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蒲生仙

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蒲生仙

蒲生 仙(がもう せん、1856年(安政2年12月) - 1908年(明治41年)3月10日 [1] )は、日本の衆議院議員(自由党立憲革新党立憲改進党進歩党)。官僚

経歴

薩摩国 鹿児島郡荒田村(現在の鹿児島県 鹿児島市)出身[2] 1876年(明治9年)、司法省法学校に入り法律と経済を学んだ[2] 。参事院議官補となり、1885年(明治18年)に伊藤博文に派遣された際に随行員を務めた[2] 。その後、法制局 参事官に転じた[2]

1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4期務めた。

その後、拓殖務省参事官、同北部局長、内務省北海道局長を務めた[1] [3] 憲政本党常議員を務めた後[3] 島津家経営の山ヶ野金山館長に就任した[1]

脚注

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 
  • 『日本現今人名辞典 第3版』日本現今人名辞典発行所、1903年。 
  • 木戸照陽『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。 

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