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エドワード・オブ・ノリッジ

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エドワード・オブ・ノリッジ
Edward of Norwich
2代ヨーク公

出生 1373年
イングランド王国の旗 イングランド王国ノリッジ
死去 1415年 10月25日
フランス王国アジャンクール
埋葬
イングランド王国の旗 イングランド王国、フォザリンゲイ
配偶者 フィリッパ・ド・ムーン
父親 ヨーク公 エドマンド・オブ・ラングリー
母親 イザベラ・オブ・カスティル
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エドワード・オブ・ノリッジ(Edward of Norwich, 1373年 - 1415年 10月25日)は、イングランドの王族。ヨーク公(1402年 - 1415年)。エドワード3世の五男であるヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーの長男で、母はカスティーリャペドロ1世の娘イザベラノリッジで生まれたことからこの名で呼ばれる。

生涯

ラトランド伯として
ヨーク公として
エドワード・オブ・ノリッジの紋章

1390年にラトランド伯位を与えられた。1397年にはオマール公とされたが1399年に剥奪され、1414年に再び与えられた。1402年、父の死によりヨーク公位を継承した。

1415年、アジャンクールの戦いで戦死した。エドワードは2代ダンスター男爵ジョン・ド・ムーンの娘フィリッパと結婚していたが子がなかったため、弟リチャード・オブ・コニスバラの息子リチャード・プランタジネットが相続人となったが、幼年であったため一旦王領となった後、リチャードが成人となってから与えられた。

参考文献

  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008, p. 111

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