山本聖子
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獲得メダル | ||
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日本の旗 日本 | ||
女子 レスリング・フリースタイル | ||
レスリング世界選手権 | ||
金 | 1999 ボーデン | 51kg級 |
金 | 2000 ソフィア | 56kg級 |
金 | 2001 ソフィア | 56kg級 |
金 | 2003 ニューヨーク | 59kg級 |
レスリングアジア選手権 | ||
金 | 1997 タイペイ | 51kg級 |
金 | 2006 アルマアタ | 59kg級 |
山本 聖子(やまもと せいこ、1980年 8月22日 - )は、日本の女子レスリング 選手。神奈川県出身
来歴・人物
- トキワ松学園高等学校、日本大学 通信教育部 商学部卒業後、ジャパンビバレッジに入社。
- 父は日本体育大学教授山本郁榮、姉美憂、兄徳郁の影響で5歳よりレスリングを始める。世界選手権では1999年に51kg級、2000年、2001年には56kg級、そして2003年には59kg級を制覇し、3階級で4度の世界王者となった。現役当時は主に59kg級で活躍。
- 2004年のアテネオリンピックでは女子レスリングが正式種目となった。しかし、世界選手権の7階級(48kg級、51kg級、55kg級、59kg級、63kg級、67kg級、72kg級)とは違い4階級(48kg級、55kg級、63kg級、72kg級)しか採用されなかった。オリンピック出場を目指しウェイトの軽い55kg級で出場するも、オリンピック第2次代表選考会を兼ねたジャパンクイーンズカップ決勝で55kg級の王者吉田沙保里に敗れ、48kg級の姉とともにオリンピック出場の夢は絶たれた。
- 2006年3月、大崎OSOL所属のハンドボール日本代表の永島英明と婚約。
- 2006年7月、結婚のため現役を引退し、ジャパンビバレッジを退社。姉・美憂がマネジメント契約をしていたスポーツビズの所属となった。
- 2007年、第1子(男児)を出産。
- 2009年1月、現役復帰することを発表。
- 2009年8月14日、3年ぶりの復帰戦となったポーランド・オープン女子59kg級に出場。4試合を勝ち抜き、優勝を果たした。
戦績
- 全日本女子選手権 優勝(2000, 2001) 準優勝(1999, 2003)
- 全日本女子オープン選手権(ジュニア) 優勝(1994, 1995)
- JOCジュニアオリンピック 優勝(1996, 1997, 1998, 1999, 2000) 準優勝(1995)
- ショーブ女子国際大会 優勝(1996) 準優勝(1997, 1998)
- アジア女子選手権 優勝(1997, 2006)
- 全国高校女子選手権 優勝(1997)
- 全日本女子オープントーナメント 優勝(1998)
- ジャパンクイーンズカップ 優勝(1999) 準優勝(2000, 2002, 2003, 2004)
- 世界女子ジュニア選手権 優勝(1999, 2000)
- 世界女子選手権 優勝(1999, 2000, 2001, 2003)
- カナダカップ 優勝(2002)
- クリッパン国際大会 優勝(2003)
- ポーランド・オープン 優勝(2003)
- ポーランド・オープン 女子59kg級 優勝(2009)
関連項目
外部リンク
スタブアイコン
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