長坂信宅
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長坂 信宅(ながさか のぶいえ、天文12年(1543年) - 慶長13年(1608年))は戦国時代の武将 [1] 。通称は小十郎、ちゃ利九郎、彦五郎[1] 。法名は玄心[1] 。長坂 "血鑓九郎" 信政の異名で呼ばれた長坂信政を父に持つ[1] 。徳川家康の家臣 [1] 。次男に長坂忠尚。
生涯
天文12年(1543年)、長坂信政の子供として生まれる[1] 。徳川家康に仕えて各地(掛川城の戦い・姉川の戦い・長篠の戦い)を転戦し、甲州征伐(天正10年(1582年))の際は穴山梅雪を調略して寝返らせた(この功績から大袖と黒馬を賜った)[1] 。小田原征伐(天正18年(1590年))では本多忠勝の指揮下で参戦し、秀吉が奥州へ攻め込んだ際は鉄砲頭を務めた[1] 。その後は本多忠朝に仕え、慶長13年(1608年)に伊勢国 桑名で死去した[1] 。享年66[1] 。墓所は桑名の長昌寺 [1] 。