訥勒赫
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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訥勒赫(ネルヘ、満洲語: ᠨᡝᠯᡥᡝ[1] 転写:Nelhe、1881年6月4日 - 1917年2月14日)は、清朝の皇族。太祖ヌルハチの次男ダイシャン (中国語版)の末裔である。
人物・生涯
光緒7年(1881年)に生まれ、第15代順承郡王(dahashūn giyūn wang)を継ぐ。光緒32年(1906年)に陸軍貴冑学堂を卒業する。
宣統3年(1911年)に正白旗満州都統と禁煙大臣に任じられる。
民国6年1月23日(1917年2月13日)に死去した。子供がいなかったため、再従兄弟の長福(チャンフ)の第3子である文葵(ウェンクイ、1917年生、当時6歳)が第16代順承郡王を継承した。
訥勒赫と光緒帝の関連画像論争
右の写真において、左から4番目の男性が訥勒赫とされるが、比較的年齢が近い光緒帝とする説もある[2] 。ただし、その服装や帽子から郡王と判断できる可能性が高いとされる。左から3番目の男性は不明である。
脚注
- ^ https://curiosity.lib.harvard.edu/chinese-rare-books/catalog/49-990096063680203941 内務府檔冊
- ^ 光緒帝の現存する画像の大部分は肖像画や公式の写真である。