入交家住宅
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入交家住宅(いりまじりけじゅうたく)は伊賀国(現在の三重県 伊賀市 相生町)に存在した武家屋敷。
住宅の概要
入交家住宅は、寛政(1789年 - 1800年)の頃に入交勘平が津藩から拝領した武家屋敷と伝えられる[1] 。敷地には主屋、長屋門、表屋、土蔵、味噌部屋(非現存)、米蔵(非現存)などを構え、主屋の南側と東側には庭園や畑が存在したとされる[1] 。床は板張りであり、畳は使用されていなかったという[1] 。三重県内では唯一長屋門が現存する武家屋敷である[2] 。
1998年 3月17日、三重県指定文化財となる。現在は一般に公開されており、入館料を払えば立ち入ることができる[2] 。
家主・入交氏
家主の入交氏は長宗我部氏に仕えた家系であり[3] 、津藩に仕えた一系が入交家住宅を建築した。
入交 蔵人(いりまじり くろんど、? - 天正14年(1586年))は、戦国時代に活躍した武将。長宗我部元親・信親父子の家臣。
元は熊野山の山伏の一族であったが、土佐国 香美郡田村に屋敷と所領を与えられ長宗我部氏に仕えた[3] 。天正14年(1586年)、九州征伐の一環である戸次川の戦いに参加し、16人の主従と討ち死にした[3] 。