コンテンツにスキップ
Wikipedia

ノート:塚原卜伝

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

これはこのページの過去の版です。TEKEBARU (会話 | 投稿記録) による 2012年1月8日 (日) 09:16 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (皆様、コメント頂きありがとうございます。コメント返信。)であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。

TEKEBARU (会話 | 投稿記録)による2012年1月8日 (日) 09:16時点の版 (皆様、コメント頂きありがとうございます。コメント返信。)

記事名で「塚原卜伝」とも書くのでは? 少々おぼつかないため、何とも言えませんが。書き足す場合でも良いので。Sat.K 2004年8月20日 (金) 08:56 (UTC) [返信 ]

朴伝よりも卜伝の方が一般に膾炙されていると思われるため、移動させました。ちなみにググったところ、「塚原卜伝」が3430件、「塚原朴伝」は110件でした。Yakouhai 2004年8月20日 (金) 08:56 (UTC) [返信 ]

移動させた後で気が付いたのですが、ここは「塚原卜伝」より、正式な「塚原高幹」とすべきでしょうか?--Yakouhai 2005年8月4日 (木) 22:18 (UTC) [返信 ]

卜伝のままでもよろしいかと思います。諱よりは現代まで広く伝えられている名前を「正式名」とした方が好ましいと思います。例えば宮本武蔵(諱は玄信)のように。--Bellcricket 2006年8月23日 (水) 13:52 (UTC) [返信 ]

外部リンクについて

この編集で追加された外部リンクについて。このリンクの掲載には、過去たびたび編集合戦が起きています。[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。 除去した方はIP氏を含め複数で、掲載された方はお一人です。掲載された方は一次資料が紹介され検証可能な論考と主張されていらっしゃるようですが、除去された方は「外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの指針を適用すること」に抵触、「参考文献に耐えられる内容ではない。学会や歴史家などの査読をとうしたものではなく、一方向な個人のプライベートな文章を参考文献として引用するのは歴史捏造」などといった理由を挙げられています。私もWP:ELに鑑みて、適切なサイトとは思えず、除去すべきと考えます。他にも、雲林院松軒飯篠家直天真正伝香取神道流須賀利御太刀など(まだあるかもしれません)で同サイトに外部リンクが張られていますが、これらも同様に考えます。WP:EL#基本的な考え方の「6.外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの指針を適用すること」に抵触せず、WP:EL#掲載してよい外部リンクの「2.情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」であることが明確に立証されない限りは除去すべきと考えますが、いかがでしょうか。--立花左近 2011年12月12日 (月) 11:28 (UTC) [返信 ]

(追記) 新陰流北畠具教亀山市倭姫命ヤマトタケル疋田景兼上泉信綱にも同サイトへのリンクがありました(まだ漏れがあるかもしれません)。--立花左近 2011年12月12日 (月) 12:02 (UTC) [返信 ]

初めましてwikipedia:塚原卜伝に『(7)塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』の外部リンクをさせて頂きましたTEKEBARUと申します。師走の取り込みでお返事が遅くなりました。御投稿での「編集合戦」との御指摘ですが、当リンクを削除された方々がwikipediaで定められたエチケット並びにルールに沿った削除ではない為「合戦」には当りません。先ずは申し添えさせて頂きます。
削除が開始された2010年6月から2011年7月6日の最終削除まで、計6回の削除理由は「無言での削除(白紙化)」が2回、「当リンクはスパムリンク」と誹謗中傷の(たぐい)が2回、2011年03月19日(外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの指針を適用すること。"に抵触する外部リンクを削除)、2011年07月06日(参考文献に耐えられる内容ではない。学会や歴史家などの査読をとうしたものではなく、一方向な個人のプライベートな文章を参考文献として引用するのは歴史捏造と言)、の削除理由については討論議論を要しますが各1度丈の投稿となっています。
『(7)塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』のリンクは版元「无手塾」様の了解を頂きTEKEBARUの責任に於いて貼らさせて頂きました。当論考はタイトルの前に(7)の数字が付されていますが如く、橋本菊月斎氏論考「新當流」 の一部論考です。「无手塾」ホームページ「新當流」の見出し説明文で熊本県城南町教育委員会と九州文化財研究所共同主催で2009年02月20日~03.22迄城南町歴史民俗資料館に於いて『新史料による「天草・島原の乱」-その時、徳川幕府はどう考えたか-』の展示会が開催されました。その際、「雲林院家文書」が出展され、その中の「雲林院光秀宛塚原卜傳允可状」も公開されました。(まさ)に驚天動地の超一級史料です。展示会でこの允可状を目の当たりにして国立熊本大学吉村豊雄文学部教授は感想を次の如く述べられています。此の歴史的な展示会が開催されて既に3年経過致しますが橋本菊月斎氏以外、武道史関係者、有名国立大学歴史学者の解説は無く、一番最初に解説を加えた当論考の意義は大きいと感じるのは私一人ではないと考えます。「九文研ウェブ・文化財ニュース」
この史料が公開される前に唯一「雲林院弥四郎」を武道家として重要人物である事を研究された方がいました。山本博文東京大学大学院教授がその人です。「宮本武蔵」研究の為、熊本藩「細川家文書」で一万点を超える書状の中から「雲林院弥四郎」を見出され着目されていたのです。流石の御慧眼と恐れ入る次第です。(小島英煕、宮本武蔵の真実)
橋本菊月斎氏の「新當流」論考は「雲林院弥四郎宛塚原卜傳允可状」が古今東西初めて公開されて、初めて学研的解説論考である事は明白であります。以上、要約ながら縷々述べましたが、橋本菊月斎氏論考「新當流」の一部『(7)塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』は、wikipediaの掲載してよい外部リンクの「2、情報の信頼性、検証の可能性において出典、参考文献として掲載するに値するサイト」に該当致しますので何等問題は無いと考えます。
橋本菊月斎氏は、これまでの時代が解らぬ古伝承(だけ)に基づいた「伊勢愛洲氏五ケ所出自説」を伊勢太神宮神官荒木田氏経卿に依る「内宮引付」や同じく神官に依る「荒木田守(あさ)引付」更に「大乗院寺社雑事記」等、正史研究でも一級史料や「南狩(なんしゅう)遺文」「大日本史料」等を駆使され文明年間愛洲伊予守忠行が伊勢太神宮神領奉行であった事を証明されました。依って「情報の信頼性、検証可能性等において書籍や学術論文等と同様の水準を保っており」三重県立図書館国立国会図書館でのレファレンス共同データベース等で採用されていることでも裏付けられています。以上、御参考まで。--TEKEBARU 2011年12月25日 (日) 03:49 (UTC) [返信 ]
ご丁寧なご返答ありがとうございます。編集合戦という言葉はいささか正確性を書いておりましたので、お詫びいたします。
さて、端的に申し上げます。私が問題と思っておりますのは、この外部リンクそのものについてであり、「雲林院光秀宛塚原卜傳允可状」についてではありません。同文書について、しかるべき方がしかるべき媒体で論考されている分には、それを出典として使うのは全く問題はありません。問題なのは、ご説明によればこのサイトが橋本菊月斎氏なる方によるものという点です。私がざっと調べた限りでは、大変失礼ながらその分野で学者と同程度に認められている方とはとても思えず、論考の発表媒体もご自身によるサイトとなると、WP:RS#情報源にある「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」には当たらないと思われます。まして、丸々サイトを外部リンク欄で載せるというのは、中立的な観点からも問題ありと考えます。なお、レファレンス協同データベースのレファレンス事例詳細は、「参加館で行われたレファレンスサービス(質問回答サービス)の記録[13]」にすぎず、免責事項に「紹介する情報および情報源に対して、当館は何らかの宣伝や権威付けを行うものではなく、当館ウェブサイトからリンクされているサイトについて、そのサイト又は掲載情報の正確性、合法性、安全性等を保証するものではありません」とあるように、「情報の信頼性、検証可能性等において書籍や学術論文等と同様の水準を保って」いる裏づけには何らならないものです。もし、この橋本菊月斎氏の論考を記事内で使いたいのであれば、橋本菊月斎氏以外の第三者によって紹介された信頼できる情報源を使用する必要があると考えます。--立花左近 2011年12月25日 (日) 12:13 (UTC) [返信 ]

はじめまして。私は椿三十軒と申します。 私は、茨城在住の武道史愛好家で、茨城県下で開催されました無手塾の講演会やウェブサイトを愛読させて頂いております。 今回の討議のテーマは、武道史の基本的な素養があれば「wikipedia:掲載してよい外部リンク」の要件を満たしている事は一目瞭然です。立花左近氏の主張が揚げ足取りである事は、『リファレンス』への返答や『私が問題と思っておりますのは、この外部リンクそのものについてであり、「雲林院光秀宛塚原卜傳允可状」についてではありません。』『問題なのは、ご説明によればこのサイトが橋本菊月斎氏なる方によるものという点です。』等で明らかです。 現代武道史の大家といえども「飯篠長威」や「塚原卜伝」の記述は享保年間、日夏繁高の「本朝武芸小伝」の域を出なかったのを、橋本菊月斎氏は正史研究に供する事が出来る一級史料で見事に伝承だけの記述を一変させた功績は大きいと考えます。 立花左近氏のwikipediaの編集履歴を拝見する限り、もっぱら画像や出典タグ等戦国時代、織田信長にまつわる記事への編集が圧倒的に多い様に思われます。武道史上の人物は今回の「塚原卜伝」が最初の様で武道史の素養がある方とは到底思われません。大変失礼ながら人目に就かない、目立たない事項を編集されている事は大変殊勝な事で切り抜き新聞記事を貼り付ける作業は大変な手作業と思います。 当リンクは「wikipedia:掲載してよい外部リンク」の「2、情報の信頼性、検証の可能性において出典、参考文献として掲載するに値するサイト」に該当している事は明らかであり検証しようとされる研究者であればリンクサイト『(7)塚原卜伝「一の太刀」』から「慶賀論考―新當流―」へワンクリックする労を厭わないのは当然でしょう。 立花左近氏の「編集合戦」との早とちりはお笑いとして、氏のとんでもない「上から目線」の主張にはその「非礼さ」と共に呆れ果てます。これ以上当リンクの議論は不毛だと思います。TEKEBARU氏の主張に同意します。--椿三十軒 2011年12月31日 (土) 18:20 (UTC) [返信 ]

コメント コメント依頼から参りました。リンク先に貴重な情報があるのであれば、ぜひ追記するべきです。
それで、今回のリンクを編集されたTEKEBARUさんに確認したいのですが、議題となっている外部リンクについて、「外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンク」の2「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」に当たるとの事ですが、残念ながら、図書館には、一級の学術的史料と信頼性の低い書籍が玉石混合で蔵書されており、それだけだと2に当たる事の確認は難しいです。また、レファレンスは、歴史の専門家ではなく司書による情報提供であり、やはり2に当たる事の確認はちょっと厳しいです。この状況だと、いまリンクを追加しても、後で削除される可能性が高いです。
そのため、2に該当することを示す、橋本菊月斎の論文あるいは書籍が参照されている「学術雑誌」もしくは「歴史専門家の書籍」をお教え下さい。学術雑誌であれば、査読されているものがあればよりいいと思います。
TEKEBARUさんが該当する学術雑誌等を教えて下されば、立花左近さんも諸手を挙げてリンクの追記に賛成されるでしょう。-- 2012年1月1日 (日) 21:36 (UTC) [返信 ]
コメントコメント依頼から来ました。内容をざっと拝見しました。現状での議論は下記の2点に整理されるでしょうか。
(1) 橋本菊月斎氏のネット上の著述に外部リンクを張ることの是非。Wikipedia:外部リンクの選び方に抵触しないか否か。
(2) 橋本菊月斎氏の著述がWikipedia:信頼できる情報源に抵触しないか否か。
議論を拝見した限り、「橋本菊月斎氏のネット上の著述は、Wikipedia:信頼できる情報源 に抵触するので、Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンク の「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」に該当せず、外部リンクを張るのは適当ではない。」という、外部リンクを張ることを排除する側の主張に利があるように思えます。
橋本菊月斎氏の研究が有意義なものであれば、いずれWikipedia:信頼できる情報源の形で世に出、このような議論の必要性も消滅するでしょう。--Pooh456 2012年1月4日 (水) 01:45 (UTC) [返信 ]
TEKEBARUさん、コメント依頼を出していただきありがとうございます。また、コメントをお寄せいただいた方々ありがとうございました。この外部リンクは「編集合戦」という言葉はいささか不適切だったにせよ、過去記載と除去が繰り返されていたのは事実であり、議論することは決して不毛ではないと思っています。もちろん、コンセンサスなく私自身が除去することはありません。別に急を要する案件ではありませんので、コメントを参考にじっくり検討すればいいのではないでしょうか。さしあたり、TEKEBARUさんには超さんのご質問にお答えいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--立花左近 2012年1月4日 (水) 12:18 (UTC) (インデントを修正-- 2012年1月4日 (水) 13:38 (UTC))[返信 ]
超様、正月にもかかわらずコメント頂きましてありがとうございます。
まず、私の外部リンク貼り付けの意図を再度説明します。当ページは「日本の武道史」という世界で類のない範疇を論じています。平時では非合法な事も、戦時では合法とされる刀剣に依る殺傷法を伝授した人物を取り上げているのが塚原卜伝のページです。例えば「刀法」で「ハッと消えて、ハッと打つ」等は学術的に取り上げる事はそもそも出来ません。つまり、「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」が執筆の対象であり、同じく「日本の武道史」に分類される「直心影流」では流の興りから400年経った現在でも杉本備前守政元という実在が確認出来ない人物を流祖と仰いでいます。
さて、超様お問い合わせの『橋本菊月斎氏の論文あるいは書籍が参照されている「学術雑誌」もしくは「歴史専門家の書籍」をお教え下さい。』について、无手塾に問い合わせをしたところ、要件を満たす論考としては、平成18年10月13日、千葉県教育委員会に「飯篠長威墓の県指定史跡取り消しを求めた橋本菊月斎氏の論考」が一目瞭然と思われます。
无手塾HP「毎日新聞、平成18年10月13日(金曜日)掲載記事」
立花様の御指摘された「橋本菊月斎氏以外の第三者によって紹介された信頼できる情報源を使用」は、「毎日新聞」であり、御指摘の要件は満たされると思います。宜しく御賢察下さい。--TEKEBARU 2012年1月8日 (日) 09:16 (UTC) [返信 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /