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全6場所制覇

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全6場所制覇(ぜんろくばしょせいは)は、大相撲で年6場所開催される本場所のすべてで幕内優勝を達成すること。

概要

当然ながらまず6回以上優勝する実力が必要とされ、また開催地や開催時期にも左右されない安定感も求められる。このことから大力士の目安のひとつとされることも多い。ただしテニスゴルフなどで言うグランドスラムと同様、運不運も多分に関わる記録でもある。

この記録が注目されるようになったのは、曙の時代あたりからであり、本格的に論じられるようになったのは比較的新しい。平成20年(2008年)7月場所において、白鵬がこの記録を達成したときには、朝日新聞毎日新聞(いずれも2008年7月26日付)をはじめとして、複数のスポーツ新聞においても、過去にさかのぼって記録達成者の一覧が掲載され、偉業として扱われることが定着したといってよい。

ある特定の年に開催される6場所全てで優勝を達成する場合「年六場所完全制覇」と称される(テニス等の年間グランドスラムに相当)。これに該当するのは2005年(平成17年)の朝青龍だけである。

歴代達成者

- 1月場所
(東京・初場所)
3月場所
(大阪・春場所)
5月場所
(東京・夏場所)
7月場所
(名古屋場所)
9月場所
(東京・秋場所)
11月場所
(福岡・九州場所)
通算
優勝回数
大鵬幸喜 昭和37年(5) 昭和38年(10) 昭和38年(11) 昭和36年(2) 昭和36年(3) 昭和35年(1) 32回
北の富士勝昭 昭和45年(3) 昭和42年(1) 昭和45年(4) 昭和45年(5) 昭和46年(7) 昭和44年(2) 10回
輪島大士 昭和52年(10) 昭和49年(5) 昭和47年(1) 昭和49年(6) 昭和48年(3) 昭和48(4) 14回
北の湖敏満 昭和49年(1) 昭和52年(8) 昭和49年(2) 昭和53年(13) 昭和52年(9) 昭和51年(7) 24回
千代の富士貢 昭和56年(1) 昭和57年(4) 昭和57年(5) 昭和56年(2) 昭和60年(13) 昭和56年(3) 31回
曙太郎 平成5年(3) 平成6年(7) 平成4年(1) 平成5年(4) 平成5年(5) 平成4年(2) 11回
貴乃花光司 平成4年(1) 平成8年(12) 平成5年(3) 平成7年(10) 平成4年(2) 平成6年(7) 22回
武蔵丸光洋 平成10年(3) 平成11年(4) 平成11年(5) 平成6年(1) 平成11年(6) 平成8年(2) 12回
朝青龍明徳 平成15年(2) 平成16年(6) 平成15年(3) 平成16年(8) 平成15年(4) 平成14年(1) 22回
白鵬翔 平成20年(6) 平成19年(2) 平成18年(1) 平成20年(7) 平成19年(4) 平成19年(5) 8回
    • それぞれ各場所の初優勝。()内はその時点での優勝回数。太字の優勝で6場所制覇完成。
    • 朝青龍・白鵬については平成20年(2008年)9月場所時点。

達成者はみな最高位は横綱で、大関以下で7回優勝の最多記録を持つ貴乃花も横綱昇進後に全場所制覇を達成している。

効率という面で言えば武蔵丸で、初優勝から6回目の優勝までで〝無駄ツモ〟なしの全場所制覇完成だった。ただし初優勝から6度目の優勝まで4年を要している。スピード達成だったといえるのは朝青龍の初優勝から1年8ヶ月で、8回目の優勝で完成。北の富士と曙も7度目の優勝で全場所制覇を完成している。

逆に〝難産〟だったといえるのが、北の湖と千代の富士で、ともに13回目の優勝でようやく全場所制覇。貴乃花の12回目、大鵬の11回目での完成がこれに次ぐ。

参考・年6場所制以前入幕で5場所優勝の力士

各場所の初優勝 1月 3月 5月 7月 9月 11月 通算優勝回数
栃錦清隆 昭和35年 昭和28年 昭和29年 昭和34年 昭和27年 - 10回
若乃花幹士 (初代) 昭和33年 昭和35年 昭和31年 昭和33年 昭和33年 - 10回

当然ながら、全6場所制覇達成の前提条件は年6場所制以後の力士となるが、過渡期における第一人者、栃若時代の両雄が5場所までで優勝達成している。

栃錦は戦前の昭和14年(1939年)の初土俵で、初優勝の27年でさえ年3場所制、一番優勝と縁のなかった1月場所での初優勝が35年で初土俵から21年目で、これが最後の優勝だった。

ともに11月場所での優勝だけがなかったが、同場所は昭和32年(1957年)の新設から4年連続で大関以下が優勝、「横綱の優勝できない場所」のジンクスが破られたのは栃錦が引退した後の昭和36年(1961年)だった(優勝者は大鵬)。昭和33年(1958年)には、若乃花が千秋楽の1敗どうしの決戦で朝汐に敗れて優勝を逃したのである。

このほか、全場所制覇をあと1場所で逃した5場所で優勝の力士では、玉の海正洋がいて、1月場所だけ優勝がなかったが、現役死した昭和46年(1971年)には初日から14連勝しながら千秋楽で大鵬に逆転され、32回目最後の優勝を許している。

場所別優勝回数

- 1月 3月 5月 7月 9月 11月 東京場所 地方場所 通算
大鵬 6 5 4 4 6 7 16 16 32
千代の富士 5 3 4 6 4 9 13 18 31
北の湖 6 5 7 2 3 1 16 8 24
貴乃花 4 2 5 4 6 1 15 7 22
朝青龍 4 4 3 4 3 4 10 12 22
輪島 1 2 2 4 2 3 5 9 14
武蔵丸 1 2 2 1 3 3 6 6 12
1 2 2 2 1 3 4 7 11
北の富士 1 2 2 1 2 2 5 5 10
白鵬 1 1 2 1 2 1 4 3 8
  • 朝青龍と白鵬については平成20年(2008年)9月場所終了時点

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