石動町
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石動町 | |
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廃止日 | 1962年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 石動町、砺中町 → 小矢部市 |
現在の自治体 | 小矢部市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 西礪波郡 |
総人口 |
26,973人 (1962年) |
隣接自治体 |
福岡町、砺中町、福光町、砺波市 石川県:河北郡 津幡町 |
石動町役場 | |
所在地 | 富山県西礪波郡石動町今石動町 |
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石動町(いするぎまち)は、富山県 西礪波郡に存在した町。現在の小矢部市に当たる地域である。
地理
- 富山県の小矢部川中流の地域で、農業が主力産業である。また、農業と並び、紡績産業も石動町の主力産業であった。
- 1898年(明治31年)11月1日に、北陸本線 金沢 - 高岡間の開業と同時に石動駅が開設されてから、富山県の西の玄関口として発展し西礪波郡の中心地区となっていた。
- 現在の石動地区は北陸本線の他に北陸自動車道や国道8号などが整備され、交通の要所となっている。
歴史
- 石動という地名の由来は1585年(天正13年)、前田利秀が石動山の伊須流岐比古神社(現在の石川県 鹿島郡 中能登町)の虚空像菩薩を城下町であった現在の石動地区に移したことが起源とされている。その後、前田利秀は菩薩を移した地域を新しい「石動」という意味で今石動(いまいするぎ)と名付けた。石動の町名は今石動という地名から名付けられた。
- 当初、礪波郡発足当初は石動町に礪波郡役所が設けられたが、1886年(明治19年)に出町(現・砺波市)に郡役所が移転。この移転に憤慨して政界に進出した上埜安太郎により、1896年(明治29年)に礪波郡を東西に分けて西礪波郡に移行した際に再び石動町に郡役所が設けられて、1942年(昭和17年)からは西礪波地方事務所が設けられていた(1966年に廃止)。人口は26,973人(1962年)。
- 現在の小矢部市石動町(いするぎまち)は石動駅前の北側に位置している。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制導入により、今石動町・福町村・小矢部村・寄島村・上野本村・小矢部島村の全域、坂又村・畠中村・後谷村・桜町村・野端村・小神村の各一部、桜町村・上野本村の入会地を合併し礪波郡石動町が発足。
- 1896年(明治29年) - 所属郡が西礪波郡に変更される。
- 1953年(昭和28年)9月10日 - 西礪波郡宮島・子撫・南谷・埴生・正得・松沢・荒川各村と合併(新設合併)。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 西礪波郡北蟹谷村が編入合併。
- 1957年(昭和32年)9月30日 - 西礪波郡若林村の金屋本江・水牧の全域、下中・西中の西部が編入合併。
- 1962年(昭和37年)8月1日 - 西礪波郡砺中町と合併し、小矢部市が発足。