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欠端光則

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欠端 光則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岩手県 二戸郡 福岡町(現:二戸市)
生年月日 (1963年01月10日) 1963年 1月10日(61歳)
身長
体重
183 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1980年 ドラフト3位
初出場 1982年4月12日
最終出場 1993年8月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

欠端 光則(かけはた みつのり、1963年 1月10日 - )は、岩手県 二戸郡 福岡町(現:二戸市)出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴

岩手・福岡高では、1979年の2年生の時に夏の甲子園県予選決勝に進むが、久慈高に敗れ甲子園出場を逸する。翌1980年の春季東北大会でも決勝に進出し、東北高中条善伸と投げ合うが惜敗。しかし同年夏は県予選決勝で水沢高を降し、福岡高を19年ぶりの甲子園に導く。夏の甲子園では1回戦で大分商業高に敗退[1]

1980年のプロ野球ドラフト会議ロッテオリオンズから3位指名を受け入団。同期には愛甲猛がいた。

1982年に一軍初登板を果たし、4月中旬から10試合に先発するが1勝6敗に終わる。その後は主に中継ぎとして登板した。

1983年シーズンオフの11月、右田一彦竹之内徹との交換トレードで新谷吉孝と共に横浜大洋ホエールズに移籍。

移籍後は速球とフォークボールを武器に主に先発投手として活躍し、当時慢性的な投手不足だった大洋のローテーションを支えた。

1985年には初めて規定投球回(17位、防御率5.07)に到達。当時全盛の強さを誇っていた広島東洋カープに強く「カープキラー」の異名をとった。当時、横浜大洋のエースだった遠藤一彦が怪我をした際には、1988年から2年続けてチーム最多勝利を記録。1988年4月8日にはナゴヤ球場での中日ドラゴンズ戦で開幕投手を務め完投 勝利 [2] 。また、この年キャリア唯一の二桁勝利となる11勝、リーグ10位の防御率3.22を記録。

1989年も9勝、防御率3.31(リーグ10位)の好成績を挙げる[3] 。先発以外でも中継ぎとして連投やロングリリーフをこなす。

1992年にはセ・リーグ最多登板を記録するなどタフネスな働きぶりを見せた。晩年は肘の故障に悩む。

1994年限りで現役を引退。打者としても通算3本塁打を打っている。

1995年からの2年間、横浜の打撃投手を務めた。

1997年に球団広報に転身し、2023年時点で横浜DeNAベイスターズの北海道・東北を中心にスカウトを務めながら[4] [5] 、毎年秋には地元二戸に帰り、野球教室を開いている。

人物

実家は兼業農家で、野菜や米の食材には困らなかった。父親は陸上選手で運動神経も良く、両親ともに身長は高かったという。地元には神社の相撲大会があり、欠端本人も小さい頃ずっと出ており、中学3年生の時には、その相撲大会で団体と個人で優勝している[6]

三人兄弟の長男で、末弟も甲子園に出場している。次弟は伊勢ノ海部屋の元幕下力士の外ヶ濱(入門当初は本名の「欠端」をしこ名にしていた)。兄弟が共に現役だった当時のスポーツ新聞には、毎場所幕下以下の注目力士がピックアップされており、『大洋欠端投手の弟』として星取表が載っていた。その影響もあってか、欠端の選手名鑑の趣味の欄には「相撲の星取表を見ること」と記載されていた。

2008年 12月15日JR東日本 根岸線 関内駅にてプラットフォームから転落した女性を発見し、自ら線路下に降りてこの女性を救助した。この鉄道人身事故を未然に防いだ人命救助活動により、12月26日JR東日本横浜支社から感謝状が贈られた。

長女の欠端瑛子女子ゴールボール競技日本代表で、2012年 ロンドンパラリンピックにおいて金メダルを獲得した[7] [8]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1982 ロッテ 30 10 2 0 0 1 6 0 -- .143 387 85.2 97 11 40 1 4 46 4 0 57 52 5.46 1.60
1983 32 8 0 0 0 2 4 0 -- .333 406 89.1 107 18 41 2 2 49 3 0 55 52 5.24 1.66
1984 大洋
横浜
26 17 3 0 0 4 8 0 -- .333 437 97.0 114 13 40 2 1 62 2 0 58 50 4.64 1.59
1985 28 27 4 0 0 9 5 0 -- .643 663 152.2 178 23 44 6 1 77 3 0 88 86 5.07 1.45
1986 29 27 2 1 2 7 11 0 -- .389 607 146.2 148 17 27 1 1 80 2 0 64 61 3.74 1.19
1987 32 14 2 2 2 7 9 0 -- .438 486 112.0 128 14 25 3 2 56 2 0 69 57 4.58 1.37
1988 51 12 6 0 0 11 8 1 -- .579 614 151.0 146 11 34 5 2 94 2 0 58 54 3.22 1.19
1989 31 14 2 1 0 9 10 1 -- .474 556 130.1 147 10 32 4 1 88 2 0 62 48 3.31 1.37
1990 24 13 1 0 0 3 5 0 -- .375 345 77.0 92 16 31 0 5 34 0 0 55 52 6.08 1.60
1991 11 3 0 0 0 0 3 0 -- .000 120 27.1 32 4 8 0 1 18 1 0 20 17 5.60 1.46
1992 55 0 0 0 0 4 2 1 -- .667 388 93.0 81 3 30 7 4 64 1 0 39 32 3.10 1.19
1993 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 11 2.2 2 2 2 0 0 1 0 0 3 3 10.13 1.50
通算:12年 351 145 22 4 4 57 71 3 -- .445 5020 1164.2 1272 142 354 31 24 669 22 0 628 564 4.36 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 47 (1981年 - 1983年)
  • 16 (1984年 - 1994年)
  • 99 (1995年 - 1996年)

脚注

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ なお、この試合で新人であった立浪和義からプロ初安打を浴びている。
  3. ^ 年度別成績 1989年 セントラル・リーグ | NPB.jp 日本野球機構
  4. ^ 2023ベイスターズ スカウト体制
  5. ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P21
  6. ^ 「3兄弟」の2人が甲子園 両親譲りの恵まれた体格」 日刊スポーツ 2015年6 月12日付
  7. ^ 金メダルを目指して! テレビ神奈川アナウンス部:小林咲夏アナブログ 2012年8月29日付参照
  8. ^ パラ五輪「金」の晴れ姿 欠端さん祖父母ら歓喜 岩手日報 2012年9 月9日付ニュースリリース

関連項目

外部リンク

1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

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