エピダウロス (ダルマチア)
エピダウロス(ギリシア語: Επίδαυρος)は、ダルマチア(現代のクロアチア、アドリア海沿岸)にあった古代ギリシアの植民地で、紀元前6世紀頃に建設されたとされる[1] [2] 。町はローマ帝国支配時の紀元前228年にエピダウリュウム(Epidaurum)に名称が変わった[3] 。ユリウス・カエサルとポンペイウスのローマ内戦時、小オクタウィア(M. Octavius)の軍によって包囲されたが、到着した執政官 プブリウス・ヴァティニウス(Publius Vatinius)により守られた。
7世紀、アヴァールやスラヴ人によって都市は破壊された[4] 。エピダウロスからの難民は現代のドゥブロヴニクに含まれるラウス(ラグーサ)に逃れている[5] 。中世、ツァヴタット(Cavtat)またはラグーサ・ヴェッキーア(Ragusa-Vecchia)と呼ばれる町が同じ地域に建設された。アウグストゥス治世時の執政官P・コーネリウス・ドラベッラ(P. Cornelius Dolabella)の墓とイリュリクム (Illyricum)の行政官のローマの碑文が遺跡の中から発見され、水路の跡なども残されている[6] 。イリュリア人たちはザプタル(Zaptal)と呼んでいた。エピダウロスはギリシャの世界遺産エピダウロスやラコニア県のエピダヴロス・リミラ州などにその名が見られる。
脚注
[編集 ]- ^ Aulus Hirtius, De Bello Alexandrino XIV
- ^ Austria: Her People & Their Homelands by James Baker,""... dates back to the sixth century B.c., when the Greeks founded here Epidaurus"
- ^ Wilkes, J. J. The Illyrians, 1992, ISBN 0631198075, page 216.
- ^ Researches on the Danube and the Adriatic by Andrew Archibald Paton (1861). Contributions to the Modern History of Hungary and Transylvania, Dalmatia and Croatia, Servia and Bulgaria- page 247
- ^ Dalmatia and Montenegro by Sir John Gardner Wilkinson
- ^ Notizie Istorico-Critiche Sulla Antichita, Storia, e Letteratura de' Ragusei (published in two vols) by Francesco Maria Appendini.
この項目は、ヨーロッパの歴史に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/P:ヨーロッパ/PJ歴史/PJ:ヨーロッパ)。
この項目は、クロアチアに関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ東ヨーロッパ / Portal:ヨーロッパ)。
この項目は、都市に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:地理/P:地理学/PJ:地理)。