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八木沼純子

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(2010年8月)
八木沼 純子
Junko YAGINUMA
フィギュアスケート選手
生誕 (1973年04月01日) 1973年 4月1日(51歳)
東京都
身長 157cm
選手情報
所属クラブ 品川プリンスクラブ
引退 1995年

八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年 4月1日 - )は、1980年代から1990年代にかけて活躍した日本フィギュアスケート選手。カルガリーオリンピック女子シングル代表。1995年からプロスケーターに転向し、スポーツキャスター、解説者としても活動している。マネジメント契約先はスポーツビズ愛称は「ジュンジュン」。

人物

東京都 港区出身。森村学園初等部、公立小学校、品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学 教育学部を卒業。

1988年、14歳の中学3年生にしてカルガリーオリンピック代表に選出された際、1987年の新語・流行語大賞流行語部門で銅賞に選ばれたゴクミ(女優の後藤久美子の愛称)になぞらえて、「銀盤のゴクミ」と呼ばれ人気を博した[1] ポニーテールの髪型と赤い頬がトレードマークだった。ポニーテールは1988-1989シーズンまで続けたが、1989-1990シーズン以降は髪型をショートカットにしている。

2009年6月、1歳年上の会社員の男性と婚約。挙式披露宴は同年9月に東京グランドプリンスホテル高輪にて行なわれた[1]

家族は工業デザイナーの父と母(森村学園で福原美和コーチの1学年上であった)。また、内閣総理大臣を2度務めた松方正義及び山本権兵衛玄孫にあたる。

技術・演技

表現力が豊かで、アマチュア時代当時の6.0システムによる採点法では芸術点が技術点を上回ることが多かった。スピンの技術が高く、中でもレイバックスピンの美しいと評された[2]

ジャンプは小学校1年生から飛び始めて、トリプルルッツは小学校5年生の時に初めて飛べた[3] が、アマチュア現役時代はトリプルルッツを苦手としていて、転倒や回転不足が多かった[4]

経歴

5歳でスケートを始める[5] 。品川プリンスクラブに所属し、福原美和に師事。1987年世界ジュニア選手権規定、ショートプログラムともに1位だったが、フリーでクリスティー・ヤマグチ柏原由紀子に次ぐ3位となり、総合2位で優勝を逃す。

1988年全日本選手権は、カルガリーオリンピックの日本女子代表2枠の選考会を兼ねていた。1枠目は伊藤みどりが確実視され、2枠目は小沢樹里加藤雅子結城幸枝の大学生トリオが有力視されていたなか、初出場の八木沼が2位となり14歳で五輪代表に選出された(第2次世界大戦後の冬季オリンピック女子代表選手としては最年少)。同大会3位に入賞した佐藤有香とともに中学生旋風を巻き起こした。しかし、カルガリーオリンピック本番では調整に失敗し、14位に終わった。

翌シーズンは、まだ優勝の無かった全日本ジュニア制覇と世界ジュニア日本人初優勝を目指してジュニアに残留した。しかし全日本ジュニアでは佐藤有香に逆転され2位。世界ジュニアでも2位に終わった。その後、全日本選手権で何度も表彰台に上ったものの優勝には手が届かず、アルベールビルオリンピックリレハンメルオリンピックにも出場できなかった。1994-1995シーズンをもって競技引退。最後のシーズンはNHK杯3位入賞、世界選手権12位だった。

1995年、早稲田大学を卒業し、株式会社プリンスホテル入社。プリンスアイスワールドに所属しプロスケーターとしての活動を始める。10月からはスポーツキャスターとしてフジテレビに出演。1999年4月よりフリーとして活動。2007年、「JOCスポーツ環境委員会」環境アンバサダーに就任。

主な戦績

大会/年 1986-87 1987-88 1988-89 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95
オリンピック 14
世界選手権 21 15 12 11 19 DNQ 12
全日本選手権 2 2 3 3 3 2 4 2
NHK杯 6 8 5 12 3
ユニバーシアード 1
世界Jr.選手権 7 2 2
全日本Jr.選手権 2 2 2

家族

  • 工業デザイナーの父と母(森村学園で福原美和の1学年上であった)

テレビ出演番組

ラジオ出演番組

レギュラー出演
ゲスト出演

書籍

脚注

  1. ^ a b 八木沼純子"懐の深い"37歳会社員と結婚 スポーツニッポン 2009年6月2日
  2. ^ 1990年のNHK杯のショートプログラムでも「綺麗なレイバックスピン」と解説している。
  3. ^ 2008年12月7日放送『YOSHI!SPO!VITAL!』(関西テレビ)第36回 フィギュアスケート
  4. ^ 1989年のNHK杯のフリースケーティングでは解説者の不安をよそに見事成功させた。
  5. ^ 『Stay Gold』p.230

外部リンク

FNNスーパータイム歴代メインキャスター
期間 メイン アシスタント
平日 週末 月 - 木曜日 金曜日 週末
1984年10月1日 1985年3月29日 逸見政孝 1 (放送なし) 幸田シャーミン 2 (放送なし)
1985年4月1日 1986年9月30日 陣内誠 城ヶ崎祐子
1986年10月1日 1987年3月31日 山中秀樹
1987年4月1日 1987年9月30日 幸田シャーミン 2 野間脩平
1987年10月1日 1988年3月31日 野間脩平 安藤優子
1988年4月1日 1989年4月2日 黒岩祐治 安藤優子 2 小田多恵子
1989年4月3日 1990年6月30日 上田昭夫
1990年7月1日 1990年9月30日 八木亜希子 3
1990年10月1日 1991年3月31日 田代尚子
1991年4月1日 1992年3月31日 黒岩祐治 小林穂波
1992年4月1日 1993年9月26日 露木茂 山中秀樹 吉崎典子
1993年9月27日 1994年3月31日 近藤サト
1994年4月1日 1997年3月30日 松山香織 2
  • 1  『FNNニュースレポート6:00』から続投。
  • 2  アシスタントはオープニングタイトルコール(「スーパーターイム」と発する)を行った。
  • 3  小田の報道局異動に伴い、中継ぎの形で担当。

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