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岸孝之

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岸 孝之
埼玉西武ライオンズ #11
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県 仙台市 太白区
生年月日 (1984年12月04日) 1984年 12月4日(39歳)
身長
体重
180 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 希望入団枠
初出場 2007年3月30日
年俸 1億2,000万円(2010年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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岸 孝之(きし たかゆき、1984年 12月4日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。マネジメント契約先はスポーツビズ

プレースタイル

細身だが、しなやかな腕から繰り出すストレート(レギュラーシーズンでの最速は148km/h)と、鋭く曲がるスライダーや、大きく落ちるカーブを武器とした、緩急を生かした幅の広い投球で奪三振数も多め。トレードマークでもある長髪は大学3年から。端正で細身なスタイルと甘いマスクで人気が高い。

持ち球:ストレートスライダーカーブチェンジアップフォークカットボールツーシーム(シュート)。

経歴

プロ入り前

社会人野球七十七銀行硬式野球部の元監督である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年となった1993年(平成5年)から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。その後仙台市立柳生中学校宮城県名取北高等学校へと進学。高校3年生となった2002年(平成14年)夏の宮城県大会では2回戦で敗退し、甲子園出場を経験することはなかった。

"東北の快腕"と呼ばれた大学時代は、東北学院大学でエースとして活躍し、仙台六大学野球リーグでは強豪の東北福祉大学戦に完封を含む3連投をする活躍で敢闘賞を受賞、同大学の35連覇を阻止、東北学院大学の18年ぶりリーグ制覇に貢献した。MAX152km/hのストレートと、"西口2世"とも呼ばれるほど切れ味抜群のスライダーを武器に2006年春には、リーグタイ記録となる19奪三振を 2度マークするなどリーグ新記録の92奪三振をマークし、最優秀選手賞(MVP)に輝いた。

日米大学野球選手権大会世界大学野球選手権大会の両大会においてエース級の活躍を見せ、2006年(平成18年)の日米野球ではアメリカを無失点に抑えるなど大学ナンバーワン右腕と称される。大学通算成績は、23勝11敗。

西武ライオンズと地元の東北楽天ゴールデンイーグルスが、さらにドラフト直前には大隣憲司の獲得を断念した読売ジャイアンツ希望枠での獲得を目指すが、最終的に当初から目を掛けてくれていること、尊敬する西口文也のいることを理由に西武を選択した。2006年大学生・社会人ドラフトで、希望枠で西武ライオンズに入団した。

プロ入り後

2007年開幕直後から一軍先発ローテーションに定着。二度目の先発投手となった4月6日オリックス・バファローズ戦でプロ初勝利を上げる。チームが低迷する中コンスタントに勝ち星を挙げ、チームの新人では松坂大輔以来となる二桁勝利(11勝)をマーク。チーム2位の防御率3.40、奪三振数はチームトップの142を記録した。

チームの10連敗を止めるなど3度の連敗ストッパーとして活躍し、新人離れしたマウンド度胸も見せた。ただ156.1イニングで与四球55と、同じく新人である田中将大(楽天)に次ぐリーグワースト2位の四球を与えてしまい、制球面で課題を残した。

シーズン終了時に田中と11勝7敗で並び、新人王争いが注目された。防御率は岸の方が上だったが、投球回数ならびに奪三振数は田中の方が上のため、新人王の座は田中に譲る形となった。しかし好成績を残したことが評価され、パ・リーグ特別表彰として「優秀新人賞」を受賞。

2008年初登板の3月26日北海道日本ハムファイターズ戦を完封勝利で飾るものの、シーズン序盤は打ち込まれるケースが続いた。シーズン中盤から調子を上げ、8月11日、1950年の球団創設以来4000勝目となる勝利を8回無失点で飾った。8月の月間成績は3勝0敗防御率1.32で、自身初となる月間MVP(8月)を受賞。その後も好調を維持し、シーズン終了時には前年を1勝上回る勝ち星12勝、負け数も4と減らし、課題の四球も48と減って、リーグ優勝に貢献した。オリックス戦と相性が良く、6試合登板し4勝、防御率1.71とオリックスキラーぶりを発揮した。その一方でロッテ戦は防御率6.10と苦手にしており、シーズン4敗のうち2敗はロッテ戦であった(2009年は3試合3勝1完封防御率1.93と苦手意識を払拭した)。

クライマックスシリーズ(CS)では第2戦に先発、日本ハムのダルビッシュ有と投げ合うが4回5失点でノックアウトとなり、チームも完封を喫し負け投手となってしまう。

読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは11月5日の第4戦に先発し、登板前には「緊張して吐きそう」とマスコミに漏らしつつも、クライマックスシリーズでの不振が嘘のように三振の山を築きあげる。結果的には147球を投げ1981年の西本聖(巨人)以来2人めとなる27年ぶりの毎回奪三振、2005年の渡辺俊介(ロッテ)以来12人目となる3年ぶりの日本シリーズ初登板初完封(初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)という快記録を達成した。ヒーローインタビューでは第5戦以降の抱負をきかれたときに「行けと言われたら行きます。」と発言した。そして2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦では、4回裏1死1、3塁から先発の帆足和幸を東北学院大時代以来となる中2日でリリーフ登板。プロ入り後初のリリーフ登板であったが、9回までの5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となった。また、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立した(第4戦1〜9回、第6戦4〜6回)[1] 。逆王手をかけた西武は11月9日の第7戦、3-2で勝利し日本一を達成。岸はこの活躍で日本シリーズMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した。上記のとおり読売ジャイアンツを得意とし、交流戦では8イニングを投げ防御率は1.13、日本シリーズに至っては14+2/3イニングを投げ無失点と「巨人キラー」としても活躍した(日本シリーズを含む防御率は0.40)。

2009年、2008年シーズンの活躍が評価され、WBC日本代表の第一次メンバー候補35人に選ばれたが、最後までWBC公式球に対応できず、調整不足などもあって最終メンバー28人の候補から漏れてしまった。

しかし、シーズン開幕後はその鬱憤を晴らすかのような活躍を見せ、5月25日の広島戦で黒星を喫するまで開幕6連勝、自身の連勝も2年越しで12連勝を記録した。4月の月間成績は4試合4勝0敗だったが、月間MVPは同じく4勝0敗の田中将大に譲った。7月20日のオリックス戦で10勝目を挙げ、チームでは松坂大輔以来となる入団から3年連続での二ケタ勝利となった。この試合で対オリックス戦8連勝をマークし、2年連続でオリックスから最も多くの勝ち星を挙げた。前半戦を10勝1敗とリーグ最高勝率で折り返し、初めてオールスターゲームに選出された。8月15日の日本ハム戦で、7回まで無失点に抑えたが8回に自らの残したランナーを救援陣が返してしまって負け投手になり、対パ・リーグ16連勝が途切れた。8月22日のロッテ戦で自己最多に並ぶ12勝目を挙げたが、それ以降は好投しても打線の援護が無く5試合連続で勝ちに見放された。シーズン最終戦10月1日のロッテ戦で、ペナントレースでは初めての救援登板で7回途中から9回まで無失点で投げ切り、9回裏にチームがサヨナラ勝ちして初の救援勝利を手にし、自己最多を更新する13勝目をマークした。 2010年開幕2戦目では敗れたものの、その次の登板から5月24日広島戦まで7連勝、同日までナイトゲーム13連勝を記録し、同じ時期にデーゲームで7連勝を記録した帆足和幸と共に「昼王・帆足、夜王・岸」と呼ばれる活躍をした。

エピソード

  • 高校3年夏の宮城県大会1回戦の多賀城高戦で、この高校の選手として東北学院大学・菅井徳雄監督の息子が出場していた。この試合を観戦していた菅井監督は、息子のチームをノーヒットに抑える相手チームの岸に注目。無名校の投手だった岸に、スポーツ推薦での東北学院大学への入学を頼み込んだというエピソードがある。
  • 同じチームの先輩投手であった正津英志とは尊敬する師弟関係であり、岸が正津からピッチングのノウハウを学んでいる。2008年7月12日 対オリックス(スカイマークスタジアム)で岸がオリックスを7回2失点と好投したが、打線の援護のないまま同点の場面で降板、二番手投手として登板した正津が1イニングを無失点で抑えた。その後この試合が誕生日の石井義人が自らのソロアーチで祝い、中島裕之のセンターへのタイムリーで4‐2と勝ち越しに成功、チームはそのまま勝利した。中継ぎで登板し2年ぶりの勝ち星を得た正津はスポーツ報知へのコメントに「この勝ち星を先発の岸につけてあげたかった」と自分の勝利よりも後輩の岸を労う一面があった。
  • ナイトゲームに強く、2009年のシーズンのナイトゲームに登板した試合では16登板中12勝1敗だった。これに関しても岸本人も「朝が苦手」とコメントしている。その影響もあってかデーゲームは10試合登板中1勝4敗と苦手としている。このため、マスコミなどが「夜の帝王」と評してる場合がある。
  • 2008年11月5日に行われた日本シリーズ第4戦での史上12人目となる日本シリーズ初登板初完封、2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦での4回裏1死1、3塁からの中2日でのプロ入り後初となるリリーフ登板で、9回まで1人で投げ抜き5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となり、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立したという快挙を達成した背景には、尊敬する西口文也にシリーズ第7戦に絶対先発してもらいたかったから、という大きな思いがあった。このことからも分かるように、岸の西口に対する尊敬の念はとても大きい(岸の思いもあってか、翌日の第7戦は西口が先発した。登板内容は2回2失点と決して良いものではなかったが、後続の投手陣がその後の巨人打線を無安打無失点で完全にシャットアウトし、西武が2008年日本一を決めた)。
  • 喫煙者である[2]
  • 2009年9月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、4点リードの5回表に、フェルナンド・セギノールトッド・リンデン中谷仁に楽天球団史上初となる三者連続本塁打を浴びた。試合も6対10と逆転負けを喫している。
  • 地元のクリネックススタジアム宮城を苦手としており、2009年シーズン終了時点で未勝利である[3]
  • 一般的にはカーブを称賛されることが多いが、イチローにはストレートに着目された。曰く、「スピードガンだけだと140後半そこそこなのに、みんながファールだったり空振りだったりしている。多分、手から離れた時と実際に自分のところにきた時とでイメージが変わっているんだと思う」「スライダーとかフォークじゃなく、ストレートでカウントを奪えるピッチャーってのはなかなかいない」[4]
  • 交流戦でしか対戦しないが、広島戦を苦手にしており、2010年現在で未勝利どころか、2009年には自分自身の開幕からの6連勝、また前年からの12連勝がストップ。2010年にはナイトゲームの連勝がストップされている。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 西武 24 24 2 2 1 11 7 0 0 .611 650 156.1 131 16 55 1 8 142 2 0 62 59 3.40 1.19
2008 26 26 4 2 0 12 4 0 0 .750 695 168.1 151 12 48 0 5 138 4 0 65 64 3.42 1.18
2009 26 25 2 1 0 13 5 0 0 .722 755 179.2 168 25 53 2 5 138 3 1 73 65 3.26 1.23
通算:3年 76 75 8 5 1 36 16 0 0 .692 2100 504.1 450 53 156 3 18 418 9 1 200 188 3.35 1.20
  • 2009年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 11(2007年 - )

タイトル・表彰

  • 優秀新人賞(特別表彰) - 2007年
  • 月間MVP:1回(2008年8月)
  • 日本シリーズMVP:1回(2008年)

個人記録

初記録
日本シリーズに関する記録
  • 日本シリーズ初登板初完封:2008月11月5日、対巨人戦
  • 日本シリーズ12イニング連続奪三振:2008年11月5日1〜9イニングから、11月9日4〜6イニングまで 計12イニング (初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)

脚注

  1. ^ 西武岸、新記録だ12イニング連続K(『日刊スポーツ』2008年11月9日9時58分配信)
  2. ^ 週刊文春2009年2月26日号より。
  3. ^ 西武・岸投手「Kスタで勝ちたい」 仙台で「応援する会」
  4. ^ 2008年、テレビ番組「J-SPO」(TBS、同年12月21日付放送分)でのインタビューより参考リンク(livedoorスポーツ)

関連項目

球団
本拠地
文化
マスコット
球団歌・応援歌
永久欠番
日本一(13回)
クライマックスシリーズ優勝(1回)
リーグ優勝(23回)
できごと
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
大学生・社会人
高校生

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