リアファン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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リアファン | |
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欧字表記 | Lear Fan |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1981年 |
死没 | 2008年 7月7日(27歳没) |
父 | Roberto |
母 | Wac |
母の父 | Lt. Stevens |
生国 | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 |
生産者 | C.P.Karpidas |
馬主 | Ahmed bin Salman |
調教師 | G.ハーウッド(イギリス) |
競走成績 | |
生涯成績 | 8戦5勝 |
獲得賞金 | 10万2228ポンド |
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リアファン (Lear Fan) はイギリスの競走馬、および種牡馬。いとこにアリシーバがいる。
競走馬時代
2歳時の1983年にニューマーケット競馬場で競走馬デビューし、デビュー戦で初勝利を挙げた。次走も勝利し、デビュー3戦目にはシャンペンステークス (G2) を制して重賞競走初勝利を挙げた。
3歳時の1984年は、休養明け初戦となった4月のクレイヴァンステークス (G3) を、レインボークエストを相手に勝利して重賞競走2勝目を挙げる。続くG1競走初挑戦となった2000ギニーはエルグランセニョールの3着に敗れ、デビュー戦以来の連勝は4でストップした。
次走ジャックルマロワ賞を制してG1競走初勝利を挙げ、続くムーランドロンシャン賞で2着となったあとにアメリカ合衆国への遠征を行い、この年から創設されたブリーダーズカップ・マイルに出走した。3番人気に支持されるものの7着に終わり、この競走を最後に競走馬を引退した。
種牡馬時代
1985年から生まれ故郷でもあるアメリカへ戻り、ゲインズウェイファームで種牡馬入りした。そして2004年10月に繁殖能力低下のため23歳で種牡馬を引退することが発表され、種牡馬引退後も功労馬としてゲインズウェイファームで繋養されていた。しかし2008年 7月7日に老衰により27歳で死亡した。
産駒はサイクストンやルーソリテールなどが後継種牡馬となっており父系を繋げることに成功している。
日本にも産駒が輸出されており、1998年のNHKマイルカップで2着となるなどしたシンコウエドワードが代表的である。ほかにも外国馬としてアメリカから参戦したサラファンが2002年のジャパンカップで2着となっている。
主な産駒
- Sikeston / サイクストン(1986年生、1988年グランクリテリウム (イタリア)、1989年パリオーリ賞・1990年ヴィットリオディカプア賞、1991年ヴィットリオディカプア賞・イタリア共和国大統領賞・ローマ賞、1992年イタリア共和国大統領賞、種牡馬)
- Loup Solitaire / ルーソリテール(1993年生、1995年フランスグランクリテリウム)
- Ryafan / ライアファン(1994年生、1996年マルセルブサック賞、1997年クイーンエリザベス2世チャレンジカップ・イエローリボンステークス・メートリアークステークス)
- シンコウエドワード(1995年生、1998年NHKマイルカップ2着、2001年東京新聞杯2着)
- Sarafan / サラファン(1997年生、2002年エディーリードハンデキャップ・ジャパンカップ2着)
- Good Ba Ba / グッドババ(2002年生、2007年香港マイル、2008年チャンピオンズマイル)
主な本馬が母父である競走馬
- Kitten's Joy / キトゥンズジョイ(2001年生、2004年トロピカルパークダービー・パームビーチステークス・アメリカンターフステークス・コモンウェルスダービー・セクレタリアトステークス・ジョーハーシュ・ターフクラシック招待、2005年ファイアークラッカーハンデキャップ(現ワイズダンステークス)、種牡馬)
血統表
リアファンの血統 ロベルト系 / Nasrullah ×ばつ4=12.50%、Nearco ×ばつ5=9.38%、Blue Larkspur ×ばつ5=6.25%、Sir Gallahad III・Bull Dog ×ばつ5=6.25%
(血統表の出典)
Source Sucree
Nothirdchance
Blue Swords
Galla Colors
Segula
Rarelea
Bull Lea
Bleebok
Shimmer
Rough Shod
Gold Bridge
Dalmary
Brushup
Blinking Owl
Pharamond