとなった2年夏に、沖縄大会の1回戦・宮古高校戦で延長15回を無四球・無失点に抑える好投を見せたが、同大会史上初の引き分け再試合の末敗退してしまった。3年夏の同大会では1回戦の八重山農林高校戦で最速147km/hを記録、6回まで無安打、7イニングを2安打無失点。興南高校戦でもリリーフ登板して6イニングを2失点に抑える投球を見せたが、味方打線が相手投手陣に1安打完封され敗退した。甲子園出場はならなかったが4試合で21.2イニングを投げ、イニング数を上回る22個の三振を奪った。また、打たれた安打は8本。防御率は0.83だった。

2009年のプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズが4位で運天を指名し、交渉権を獲得した。

プロ入り後

プロ2年目の2011年、5月14日のオリックス・バファローズ戦で9回表にプロ初登板を果たす。先頭のマイク・ヘスマン本塁打を打たれるが、1イニングをその1失点のみに抑えた。

2014年10月3日付けで来季の契約を結ばないことが通達された[2] 。12月2日、自由契約公示された[3]

日本ハム退団後、社会人野球チームのエナジック硬式野球部に入団。

選手としての特徴

柔らかなフォームから繰り出す、最高速150km/h(2010年ファームで計測)の速球と縦横2種類のスライダーカーブが武器の速球派。また遠投118メートルの強肩、50メートル走は6秒1と身体能力も高い。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2011 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.0 2 1 0 0 0 0 0 0 1 1 9.00 2.00
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 5 1.0 2 1 0 0 0 0 0 0 1 1 9.00 2.00

記録

背番号

  • 55 (2010年 - 2014年)

脚注

関連項目

外部リンク

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