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利用者‐会話:Ryo 625

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これはこのページの過去の版です。What here area team (会話 | 投稿記録) による 2021年2月15日 (月) 17:41 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎独立記念日について: 新しい節)であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。

What here area team (会話 | 投稿記録)による2021年2月15日 (月) 17:41時点の版 (→‎独立記念日について: 新しい節)
注意 IPユーザーによるRyo 625の会話ページへのコメントは、コメントした本人に対して回答・反論がこの会話ページ以外では直接できないため、内容によっては除去します。(Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり#利用者の会話ページ「コメントの除去も方針では禁止されていません。」に基づく。)

出典の明示の依頼

石泉学派#歴史的な背景の記述に関して、石泉学派のノートページに出典明示のお願いを記載しました。

詳細は石泉学派のノートページをご覧になり、ご回答いただけたらと存じます。よろしくお願い致します。--Resto1578 2009年7月15日 (水) 16:50 (UTC) [返信 ]

ご回答ありがとうございます。

ノート:石泉学派#蓮如の信心についてのコメントも拝読しました。出典の詳細な提示ありがとうございます。

支持 「彼より後の指導者達の、親鸞の思想とかけ離れた教説」の記述は、宗祖の教えをねじ曲げた時期が実際にあり、「歴史的な背景」に記述するべき記事と賛同いたします。

ご丁寧な回答をいただき重ねてお礼申し上げます。--Resto1578 2009年7月20日 (月) 14:01 (UTC) [返信 ]


2010年11月21日 (日) 08:54に投稿された「寺院・宗派間の権力闘争」という節で、あなたが典拠と称して挙げた文献の記述は、わたしがチェックしたかぎりでは、あなたの文章の典拠とはなっておりません。あなたが記事で列挙したような刑罰は、これらの文献では、チベット政府が犯罪者に対して課した刑罰の記述となっています。あなたのいう、「総本山にそむいたもの」や、「反抗者の輪廻を防ぐために」「チベット仏教」が課したという刑罰の記述ではありません。あらためて典拠をお尋ねしていますので、ノートほうでお答えいただきたく、よろしくお願いします。--Dalaibaatur 2011年1月25日 (火) 22:48 (UTC) [返信 ]

上記の記事の初出がIP氏であり、あなたもこれを訂正なさっておられたことを確認しました。おわびいたします。ノートの記述も訂正いたしました。--Dalaibaatur 2011年5月1日 (日) 17:15 (UTC) [返信 ]

上座部の女性指導者の件

お世話になります。上座部に正式な女性僧が居ないから必然的に上座部の女性指導者も少ない。と言う論法では説明不足とお考えなのでしょうか?--Nozawa onsen potta(会話) 2012年3月30日 (金) 13:23 (UTC) [返信 ]

はじめまして。上座部の女性指導者も少ないイコール上座部圏では珍しいという考え方に違和感を覚えます。上座部では珍しいが大乗圏ではそうではない、という様にもとれますから。チベットにも(根本説一切有部律による)比丘尼サンガは存在しませんが、事実上の尼僧で活躍されている方もいるようです。また、事実「珍しい」のかどうか分かりません。実際そうなのだというはっきりと明言したソースが必要だと思います。

あと細かいのですが、「(相対的に)少ない」ことと「珍しい」を混同すべきでないと考えます。--Ryo 625(会話) 2012年4月21日 (土) 21:23 (UTC) [返信 ]

移動合戦を行わないで下さい

移動合戦は不毛な編集の最たる物です。先日の改名提案はルール上明らかに成立していますので、異議のある場合はコメント依頼などを用いて合意を得てから移動を行って下さい。あなたの主張する記事名が正当なのであれば、議論の結果は落ち着くところに落ち着くはずです。--Hman(会話) 2012年7月20日 (金) 00:39 (UTC) [返信 ]

「マハーシ長老」について

まず、Hman氏は上のように仰っていますが、あまりお気になさらないで下さい。Madamada123氏のように手続き上は問題ないと強弁して他者の意見を聞かず、最終的に無期限ブロックされた方を何人も知っておりますので、むしろ手続きに固執することは危険だとも言えます。

本題ですが、「マハーシ長老」について、原語での発音は一旦無視して、日本語として何か一般的な表記があるのかご存じないでしょうか。宗教的に標準的な日本語呼称があれば、それを採択すべきです。

グーグル検索においては「"マハシ・サヤド" -Wikipedia」が9件、「"マハーシ・サヤドウ" -Wikipedia」が267件、「"マハーシ長老" -Wikipedia」が4,640件になっており、これを見る限りでは世俗的にも宗教的にもどう見ても「マハシ・サヤド」はあり得ないと言え、少なくとも世俗には「マハーシ長老」が最も一般的だと言えると思います。

特に無ければ上記を踏まえて、記事名は「マハーシ長老」として、冒頭で Mahasi Sayadaw の意味の説明を入れて対処しようと思うのですが、問題ないでしょうか(私は仏教に疎いため、もし致命的な誤りがあっても自分で発見できません)。--Starchild1884(会話) 2012年7月20日 (金) 21:57 (UTC) [返信 ]


ご忠告ありがとうございます。

長老の表記ですが、マハーシ長老の著作は日本語訳で2冊翻訳されていますが(古いもので95年。新しいもので2012年)、いずれも著者名は「マハーシ長老」です[1] [2]。ですので、一般的にはマハーシ長老でよいのではないでしょうか。まったく問題ないと思います。僧侶の敬称として「長老」というのもごく普通に用いられる呼称です。--Ryo 625(会話) 2012年7月21日 (土) 09:17 (UTC) [返信 ]

返答ありがとうございます。「マハーシ長老」で問題なさそうなので、その線で改名提案を継続することにします。
一応、もう少し他の意見を待ってから記事ノートにコメントするつもりです(1週間〜)。--Starchild1884(会話) 2012年7月21日 (土) 22:52 (UTC) [返信 ]

「十二因縁」のご編集について

こんにちは。さきほどの「十二因縁」の記事のご編集について気づいたことがありましたので書かせていただきます。ご編集の差分→差分 「独自研究では?」というご疑問については、そもそもあの記事は全体が無出典ですから、元の文ももともと独自研究でしかなかったのですが、Ryo 625さんの仰る「五蘊は上座部にも共通だから」というのは直接は関係ないのではないでしょうか。元の文は「十二因縁には想が存在しない」と言っているだけであり、上座部や五蘊に想が有るか無いかについては何も言及していないと読めるからです。十二因縁に想が含まれないこと自体は、たとえばコトバンクなどで辞典の記述を参照すると正しいらしいことが分かります。 ですから、「十二因縁には想がない」ということ自体はそれで出典が備わりますから、元の文のなかの「大乗仏教の般若心経にみられる」という部分だけが余計なのではないでしょうか。--Leonidjp(会話) 2016年4月21日 (木) 13:32 (UTC) [返信 ]

ああ本当ですね。すいません(汗)「大乗仏教の般若心経」に過剰反応して文意を掴めてなかったですね。そのように修正し直してみます--Ryo 625(会話) 2016年4月21日 (木) 14:34 (UTC) [返信 ]
ご返信ありがとうございます。再編集も拝見しました。--Leonidjp(会話) 2016年4月22日 (金) 00:37 (UTC) [返信 ]

「慈悲の瞑想」でのご編集について質問致します

こんにちは。「慈悲の瞑想」という記事でのご編集についてお訊ねしたいことがありましたので書き込みします。こちらのご編集において、Ryo 625さんは、ページに元々あった英文とその和訳のセットを、パーリ語(ですね?)とその和訳のセットへと差し替えておられますが、このご編集で当記事に執筆なさった和訳文(ここに、チュンダよ〜大切にしますように!」と。)の出典を教えて頂けますか?--Leonidjp(会話) 2016年6月5日 (日) 06:31 (UTC) [返信 ]

こんにちわ。記述の削除目的のご質問と認識しました。翻訳文は独自解釈になるというのはウィキペディアの方針のどこにあるか詳しく教えていただけないでしょうか?Leonidjpさんご自身がこのことについてノートで質問されていますが、どなたか適切な回答をなされたのでしたら、ご教示願います。また、ウィキペディアの記事は外国語版からの翻訳が認められていますね。この場合、恣意性を排除する配慮はどのようになっているのか興味があります。パーリ文はダメで、多数が検証可能な英語の翻訳ならば良いのでしょうか?よろしくご教示お願いします。--Ryo 625(会話) 2016年6月5日 (日) 12:30 (UTC) [返信 ]
ご返信ありがとうございます。
>>翻訳文は独自解釈になるというのはウィキペディアの方針のどこにあるか詳しく教えていただけないでしょうか?
「Wikipedia:独自研究は載せない」のページ冒頭に「独自研究(original research)とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです」とあり、翻訳は解釈の一種であると私が考えたため、翻訳は独自研究に該当すると判断した次第です。単語一個であっても、翻訳者の解釈抜きに翻訳を成すことはできないので(長い語句や文なら尚更のことです)、出典の無い翻訳は「解釈」の一種として独自研究に含まれるだろう、というロジックです。
その判断に従って、「慈悲の瞑想」の記事ではSanti Greenさんの翻訳を二つ削除しました。
ところが、この件について「Wikipedia:井戸端」のページに質問をなげかけておいたところ、外国語文からの和訳結果自体には出典がなくてもよいという回答が寄せられました(参照)。この回答を採用するなら、Santi Greenさんの和訳を削除した私の判断は私の早とちりとなりますので、削除そのものを取り消すべきかもしれないと考え始めたところです。(削除実行の後にこの回答が書き込まれました)。
>>また、ウィキペディアの記事は外国語版からの翻訳が認められていますね。この場合、恣意性を排除する配慮はどのようになっているのか興味があります。パーリ文はダメで、多数が検証可能な英語の翻訳ならば良いのでしょうか?よろしくご教示お願いします。
「何語ならばよい」という基準の存在は存じません。たしかに、たとえば翻訳元の外国語版記事が全てパーリ語で書かれていたとしたら、それを翻訳する際には「パーリ語→日本語」という翻訳になりますから、それは「記事の翻訳」としては認められるべきですね。この点からも、私の「翻訳結果に出典が無いなら独自研究」という判断は見直す必要があると気づきました。
>>記述の削除目的のご質問と認識しました。
Ryo 625さんの和訳部分は、上述の件よりもうすこし複雑な事情がありますので、単に「削除目的」というわけではありません。
(こちら)のご編集をRyo 625さんがおこなうまで、その段落に載っていた英文は、英語版ウィキペディアの一節(参照)に書かれていたもの(今も書かれています)でして、そのことは、「慈悲の瞑想」という記事のこの段落の直前に脚注として書いてあります。
そして、その英文に対する和訳が和文として載っていました。
この英文+和文というセットを、Ryo 625さんがお書きになったパーリ文+和文というセットに書き換えることができるのがなぜなのか、を知りたいのです。
Ryo 625さんが上述のご編集で執筆なさった和訳文を、元々そこに載っていた和訳文と比べてみると、語句や文意が大きく違っているうえに、元々あった英文に対する和訳としては明らかに成り立っていませんから、そういう和訳文があの場所に記述されることがなぜ正しいのか分かりませんでした。
Ryo 625さんが書かれたあの和訳文に出典がもしあれば、この「なぜ正しいのか」を理解するための手がかりとなるだろうと考えて、出典をお訊ねした次第です。--Leonidjp(会話) 2016年6月5日 (日) 21:37 (UTC) [返信 ]
(補足です)元あった英文に対する和訳として「明らかに成り立っていない」と上に書いたのは、元あった英文に含まれていないはずの語句が和訳として加わっていたことを指します。--Leonidjp(会話) 2016年6月5日 (日) 23:34 (UTC) [返信 ]
Ryo 625さんの、あの記事への加筆(2回)をまとめた差分はこちらですが、これは結局のところ、上述の英語版記事に載っているパーリ語文を、その英語版記事に載っている文字数よりも多い文字数で翻訳対象として採り上げて和訳なさった(翻訳対象となる範囲を広げて和訳した)、ということでしょうか?(そう推察しています)。もしその通りでしたら、上述の差分で「悪意」を「怒り」に書き換えておられることの根拠が知りたいのですが、教えて頂けますか? パーリ語文のどの語句が、「悪意」でなく「怒り」と和訳されているのか知りたく思いますので。--Leonidjp(会話) 2016年6月5日 (日) 23:34 (UTC) [返信 ]
と、このように長々と書いてきたうえで更にこういうことを言って申し訳ないのですが、この「悪意」なのか「怒り」なのかの問題等に首を突っ込むことはやっぱり、自発的にやめておきます(関心を注ぐことをとりやめます)。Ryo 625さんに当会話ページで上述のように要望した事柄すべて(和訳の出典の要望、英文+和文のセットをパーリ文+和文のセットに書き換えたことの根拠を知りたいという要望、「悪意」を「怒り」に書き換えたことの根拠を教えてほしいという要望)は、私の一存で取り下げます。お手をわずらわせたとしたら、申し訳ありませんでした。お騒がせ致しました。--Leonidjp(会話) 2016年6月6日 (月) 05:01 (UTC) [返信 ]
せっかくご質問いただいたので一応メモ代わりに少し記しておきます。(パーリ語の和訳は水野弘元のパーリ語辞典からです)
悪意(ill will)、パーリ語: a(否定の接頭辞)-vyāpanna(瞋恚の、瞋恚せる)-citta(心)
敵意(animosity)、 パーリ語: a-vera(怨みなき、恚心なき) (注記)"animosity"には「恨み」という和訳もあります
抑圧(oppression)、パーリ語:a-vyāpajjha(無悩害の、無瞋の)(注記)oppressionには「憂うつ、意気消沈」という意味もあり、抑圧よりこちらの方が適切でしょう--Ryo 625(会話) 2016年6月6日 (月) 11:11 (UTC) [返信 ]
ご教示くださりありがとうございました。
「この件に関心もつことはとりやめます」と上述のように申し上げたので、これは純粋に情報提供として申し上げますが、例の英語版記事の、この件に関する部分(節)が、ちょうど今日の午前中頃に削除されたようです(参照)。削除理由としては「これはメッターに関係する引用ではないから」というようなことが書き込まれていました。それは単に削除者個人の持論にすぎず裏づけは無いのかもしれませんが、いちおうご報告しておこうと思いました。失礼します。--Leonidjp(会話) 2016年6月7日 (火) 11:11 (UTC) [返信 ]
情報ありがとうございます。慈悲を主題にした経典ではなく、ほかにもっと相応しい経典があるので英語版は妥当な編集だと思います。一応、こちらも削除しておきます--Ryo 625(会話) 2016年6月9日 (木) 23:07 (UTC) [返信 ]
了解いたしました。ご対応ありがとうございました。--Leonidjp(会話) 2016年6月10日 (金) 00:05 (UTC) [返信 ]

Wikipediaは論評やスキャンダルやゴシップのまとめサイトではありません。悪意のある記述も参照

なるほど。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=中田考&type=revision&diff=61209548&oldid=60947049

2009年に行われた第51回オリエント学会大会の公開講演は、あなたにとってはスキャンダルかゴシップでしかない、ということですね。これ「公開講演」ですよ。そこらへんのトークショーなら削除してもいいですけど、この公開講演の開催地ってどこでした?--208.81.164.8 2016年10月21日 (金) 10:32 (UTC) [返信 ]

「ノート:東本願寺 (台北市)#改名提案」への反対票について

Ryo 625さん、こんにちは。Resto1578です。
「ノート:東本願寺 (台北市)」において、「他記事の改名の為の提案なので。東本願寺_(台東区)と同じ理由です」というコメントを付されて反対票を投じられました。
そのご意見に対して、「ノート:東本願寺 (台北市)」(2016年10月24日 (月) 07:58の編集) にて説明させていただきました。そのコメントにあるように、かなり以前から「Wikipedia:記事名の付け方/仏教寺院#本願寺系別院の記事名」のローカルルールについて、私の編集姿勢は一貫しております。
反対票を存続されるのであれば、Wikipediaの方針・ガイドラインを明示した上でコメントしてください。
合意形成を円滑に行うためにも、議論は放棄しないでください。よろしくお願い致します。--Resto1578(会話) 2016年10月24日 (月) 08:20 (UTC) [返信 ]
コメント お礼
コメント有難うございました。--Resto1578(会話) 2016年10月24日 (月) 15:15 (UTC) [返信 ]

コメントの撤回と除去を要求します

コメント
「ノート:東本願寺 (台東区)」での、Ryo 625さんのコメントの撤回と除去を要求します。
私が「東本願寺」の名称を真宗大谷派の本山名のみと主張したいがために、浄土真宗東本願寺派の本山を「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」としたいと思い込まれていませんか?
だとしたら、私は「東西本願寺の別院名の議論」において、本願寺派の別院を「浄土真宗本願寺派本願寺しろまるしろまる別院」と主張し続けたはずです。
私が真宗大谷派に属する門徒であることを理由に含めて議論することは、「Wikipedia:個人攻撃はしない」に抵触する発言です。2016年10月25日08:29 (UTC)のコメントについて撤回・除去を求めます。--Resto1578(会話) 2016年10月25日 (火) 10:24 (UTC) [返信 ]
コメント 撤回いたします。--Ryo 625(会話) 2016年10月25日 (火) 10:34 (UTC) [返信 ]

Template:称号について

こんにちは。作成なさったTemplate:称号が未使用のまま白紙化されております。{{即時削除|全般8}}にて即時削除をお願いします。--てれびくん(会話) 2016年10月29日 (土) 03:29 (UTC) [返信 ]

白紙化を取り消されたようですので、今後使われるものとお察しします。Categoryの追加をお願いいたします。--てれびくん(会話) 2016年10月29日 (土) 07:30 (UTC) [返信 ]

「羅字」とは

こんにちは、Ryo 625さん。

質問 「六字大明呪」2016年10月27日23:58の編集 で、「六字大明呪#六字大明呪と六道」の表の「ローマ字」を「羅字」とされました。しかし、「羅字」という略語を見つけることがでず、意味も分かりませんでした。「羅字」は「甸(ラテン)」+「文」のことでしょうか?--Resto1578(会話) 2016年11月2日 (水) 18:54 (UTC) [返信 ]

すでに「ローマ字」に修正しました。ご指摘どうもです--Ryo 625(会話) 2016年12月27日 (火) 19:57 (UTC) [返信 ]

ヴィシュヌのサンスクリットの部分

こんにちは。ヴィシュヌ#トリヴィクラマ(oldid=62406507)のサンスクリットの部分に「[1]」というのが紛れ込んでいるのはコピーミスのように思えるのですが、なにか意味があるのでしょうか。あと、もしお暇でしたら「シヴァ」もチェックしてもらえると嬉しくおもいます。--Akiyama(tentative)(会話) 2016年12月27日 (火) 04:46 (UTC) [返信 ]

こんにちわ。「[1]」はデーヴァナーガリーの数字で"॥१॥"(1)と書かれていたものを転写したものですね。分かりにくいようなので、英訳のナンバーに差し替えておきますね。ご指摘ありがとうございます。--Ryo 625(会話) 2016年12月27日 (火) 19:57 (UTC) [返信 ]
そういうことでしたか。納得しました。ありがとうございました。--Akiyama(tentative)(会話) 2016年12月28日 (水) 07:29 (UTC) [返信 ]

改名手順について

サマタ瞑想などです。既にノートページで説明しておいた事なのですが。

Wikipedia:ページの改名は改名の際のガイドラインですが、そのWikipedia:ページの改名#改名前にすべきことには、「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」には、「直ちに改名を行ってもかまいません」となっています。改名提案を経る必要がないです。

当方は、出典を出していますが、そちらでは何ら出典を出しておらず、不適切に改名提案を経ずに改名されています。以上の点よろしくお願いいたします。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月18日 (水) 11:30 (UTC) [返信 ]

あとは単語ごとに記事を作ろうとしていらっしゃるようですが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんがありますから、より専門家による専門書籍の体を持つ情報源から日本語の正式名称を定めて統合してくものです。たとえば、ニルヴァーナ涅槃は別々に発展するものではなくて、ニルヴァーナを涅槃に飛ばしてまとめて解説するということとなっております。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月18日 (水) 11:58 (UTC) [返信 ]
ノートでの議論が無駄な議論、無駄な労力です。Ryo 625様の不注意で改名されたようですので、そちらのほうでなりサマタ瞑想なり、さっさと改名提案なりを行ってくださいますようお願いいたします。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月20日 (金) 07:07 (UTC) [返信 ]

ページ番号と中立的な観点について

サティ (仏教)では、i ページだと書いてあるところに「要ページ番号」を何度もつけていらっしゃいます。i、iiなどのローマ数字は通常書籍の序文やまえがきで用いらる慣行ですのでよろしくお願いいたします。

「中立的な観点から記述してください」とコメントしていますが、まず対立する観点がないようですが、どの中立的な観点を達成せよということでしょうか。いまだ書かれていないのでしたら、出典を用いて記述してください。「はっきり」という部分を消しているのでしょうか。出典の表現を使うというのは、Wikipedia:大言壮語をしないに書かれており、出典の表現を使っているため何ら問題ないと思います。詳しくご説明ください。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月21日 (土) 15:57 (UTC) [返信 ]

コメント ページ番号については了解しました。こちらが修正しておきますね。--Ryo 625(会話) 2017年1月22日 (日) 22:44 (UTC) [返信 ]
ページ数についての、確認と修正については有難うございます。中立的な観点については説明をお願いします。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月27日 (金) 10:49 (UTC) [返信 ]

改名の根拠について

サマタ瞑想サティ (仏教)では、追加の出典の提示等はないということでしょうか。サマタでは10日経過しています。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月28日 (土) 06:57 (UTC) [返信 ]

なぜ追加の出典が必要なのでしょうか。改名については引き続きサマタ瞑想のノートで論議すべきことだと考えます。繰り返しますが、タバコ氏の突然の改名はウィキペディアのガイドラインに沿ったものではありませんでした。--Ryo 625(会話) 2017年1月28日 (土) 09:14 (UTC) [返信 ]
改名のガイドラインでは、明らかに記事名のガイドラインに沿っていない場合にただちに改名でき、そうでない場合には改名提案が必要です。そちらの改名では明らかに記事名のガイドラインに従っていないということがいまだ示されていないので、必要かと存じます。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月29日 (日) 11:31 (UTC) [返信 ]

ヘイトスピーチ

知恵蔵mini(2013年2月21日)を出典に思想もヘイトスピーチに含める記述が為されていますが、(2013年5月13日)の版では「人種や宗教、性別、性的指向など自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難な特質を理由に」と思想は除かれています。修正された出典における過去の版を元に記述するのは不適切ではないでしょうか。--Ryo 625(会話) 2017年2月7日 (火) 08:25 (UTC) [返信 ]

「准胝観音」の「信頼性要検証範囲テンプレート」について

記事「准胝観音」にて{{信頼性要検証範囲}}を付与なさっていた(差分)ことを確認しました。先程、この箇所を{{要出典範囲}}に置き換えさせていただきました。

{{信頼性要検証範囲}}には当時はドキュメントがなく使用方法が不明瞭だったかと思いますが、これは{{信頼性要検証}}の範囲指定版であるため、(ざっくりいえば)「出典」として一次資料が提示されている箇所に付与するものです。そのため、記事「准胝観音」では一旦{{要出典範囲}}に置き換えさせていただきました。もし、このテンプレートではなく、そもそも記述自体に疑念がある場合は、お手数をおかけしますが{{要検証}}など適切だと判断できるテンプレートへの置き換えをお願いします。--iwaim(会話) 2017年2月14日 (火) 12:11 (UTC) [返信 ]

了解いたしました。ご指摘、感謝します。--Ryo 625(会話) 2017年2月16日 (木) 08:05 (UTC) [返信 ]

マズローの5段階の欲求について

初めまして。用件ですが、アブラハム・マズローが主張した有名な5段階の欲求に関する記事(自己実現理論)について、改名に対しての手続きが不十分であったため差し戻しました。非常に有名な学説でもあり、改名に関しては十分に周知期間を取った後に合意が得られてから行って下さい。以上。--GOLFLF(会話) 2017年2月16日 (木) 16:25 (UTC) [返信 ]

お手数をおかけしました。--Ryo 625(会話) 2017年2月21日 (火) 21:58 (UTC) [返信 ]

IP利用者への対応について感謝申しあげます

こんにちは。昨日から今日にかけて、大乗仏教でIP利用者の編集を糺して頂きまして、ありがとうございます。今月上旬頃から、仏教系の記事に加筆を続けているIP利用者(ほぼ1日おきにIPアドレスが変わり、しばしば「大正新脩大蔵経テキストデータベース」を出典に用います)がおりますが、独自研究を始めとして不適切な編集を多数行っています(ノート:中道での自称によれば、昨年末から今年2月頃にかけて仏教系の記事を多数編集していたIP利用者と同じ人だそうです)。ノート:中道#「中観との関係」についておよびノート:中道#「大正新脩大蔵経テキストデータベース」を出典とした記述についてで、この関係の議論が始まりつつありますので、もしよろしければ目を通して頂けましたら幸いです。--Leonidjp(会話) 2017年4月28日 (金) 02:25 (UTC) [返信 ]

情報ありがとうございます。主に「大乗仏教」の項しか目を通していなかったのですが、色々な項目にも同様の編集を行っていたのですね。ご提示いただいたノートページも注視していきたいと思います。--Ryo 625(会話) 2017年4月28日 (金) 08:35 (UTC) [返信 ]
ありがとうございます。問題の人物は毎日のようにIPアドレスが変わりますので、別々の日に行われた編集が同一人物のものかどうかをIPアドレスから判定することはできないのですが、最近、ノート:中道#「中観との関係」についてでDoomreaperさんが指摘しておられる漢文の読み方の問題点が、ノート:阿羅漢でのRyo 625さんのご指摘(菩薩と阿羅漢が文中で隣接しているときの読み方の問題)と共通しているように見受けられるので、問題の質からみてこの二人のIP利用者は同じ人なのでは、と疑わせるものがあります。漢文の出典も、おそらく両方とも大正新脩大蔵経テキストデータベースであろうと思いますし。ノート:阿羅漢で独自研究の披露をやめるようRyo 625さんが要請しているのをお見受けしましたが、当人にやめるつもりがないとしたら厄介ですね。ともかく、私も可能な範囲で対応していくつもりです。--Leonidjp(会話) 2017年4月28日 (金) 10:57 (UTC) [返信 ]
こんにちは。二諦でのIP利用者へのご対応、ありがとうございます。二諦での先ほどのご編集で、テンプレートだけでなく一次資料への解釈内容も復元されていましたが、これは復元ということでよろしいのですか?(テンプレートのみの復元を意図されていたのでは?と思いましたので、確認のために伺う次第です)。--Leonidjp(会話) 2017年5月22日 (月) 01:55 (UTC) [返信 ]
こんにちわ。『大毘婆沙論』の文を引いて、この書に二諦説が説かれているとする記述については一次資料の解釈には異議がありませんので、テンプレートは削除たしました。ただ、部派の論蔵から二諦説が見られるなどの記述は、「SATのワード検索結果」を出典とするのはあまりに杜撰ですし、このような出典で書かれる記事が増えることが相応しいとも思えません。--Ryo 625(会話) 2017年5月22日 (月) 07:42 (UTC) [返信 ]
承知しました。ご対応ありがとうございます。--Leonidjp(会話) 2017年5月22日 (月) 08:16 (UTC) [返信 ]
報告 くだんのIP利用者について、広域ブロックの依頼を出しました。よろしければご投票ください(Wikipedia:投稿ブロック依頼/JCOM 広域)。--Leonidjp(会話) 2017年7月9日 (日) 12:00 (UTC) [返信 ]
コメント 投票しました。返信が事後になりましたが、一応書き込んでおきます。件のIP氏への対処について感謝しております。--Ryo 625(会話) 2017年7月11日 (火) 06:50 (UTC) [返信 ]
コメント ご投票ありがとうございました。Ryo 625さんも、IP利用者へのご対応を続けて下さりありがとうございます。長期のブロックへの賛成票ばかりですのでブロックとして対処してもらえると思います。万が一だめであっても、今回提示した分の10倍くらいの証拠が確保できておりますので、再度依頼することができると思います。--Leonidjp(会話) 2017年7月11日 (火) 07:02 (UTC) [返信 ]

インデント戻します。さきほど、畜生の記事に独自研究らしき記述を記入したログインユーザーがおりましたが(参照)、同人はその前後に十牛図でも、SATを出典とした独自研究を復元しておりましたので、一連の可変IP利用者と同一人物かなと思いました。確証はありませんが一応ご報告します。畜生も十牛図も、可変IP利用者による問題投稿が過去にあった記事です。また、可変IP利用者がかつて、Ryo 625さん、Doomreaperさん、私をブロック依頼したことがありましたが(参照)、このログインユーザーが最近書いた別件のブロック依頼(参照)と文言を見比べてみますと、「ソックパペットの疑いが濃厚」という言い回しがそっくり一致するのも興味深いことです。--Leonidjp(会話) 2017年7月23日 (日) 22:27 (UTC) [返信 ]

コメント 件の可変IP利用者がノートなどで対話に応じるものの、一向にログインユーザーになろうとしなかったのはすでに別ログイン名を持っていたためかもしれませんね。SATソースを独自研究と指摘されても何度も復元する行動パターンと、独特の言い回しが一致するのは偶然とも思えません。私は何分、泥縄式でWikipediaを使用しているので迷惑ユーザーに対しての投稿ブロック依頼などの慣例や正式な手順が分からず、なにも対処できませんでしたが、Leonidjpのご尽力には大変助けられています。ご報告の件もあわせて感謝いたします。--Ryo 625(会話) 2017年7月24日 (月) 07:05 (UTC) [返信 ]
コメント 恐れ入ります。私もブロック依頼等は今回が初めてでしたが、手続きについて色々と勉強になりました。可変IP利用者と議論になっていた十牛図、菩薩、浄土教などの仏教記事が、最近、可変IP利用者の執筆のまずさを理由に半保護してもらえるようになってきていましたから、半保護記事が増えるといずれログインユーザーとして現れるだろうとは思っておりましたが、この人が実際そうかもしれないですね。このログインユーザーは、先月にブロック依頼が出されていて今も議論中でした(この人の会話ページから行けます)。このままいくとブロック逃れとして無期限ブロックされそうな状態です。--Leonidjp(会話) 2017年7月24日 (月) 07:28 (UTC) [返信 ]
このログインユーザーが畜生の最新版に書き込んだ、「また、畜者の奴婢となることなく、正法を聞法して受持すれば救われることも説く。」という一文は、かつて可変IP利用者が十牛図にSATを出典として記入していた文と非常によく似ています(参照参照)。同一人物とみてほぼ間違いないと思います。--Leonidjp(会話) 2017年7月24日 (月) 23:03 (UTC) [返信 ]
報告 このログインユーザーは無期限ブロックされたようです。→ https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:投稿ブロック依頼/桃姫だいしゅき&curid=3610970&diff=64955770&oldid=64894113

--Leonidjp(会話) 2017年7月30日 (日) 14:52 (UTC) [返信 ]

コメント 安心しました。例の可変IPユーザーも適切な処置がなされればいいのですが。--Ryo 625(会話) 2017年7月31日 (月) 08:05 (UTC) [返信 ]

(インデント戻します)。三法印の記事などでのご対応、お疲れ様です。ちょっと思い当たることがあり、このようなもの https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%97%A5%E7%B5%8C%E7%BE%8E%E7%97%94%E6%A0%B9%E5%B7%A3_%E9%A0%88%E7%A9%BA%E6%B5%81 を提出してみました。くだんのかたは、まだ編集回数の少ないアカウントながら、編集対象の記事が、上述の桃姫ナントカという利用者の編集した記事と2,3個重複しているなどしています。--Leonidjp(会話) 2017年9月19日 (火) 12:13 (UTC) [返信 ]

コメント 報告ありがとうございます。残念ながら依頼のほうは却下されてしまったようですが、新規ユーザーの編集対象の記事が重なるのは十分に疑わしいですね。ウィキペディア初心者という感じもしませんし、どこか手馴れている印象があります。
Leonidjpさんの毎回のご支援と、それから仏教関連の記事のブラッシュアップに感謝いたします。--Ryo 625(会話) 2017年9月20日 (水) 08:19 (UTC) [返信 ]
恐れ入ります。チェックユーザー依頼は却下となってしまいましたが、かわりに、 https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF/%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88#.E3.83.AD.E3.82.B0.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.A6.E3.83.BC.E3.82.B6.E3.83.BC に、ほぼ同じ内容で報告を出しておきました。--Leonidjp(会話) 2017年9月20日 (水) 09:16 (UTC) [返信 ]
こんにちは。Wikipedia:投稿ブロック依頼/JCOM 広域の被依頼者のブロック逃れと疑いうる事案について、このたび、Wikipedia:投稿ブロック依頼/日経美痔根巣 須空流を提起しました。よろしければコメントやご投票をなさってください。--Leonidjp(会話) 2017年10月19日 (木) 08:32 (UTC) [返信 ]
コメント 賛成票入れました。Leonidjpさんがすでに問題点を網羅しておられるので、コメントによる問題指摘は重複になってしまいましたが。なんとか依頼が通って欲しいものです。--Ryo 625(会話) 2017年10月19日 (木) 17:18 (UTC) [返信 ]
ご投票くださりありがとうございました。他のユーザーさんが、被依頼者がテキストをコメントアウトをする際のコメントタグの使い方の共通点を見つけてくださっていて、そういえばそうだったな、と目から鱗の思いをしているところです。--Leonidjp(会話) 2017年10月20日 (金) 09:27 (UTC) [返信 ]

原語表記でない表記を導入部に記載することについて

Ryo 625さん、はじめまして。私の会話ページへのご質問の答えをこちらで述べさせて頂きます。まず、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#原語表記には、「日本語以外に由来する項目名の場合は、丸括弧( )内に原語表記を追加する」とあり、「原語表記」を追加することは、ガイドラインとして推奨されているといえるでしょう。他方、「原語表記」でない他言語表記の追加を禁じているわけでもないので、今回のケースはガイドライン違反にはあたらないと思います。しかしながら、井戸端の過去ログにある類似議論 Wikipedia:井戸端/subj/ディズニー関連項目の定義部分の表記 などを参考にしますと、ウィキペディア日本語版としては、日本語表記(項目名)と原語表記があれば事足りるとの意見や、多言語表記のある項目の例として正義を挙げて、多言語表記される項目名があるにしても、むやみやたらと追加されているわけではなく、それなりの理由がある、というような意見がついています。今回のフェミニズムマスキュリズムミサンドリーについては、第一に原語は英語であると考えられ、あえて中国語表記のみを追加するだけの有意な理由がないように私には思われます。ガイドラインで禁止されていないとはいえ、原語表記でない他言語表記を追加しだすとキリがありません。これはあくまで私論で拘束力はありませんが、語の発祥・由来・伝来・来歴などを吟味して、項目名と関係の深い言語表記だけを選んで追加するようにしないと、「なぜ◯◯語表記は記載があるのにしろさんかくしろさんかく語表記はないのだろう?(あるいはその逆)」といった疑問が生じたり、導入部の丸括弧の中身が肥大化して読みにくい記事になってしまったりするおそれがあります。英語版の原語表記のガイドラインを確認していないので確かなことは申し上げられませんが、ご指摘のTrikayaは大乗仏教用語ですので、歴史的に大乗仏教と関わりの深い言語での表記を追加するぶんには大きな異論は出ないと判断され、追加・維持されているのではないでしょうか。対応する日本語の三身では、併記されているのは典礼言語としての梵語表記のみですね。私個人の意見としては、「なぜその言語での表記が項目名とともに併記されているのか」が合理的に説明できる範囲内であれば、多言語表記を受け入れたいと考えています。最後に、フェミニズムなどの多言語表記については、私は門外漢なので、(慎重を期して)その分野に詳しい他の編集者の判断に委ねたいと思います。以上、駄文、長文につき失礼いたしました。--Doraemonplus(会話) 2017年7月10日 (月) 11:55 (UTC) [返信 ]

コメント ありがとうござます。中国語訳をあげる利点としては、(私が中国語名を追加した理由でもありますが)定訳の定まらない、あるいは訳語の決定の難しい項目(たとえばReproductive Rightsなど)について、漢語訳を示すことで、一定の理解に役立つのではないかと思ったことです(たとえば「生殖權利」など)。仏教に関して気になることを一点あげますと、イスラム教などとは違い仏教では、翻訳された教典の聖典性を認めるので、梵語はマントラなどを除き、チベット仏教圏、漢訳仏教圏など、大勢をしめるセクトの大乗仏教においては典礼言語ではありません。質問にお答えいただき重ねて御礼申し上げます。論点が整理され勉強になりました。--Ryo 625(会話) 2017年7月10日 (月) 12:27 (UTC) [返信 ]

鳩摩羅什の母の名について質問させてください

鳩摩羅什の項目にRyo 625さんが (母親の名称。ジーヴァカは男性名詞でありクマーラ<ジーヴァ>という名称にも不適合) とされていますが、英語版のen:Jīva (nun)の記載は誤謬なのでしょうか? この記事の参照文献が特定宗派のものなので信頼性に「どうかな?」とも感じますが、ご意見をいただければと思います。(会話) 2017年7月24日 (月) 01:06 (UTC) [返信 ]

コメント 出典の信頼性も微妙だと思いますが、ジーヴァカおよびジーヴァは男性名詞なので、普通は間違いだと思います。舎利弗(Śāriputra、シャーリプトラ)の母親の名前がシャーリー(Śārī)と女性名詞になっているように、クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の母親も、ジーヴァー(Jīvā)と女性名詞になるのが自然だと私は思いますが、参照できる出典がないのでそのように記述するのはやめました。とにかく、ジーヴァカ、ジーヴァという男性名詞を女性の名前にするのは不自然だと思いますので、どうしてもサンスクリット名を表記するのであれば、信頼できる出典を探してそれに依るのが一番だと思います。--Ryo 625(会話) 2017年7月24日 (月) 07:05 (UTC) [返信 ]
ご教示ありがとうございました。サンスクリット名を書いたのは小生ではないのですが、多分ジーヴァカの記事から類推して当てはめたのだと思います。(会話) 2017年7月24日 (月) 07:39 (UTC) [返信 ]

フェミニズムなどの記事に中国語を追加することについて

はじめまして。そらみみと申します。フェミニズムなどの記事に中国語表記を追加することを拝見しましたが、中国語の「女性主義」と日本語の「フェミニズム」の意味が等しいと考えていますか?もちろん日本語の「フェミニズム」と英語の「feminism」も意味が100%同じではありませんが、カタカナ語の語源として英語を追加するのは必要だと思います。--そらみみ(会話) 2017年8月14日 (月) 17:47 (UTC) [返信 ]

  • [3][4]などの記事を読んだらわかると思いますが、中国語の「女性主義」と「女権主義」のニュアンスが微妙に違います。特に専門家やフェミニストの間ではこのような表記の違いが敏感であり、きちんと使い分けることが見られます。要するに「女権主義」という訳語は字面で解釈すると、女性の「人権」の平等を要求する主張で、フェミニズムの本質に近い訳語である一方、側から見るとより攻撃的な主張だと思いかもしれません。また、feminismの社会運動的な側面を強調する「女権運動」や「婦女解放運動」などの訳語もあります。一方、「女性主義」ではそのような強い主張が回避されて、あくまでも一個人が女性に対する考え方であるように読み取れるため、学術上ではより頻繁に使います。実際に「女性主義」という言葉のもとで、反フェミニズム的な論点を提示した研究者もいます。ですので、記事に「女性主義」だけを中国語の表記として加えることは読者に変な誤解を与えかねないと考えます。長くなって申し訳ございませんが、ご意見をおまちしております。--そらみみ(会話) 2017年8月14日 (月) 18:28 (UTC) [返信 ]
    • コメントありがとうございます。まず、「フェミニズム」という思想は日本に固有な思想ではないので、「日本におけるフェミニズム」を主題にして執筆されるべきではないと思います(WP:JPOV)。その点で、英語のfeminismや中国語の女性主義と日本語の「フェミニズム」は異なるというそらみみさんの指摘には、ちょっと首を傾げざるをえません。実態としての日本のフェミニズムと各国の差異については、「日本におけるフェミニズム」という節を設けるなどして執筆するのが一般的なウィキペディアの執筆スタイルなのではないでしょうか。訳語に関してはご指摘頂いたように各個人の立場や感覚で、解釈が異なるようですので、できるだけ多くの訳語を挙げるのが望ましいのではないでしょうか?たとえば「女権運動」、「婦女解放運動」、「女性主義」などと訳される。というようにです。--Ryo 625(会話) 2017年8月15日 (火) 07:58 (UTC) [返信 ]
コメント ありがとうございます。私が言ったのはあくまでも中国語における「女性主義」という言葉の意味は英語の「feminism」と日本語の「フェミニズム」という言葉の意味とは近いけど完全に一致していないことです。発展的な論点である「日本におけるフェミニズム」「中国におけるフェミニズム」などとは無関係です。あとウィキペディアは辞書ではないので、英語が語源であることを考えると追加してもいいと思いますけど、中国や台湾とは特別な関係もない「フェミニズム」という記事に現代中国語表記がある理由もないと思います。もし漢字表記がどうしても欲しければ、日本語文献で適切な訳語を見つけた方がいいと思います。--そらみみ(会話) 2017年8月15日 (火) 18:14 (UTC) [返信 ]


記事「歴史修正主義」にて

私による文面の改善無に帰す編集をなさったので、該当箇所を全文復活するとともに、同記事のノートにて、典拠をもとめる質問をおこなっております。--Dalaibaatur(会話) 2017年10月25日 (水) 06:04 (UTC) [返信 ]

ご自身の編集への疑念を「言葉遊び」ときめつけ、質問に回答拒否し、またしても私の手による文面の改善を無に帰す編集を強行なさったようで、残念なことです。--Dalaibaatur(会話) 2017年10月25日 (水) 23:45 (UTC) [返信 ]
「ウサギの角は長いですか、短いですか?」式に意味をなさない質問だと言っているのです。私の手によるも何も、Wikipediaはあなたのエッセイを公表する場ではありませんよ。--Ryo 625(会話) 2017年10月26日 (木) 02:39 (UTC) [返信 ]
ご自身が記事中に反映させた記述の文責逃れ。大変残念なことです。

ウィキペディアにおける一次・二次

あなたの「1次資料・2次資料」の理解はあまりにいちじるしく独特すぎ。これ以上記事を編集したりノートで発言なさる前に、ぜひとも「Wikipedia:信頼できる情報源」における1次、2次の説明,同「注意すべき論点」、記事「資料」における「図書館の資料」などにお目通しいただき、ウィキペディアにおける一般的な、通常の、1次・2次の意味合いについて、是非とも把握していただきたく、よろしくお願いします。--Dalaibaatur(会話) 2017年11月6日 (月) 22:07 (UTC) [返信 ]

一次、二次については他の利用者の意見もつのりましょう。お互い水掛け論でしょうし。
ところでDalaibaaturさんは現代中国語が理解できますか?私にはDalaibaaturさんの編集のどこがあの中国語と対応しているのか分からないのですが。--Ryo 625(会話) 2017年11月10日 (金) 07:59 (UTC)--Ryo 625(会話) 2017年11月10日 (金) 08:01 (UTC) [返信 ]

李成桂と太祖 (高麗王)

こんにちは。李成桂太祖 (高麗王)で行われている編集に関しまして、ノート:太祖 (高麗王)で議論を行おうとしましたが、ほとんど議論が進んでおりません。もしよろしければ、こちらにお越し頂けますと幸いです。--さえぼー(会話) 2018年3月5日 (月) 17:11 (UTC) [返信 ]

わざわざお膳立ていただいたのに放置する形になってすみませんでした。今ノート:太祖 (高麗王)に書き込みいたしました。が、このままだとIPユーザー氏との水掛け論になる可能性があるので不安です。--Ryo 625(会話) 2018年3月6日 (火) 21:46 (UTC) [返信 ]

レイアウトについて

天之御中主神において私の編集を差し戻した理由について説明をお願いします。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)によれば『記事の内容の大部分が「概要」節に書かれている場合、節の分け方を修正すべきであることが多いです。1〜5段落程度であって導入部に統合可能な内容の場合は統合する』とあります。また現状では導入部から「概略」節を単純に分割したため「概略」節には肝心の古事記の記述についての言及がなく概略になっていません。これを是正するために導入部と概略節に重複した内容を書くのであれば概略節はそもそも必要ありません。また「平田国学」や「心理学者」などの記述は余談でしかないごく短いものであり、またこれ以上の内容の発展が望めるとも思えず節を分割する必要を認められません。Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)には『内容が短い節を多く作ると逆に見づらくなりますので気をつけてください』とあります。以上の理由により私は現在のような節の分割には反対します。--Kagefumimaru(会話) 2018年7月12日 (木) 19:53 (UTC) [返信 ]

コメント 概略が長すぎる場合は適切な節名をつけて分割すべきであるとしています。私の行った編集はこのガイドラインに対応します。「長すぎる「概要」節であれば複数の節に整理して正常な節分けにする、などの対応を検討してみて下さい。
質問ですが『内容が短い節を多く作ると逆に見づらくなりますので気をつけてください』というのは具体的に記事全体が何バイトに対して節はいくつまで、という基準はあるのでしょうか。--Ryo 625(会話) 2018年7月12日 (木) 21:51 (UTC) [返信 ]
私はそのような具体的な基準の存在については知りません。私の主張の中心は概略が長すぎる云々以前に当該記事の現状では概要節が必要ないということであり、その論拠は上に示したとおりです。--Kagefumimaru(会話) 2018年7月12日 (木) 22:00 (UTC) [返信 ]
コメント そうですか。「導入部が長大になっていたり、節に雑多な内容が含まれている場合などは、記事の構成を見直すことで、文章の長さを調整します。」ともありますが。--Ryo 625(会話) 2018年7月12日 (木) 22:04 (UTC) [返信 ]
導入部には記事全体の要約が書かれなければなりません、その要約が非常に長くならざるを得ない場合概要節が必要になるのです。現状では概要節を設けるほどの内容がこの記事には存在しません。すべての記述を合わせても「長大」には程遠いと考えます。--Kagefumimaru(会話) 2018年7月12日 (木) 22:23 (UTC) [返信 ]
コメント すみません、記事の要約というガイドラインを拡大解釈なさっていないですか。あなたのやり方だと導入部と概略の区別をなくして(実質的に導入部の削除)、冒頭からそのまま記事全体の詳述まで節なしで行うように聞こえるのですが。--Ryo 625(会話) 2018年7月13日 (金) 01:50 (UTC) [返信 ]
導入部に要約が必要なのはそれだけ長大で充実した多数の節を持つ記事を想定した場合であると考えます。短い記事であるならば導入部が記事の全てであっても問題はありません。英語版のスタイルマニュアルでは "A simple article should have at least a lead section and references. As editors add complexity where required, the elements (such as sections and templates) that are used typically appear in the following order..." となっています。すなわちその他の節は必要に応じて追加されるものです、要約するほどの内容もないのに概略節を設けるのは錯誤でしょう。--Kagefumimaru(会話) 2018年7月13日 (金) 05:10 (UTC) [返信 ]
コメント 私はあなたの解釈には首肯できません。ここで議論していてもしょうがないので記事のノートで提案を行い、広く意見を募ってください。--Ryo 625(会話) 2018年7月13日 (金) 17:23 (UTC) [返信 ]
ここで議論していてもしょうがないとはどういうことですか、私が求めてるのは他ならぬあなたの意見です。私が望むのはあなたが私の編集の差し戻しを撤回することのみです。私の意見に反対であるというのならその理由を示してください、少なくとも要約するほどの内容もないのに概略節を設けることを正当化する理由を示してください--Kagefumimaru(会話) 2018年7月13日 (金) 17:39 (UTC)[返信 ]
コメント 導入部に中世はどうで、復古国学はどうこうで、と詳細に書くものとは到底思えません。それは導入部というより導入部を欠いた記事そのものでしょう。概略は導入部がいたずらに長文化するのを避けるために必要だと思います。生産的な議論をお望みでしたらこれ以上私一人の意見を求めてもしょうがないので広く意見を募ることをお勧めします。--Ryo 625(会話) 2018年7月13日 (金) 17:44 (UTC) [返信 ]
なぜあなたの意見を求めてもしょうがないのですか、あなたは生産的な議論をするつもりがないのですか、だとしたらあなたは記事の編集に携わる資格はありませんし、私の編集を差し戻す資格もありません。『導入部に中世はどうで、復古国学はどうこうで、と詳細に書くものとは到底思えません』当然です、私はそんなことが必要だなどと述べていません。『概略は導入部がいたずらに長文化するのを避けるために必要だと思います』これだけではさっぱりわかりません、詳しく説明してください。--Kagefumimaru(会話) 2018年7月13日 (金) 17:53 (UTC) [返信 ]

Ryo 625さんは対話を放棄したまま当該記事の編集を続行しています。私はこれを議論の拒否と見做し、彼によって差し戻された私の編集を回復し、その後の彼の編集を取り消します。--Kagefumimaru(会話) 2018年7月14日 (土) 05:07 (UTC) [返信 ]

当該記事のノートに意見を申しましたのでそちらで意見交換をいたしましょう。--Ryo 625(会話) 2018年7月14日 (土) 08:18 (UTC) [返信 ]

ヴェーダの宗教ページの要出典の件に関して

どうも、お邪魔します。ご覧になっていただければお解りいただけると思いますが、ヴェーダの宗教ページは曖昧さ回避ページです。で、そもそもこちらが作られた経緯がノート:インド発祥の宗教のほうにありますので、まずご一読の上でRyo 625さんのお考えをお聞かせください。--死郎(会話) 2018年11月18日 (日) 16:20 (UTC) [返信 ]

コメント 了解しました。--Ryo 625(会話) 2018年11月18日 (日) 16:36 (UTC) [返信 ]

仲哀天皇記事の注釈について

一体、どのような資料を要求しておられるのでしょうか? WP:PSTSはタグを一旦外す前に拝読しましたが、それでもよくわかりません。時事が実験結果や個人的な日記などの一次資料のみで構成されることがよくないのは理解できますが、この記事は遥か昔に書かれた一次資料こそが大事な歴史関連です。記紀の内容よりも二次資料たる研究者の解釈が重視するならば明らかな主従逆転です。強いて言えば訳文の要約そのものが「一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません」の抵触するのでしょうが、これも記紀原文という容易に入手できるソースがある以上、十分に検証可能な内容です。ノートでの問題提起もなく問答無用でタグを張りなおされるような内容とは思えません。第一、書紀原文は変則漢文、古事記は万葉仮名の古文で単純に転載してもまともに読めるものではありません。繰り返しますが、どのような資料を要求しているかの明確化をお願いいたします。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月27日 (火) 08:05 (UTC) [返信 ]

コメント なぜWikipediaの方針で一次資料よりも二次資料が優先されるかは、こちらを参考にしてください。(斉藤 孝「史料批判」 - 日本大百科全書(ニッポニカ))--Ryo 625(会話) 2018年11月27日 (火) 08:58 (UTC) [返信 ]
コメント どのような資料や注釈を要求しているかの明確化をお願いいたします。お答えいただけないならば回答不可能とみなします。なお記紀は史料批判上で少なくとも最古の記録であることは認められており、故にそれ以上の真偽や妥当性を問うことは極めて困難な資料です。記紀の内容は真偽はともかく「そう書かれた」という事実そのものであり、それ以上遡り真偽を検証することはできないものです。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月27日 (火) 09:52 (UTC) [返信 ]
コメント そう書かれた、という点をとってもそう簡単な問題ではありません。歴史の項目において「遥か昔に書かれた一次資料こそが大事​」というのは間違っています。資料はどの原本をどの他本と比較して、異なる読みをどう扱い本文を確定するのか。そして歴史の資料というのは現代語で書かれているわけではないので、そこにいくつもの解釈の余地を生じます。ここは「書紀原文は変則漢文、古事記は万葉仮名の古文で単純に転載してもまともに読めるものではありません。」と仰っている通りです。さて、一連のこれらの資料の解釈を誰がするのでしょうか。たとえば「邪馬台国」ひとつ取っても日本人が古語として、できるだけ意味をなす音を想定できるように漢字の誤写(とみなされたもの)を訂正して、本文を確定しているわけですよね。「漢委奴国」なら「漢の倭奴の国」なのか「漢の倭の奴の国」なのかも推測するしかありません。これらの操作をWikipedia編集者が行ったのでは、問題が残ります。古代史ならなおのことです。ですから、信頼できる研究者による論文などの二次資料に頼ることが望ましいのです。--Ryo 625(会話) 2018年11月27日 (火) 11:25 (UTC) [返信 ]
コメント それならば適切な二次資料を根拠にノートで議論してください。それすらせずタグ貼りと監視だけされても、どの記述が問題かわかりません。特に年譜はどこに独自研究の余地があるのか全くわかりません。参考は舒明天皇や天武天皇記事の年譜ですが、こちらも否定されるのでしょうか。なお自分は岩波文庫版の読み下し文を参考として可能な限り個人的な考察を入れないように書いています。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月27日 (火) 13:04 (UTC) [返信 ]
コメント 強調のために引用しておきます。「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です。特に歴史についての主題を扱う場合がそうです。」([5])。信頼できる二次資料を提示すべきなのは、該当箇所の執筆者の方であって、対案を出さなければ文句を言う資格がない等のようなことはないのです。--Ryo 625(会話) 2018年11月27日 (火) 14:58 (UTC) [返信 ]

パラグラフではなくセンテンス単位でどこの記述が問題なのでしょうか。信頼できる二次資料とはどういうものでしょうか? 信頼できる研究者とはどういった方でしょうか? 具体例を示してくださらなければ対処のしようがありません。答える義務はない、とにかく自分が満足するものを持ってこい、それまで文句は言い放題だ、ではただの難癖のマウンティングです なお、あなたが引用している文は同時代前後の資料が豊富にある場合、日本史なら貴族の日記や公文書が残る平安中期以降に限定される話かと。継体天皇以前で信頼できる二次資料は絶無のはずです。学者の論考は残念ながら言語学的研究を除けば記紀の二次資料として信頼できるものではありません。大本を辿れば記紀より千年後に書かれた国学者の思想を一次資料とするためです。 以上を踏まえて具体的な問題箇所を提示の上でwikipediaの理念を実行可能な二次資料の要件が提示されなければ、二次資料の要求は対処不可能で無意味なタグとみなさぜるを得ません Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月28日 (水) 03:16 (UTC) [返信 ]

コメント お答えします。大学において日本史を専門的に研究しておられる学者の研究書が望ましいでしょう。--Ryo 625(会話) 2018年11月28日 (水) 03:20 (UTC) [返信 ]

なるほど、では私が参照しているのは上記の通り明確に研究者の成果物である岩波新書版書紀なのでそれが出展だと明記すれば解決ですか? Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月28日 (水) 08:48 (UTC) [返信 ]

コメント 岩波新書から『日本書紀』というタイトルの新書が出ているのであれば二次資料ですので異論はありません。--Ryo 625(会話) 2018年11月28日 (水) 13:07 (UTC) [返信 ]
コメント 了解しました。しかしそれならば2018年11月27日 (火) 13:04 (UTC)への返信時点で同様の返事が欲しかったです。wikipediaルールを不用意かつ恣意的にふりかざしたマウンティングは正直、ひどく不快であったことをお伝えしておきます。--Wakadoshiyorill(会話) 2018年11月28日 (水) 22:34 (UTC) [返信 ]

千鳥ケ淵戦没者墓苑

あなたの考えを除去の理由にするのではなく、どの方針に抵触しているのかをご説明ください。日本の戦没者施設という大きな関連性があるため、関連項目にあってしかるべきと考えます。--切干大根(会話) 2019年1月2日 (水) 21:15 (UTC) [返信 ]

コメント 逆にお聞きしますが、どのような理由であそこに戦争時の軍人、軍属、民間人へのあらゆる追悼施設を列挙していくのでしょうか。--Ryo 625(会話) 2019年1月3日 (木) 00:08 (UTC) [返信 ]
つづきはノートにて。--切干大根(会話) 2019年1月3日 (木) 00:41 (UTC) [返信 ]

prātimokṣaについて

この言葉について議論を深めて下さいましてありがとうございます。ただ、一つお願いしたいのは、奈良康明先生の著書を使ったのは、先生がサンスクリットを専門になさってきたインド学の先生だからです。また、その指導教授は中村元先生ですので、その解釈は信用して良いものと思ったからです。また、他の辞書類を使用して、その説を補強したつもりです。それですので、曹洞宗の僧侶が勝手なことを言っているような記述は避けて頂きたいと思います。--Jan Johane Pieter(会話)2019年2月2日(土)16:03 (UTC)

コメントありがとうございます。奈良康明先生の学術論文や学術書ではなく、『説戒 永平寺西堂老師が語る仏教徒の心得』と題する曹洞宗僧侶として宗徒に語る法話を出典にされている点で純粋に仏教学の問題として出典にするのは難しいと思います。特に、在家五戒を別解脱律儀とする解釈は『瑜伽師地論』に説かれる「三聚浄戒」説を受けたものであり、大乗仏教の学説ですので、プラーティモークシャの原義としても不適当です。--Ryo 625(会話) 2019年2月1日 (金) 15:35 (UTC) [返信 ]


たびたび失礼いたします。奈良康明の『説戒』を参考にしたのは、ご指摘の通り、不適当でした。しかし、中村先生の以下の文章を取り上げるのは如何でしょうか。 この解釈は、直接には単語の説明をしておりませんが、原始仏教成立時の波羅提木叉の説明としては適当かと思います。


中村元、『中村元選集[決定版] 第14巻 原始仏教の成立』、春秋社、1992年 第四章 四 求道の生活(戒律) (五) 最初期の戒律箇条


このようにひとつひとつの戒めを守っていることが「別々の解脱」(別解脱 pātimokkha)とよばれるものであったし、また、ニルヴァーナにほかならなかった。 336頁


ここからわれわれは実践に関して結論を導き出すことができる。すなわち、〈解脱〉とは熟睡のようなひとつの状態に安住することではなくて、われわれが過ちを犯すかもしれないそのひとつひとつについて不断に気づかっていることである。ひとつの戒めを守ることが、ひとつの解脱なのである。ニルヴァーナとはわれわれが不断に注意して実践していくことであり、それのみに尽きている。 336-337頁


もし、ご同意頂ければ、サンスクリット、パーリ語の単語の後に註として入れたいと思いますが、ご意見を頂ければと思います。。--Jan Johane Pieter(会話)2019年2月2日(土)05:14 (UTC)

返信 プラーティモークシャを守ることとニルヴァーナ、解脱を同一視する説は論拠に乏しく、「中村元によれば...である。」という発言者を明記するのがふさわしいと思われます。--Ryo 625(会話) 2019年2月2日 (土) 10:04 (UTC) [返信 ]

度々申し訳ありません。波羅提木叉に「別解脱」の訳もあると思いますが、なぜ、これを削除されたのでしょうか。お教え頂ければとお思います。--Jan Johane Pieter(会話)2019年2月5日(土)14:06 (UTC)

返信 出典である『精選版 日本国語大辞典』に掲載されていなかったからです。申し訳ありませんが、出典を確認してから記載通りに編集するようお願いします。(今回は私が修正しましたが)--Ryo 625(会話) 2019年2月5日 (火) 15:37 (UTC) [返信 ]

会話内容を全て削除される行為につきまして

こんにちは。Ryo 625さんが青鬼よしとの会話内容を通知・説明なく削除を繰り返す行為[6] [7]につきまして、青鬼よしの会話ページにて説明をお願います。[8] なお、この、短い連絡でさえ削除されるということでしたら、不本意ではございますが、貞本義行の件も併せてコメント依頼を提出して第三者を交えての会話とさせていただきますので、ご承知ください。--青鬼よし(会話) 2019年12月7日 (土) 13:04 (UTC) [返信 ]

コメント 青鬼よしさんの会話ページではなく、ここで述べさせてもらいます。編集の要約にも書きましたが「会話の要求ではなくある種の印象操作が目的のように見えるため」です。--Ryo 625(会話) 2019年12月10日 (火) 05:46 (UTC) [返信 ]
会話の記録を無断で廃棄しないという条件を満たしている青鬼よしの会話ページに回答ください。この条件下での会話ができない場合は、その旨を表記してください。--青鬼よし(会話) 2019年12月10日 (火) 14:50 (UTC) [返信 ]
返信 同じことの繰り返しにしかなりませんが、貴殿の会話ページに記載して欲しい旨、了解しました。--Ryo 625(会話) 2019年12月10日 (火) 14:53 (UTC) [返信 ]
青鬼よしは「見えるため」について具体的な説明を求めておりますが、引き続き、青鬼よしのページで会話を続けていただくことはできますか。(これが「会話の要求」に見えないということでしたら、その旨を記載ください。)--青鬼よし(会話) 2019年12月10日 (火) 15:23 (UTC) [返信 ]

コピー&ペーストによる新規記事作成の中止のお願い

こんにちは、Ryo 625さん。記事名を変更する際に、新しい記事を作ってそのまま内容をコピー・アンド・ペーストされているようですが、履歴保存の都合上、ページ名の改名を使うことが強く推奨されています。

また、そのような移動はWikipedia:ウィキペディア内でのコピーをお読み頂きますとお解りの通り、GFDLおよびCC-BY-SA違反となり削除対象となりますので、Wikipedia:ページの改名をお読みのうえ、移動を行っていただくようお願いします。

ただし、この機能は「自動承認された利用者」でなければ使えません。機能が利用できない場合は移動してほしい旨をその記事のノートページに書いて他のログインユーザに移動をお願いしてください。以上、よろしくお願いします。

移動先が存在してる場合はWikipedia:移動依頼が必要です。--Yuasan(会話) 2020年7月15日 (水) 11:43 (UTC) [返信 ]

他人の発言を改ざんする行為について

他人の発言を勝手に改竄することはウィキペディアでは荒らし行為に該当します。 こんにちは、Ryo 625さん。利用者‐会話:Ryo 625で他の方の発言を無断で編集しておられましたが、そのような編集はウィキペディアでは他人の発言の勝手な除去・改ざんと見なされることがあり、ウィキペディアでの荒らし行為 と認識され、重大問題とされています。

こういった行為を繰り返されますと、最悪の場合投稿ブロックの対象とされる可能性 がありますので、今後は十分注意して頂き、同様の行為はお控え下さいますようお願いいたします。

ウィキペディアには非常にたくさんのルールがあり、煩わしさを感じるかもしれませんが、全ての編集に関わるユーザーが不必要に紛糾を招くことなく編集行動が出来るように定められたルールですので、ご理解とご協力のほど、よろしくお願いします。

では用件のみですが失礼します。--あじゃる丸(会話) 2020年7月15日 (水) 12:31 (UTC) [返信 ]

利用者会話ページでの白紙化等は裁量によってできますが、H:TPに「また、自分の会話ページについては、警告の隠蔽を除いて、白紙化も各自の裁量で自由に行うことが認められています。(ウィキの特性上、履歴は残ります。)」と記載されています。あなたがやっている除去行為は、コピペで作成した記事についての注意・警告を隠蔽しているのに変わりありません。-- Object*tofu (Benutzer / erzählen) 2020年7月15日 (水) 12:36 (UTC) [返信 ]
すみませんが、除去は「改ざんと変わらない=改ざんである」というのは論理の飛躍ではないでしょうか。即時に2人の編集者の方が私の会話ページを編集されて驚いています。2度目の自分で除去を指し戻そうと思ったのですが、Yuasan氏の気持ちを気付付けてしまったのなら謝罪いたします。--Ryo 625(会話) 2020年7月15日 (水) 12:40 (UTC) [返信 ]
あなたに改竄の意図がないとしても、今回Ryo 625さんが改名提案を行わずにコピー・アンド・ペーストを行ったことに対して問題視したYuasan氏の案内文を除去したことは問題です。これは論理の飛躍ではありません。--あじゃる丸(会話) 2020年7月15日 (水) 12:44 (UTC) [返信 ]
返信 そうですね、氏がページ移動の障害になっていた「出離」を削除依頼に出してくれているのも後で知りました。軽率なルール違反を注意してくださりありがとうございます。--Ryo 625(会話) 2020年7月15日 (水) 12:50 (UTC) [返信 ]
論理の飛躍ではなく、注意などの記述を除去する行為は、上の定型文にもありますが改竄や除去と受け取られてします。-- Object*tofu (Benutzer / erzählen) 2020年7月15日 (水) 12:48 (UTC) [返信 ]
返信 失礼しました。御忠告ありがとうございます。--Ryo 625(会話) 2020年7月15日 (水) 12:50 (UTC) [返信 ]

日本学術会議における中立的観点について

こんばんは。あなたは日本学術会議の記事において、外部からの公人による公式な批判を、「中立的」ではないとして削除していますが、批判は批判として一つの事実として書かれることは何ら中立性に違反していません。むしろ批判的な意見をことごとく削除するあなたの編集行為自体が中立的でないので、注意してください。--みしまるもも(会話) 2020年10月3日 (土) 12:10 (UTC) [返信 ]

返信 適当な重み付けをご確認ください。以下に重要と思われる記述を引用します。
中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます[注 1]。妥当な重み付けをすることと不当な重み付けをしないようにすることは、少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではないことを意味します。
以上です。--Ryo 625(会話) 2020年10月3日 (土) 12:16 (UTC) [返信 ]

日本学術会議への批判が「少数派」だという根拠は? --みしまるもも(会話) 2020年10月3日 (土) 12:48 (UTC) [返信 ]

返信 各批判がどれほど支持されているものか明確ではありません。ただ羅列してあるだけです。それではいけないことの根拠を再度要点だけに絞って引用します。
公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます
また、以下も重要だと思いますので、ぜひお読みください。(WP:NOTADVOCATE)
記事は、とりわけ時事問題に関するものでは、記載内容の間に妥当な釣り合いが取れるように配分し、中立的な観点に立たなければなりません。さらに、ウィキペディアの執筆者はすぐに陳腐化するような記事を書かないように努力すべきです。
以上です。--Ryo 625(会話) 2020年10月3日 (土) 12:55 (UTC) [返信 ]

在日特権の記事に対するタグ貼りや削除について

こんばんは。在日特権でのあなたの編集を見ましたが、少し過剰にタグを貼りすぎかと思います。記事の冒頭や節にもタグがありますから、一応は出典のあるものまでベタベタと貼るのは、何か逆に逸脱した行為となります。異議のあるものに対しては、その異議を裏付ける出典を出さないと、タグ貼りの「ルールの悪用」にもなり、逆にあなたの行為自体が中立性を欠いた独自研究になりますので、気をつけた方がいいかと思います。--みしまるもも(会話) 2020年10月3日 (土) 13:16 (UTC) [返信 ]

現実に独自研究や疑問点が多いので指摘しています。詳しい議論はノートをご覧ください。--Ryo 625(会話) 2020年10月3日 (土) 17:26 (UTC) [返信 ]

独立記念日について

こんばんは。独立記念日の転送先を変更された件についてです。主権回復の日が「独立記念日」として言及されることはほとんどないか、少なくとも米国等諸外国の「独立記念日」への言及と比べて圧倒的に少ないと思われるのですが、主権回復の日が転送先としてより適切だとお考えになる理由はありますか。今のところ私としては諸外国の独立記念日が一覧になっており各国の「独立記念日」項目の曖昧さ回避的役割も果たしている建国記念日が転送先としてふさわしいと考えており、再度元に戻させていただきたいと思っています。--What here area team (会話 / 投稿記録) 2021年2月15日 (月) 17:41 (UTC) [返信 ]

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