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横山隆平

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横山 隆平 (よこやま たかひら、弘化2年3月17日(1845年 4月23日) - 明治36年(1903年)7月31日)は、江戸時代末期の加賀藩の年寄、明治時代日本実業家華族(男爵)。加賀八家 横山家第13代当主[1]


子に男爵横山隆俊前田直行室、前田孝室。幼名は三郎。通称は三左衛門。家紋は「丸ノ内万字」。

生涯

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弘化2年(1845年)、加賀八家横山家の嫡男横山隆貴の嫡男として金沢に生まれる。安政5年(1858年)、隆貴が死去する。万延2年(1861年)、祖父横山隆章の死去により家督と3万石の知行を相続する。文久2年(1862年)、加賀藩年寄となる。明治14年(1882年)、尾小屋銅山を買収し社主となる。明治19年(1886年)、優良な新鉱脈の発見で事業が軌道に乗り財を築いた。明治33年(1900年)、従五位下に叙され、男爵となる。明治36年(1903年)7月31日没。墓所は石川県 金沢市 野田山墓地。

栄典

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脚注

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  1. ^ 「加賀八家「殿様」たちの末裔 藩主支えた絆 旧男爵家の誇りは今も」『月刊北国アクタス』2014年8月号
  2. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。

参考文献

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  • 国会図書館所蔵「人事興信録」
  • 「加能郷土辞彙」
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
横山家初代
1900年 - 1903年
次代
横山隆俊
丸の内万字紋 加賀八家横山家第13代当主(1860年 - 1903年)

長隆 - 長知 - (康玄) - 忠次 - 玄位 - 任風 - 貴林 - 隆達 - 隆従 - 隆盛 - 隆章 - (隆貴) - 隆平 - 隆俊 - 隆良 - 隆昭

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