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藩翰譜

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藩翰譜(はんかんふ)は、江戸時代の家伝・系譜書。著者は儒者の新井白石。全12巻。略称で、藩譜(はんぷ)とも言う。

元禄15年(1702)成立。元禄13年、甲府藩主の徳川綱豊の命を受けて編纂したという諸大名337家の由来と事績を集録し、系図をつけたもの。短時日に完成されたもので事実の誤呈があり,白石自身のちに補訂を加えた。写本で伝来したので巻次の差異や異本が多い。

藩翰譜続編は、幕臣の瀬名貞雄の著作。また類似したものに、『寛政重修諸家譜』、『寛永諸家系図伝』などがある。一般に言われる通説や、大名家に残っている家系図と同じとは限らず、比較考証が必要とされる。

藩翰譜の記述内容

藩翰譜の出典だが、折焚柴の記には、諸家の事共、尋ね究めて、と記載があり、伝聞に基づくものであることがわかる。また本文中にも、ある人のいう、一説にいう、などの記述があり、いずれも伝聞調の記述が見られる。他の史料を引用している記述は見られないことから、新井白石が伝聞に基づいて、独自の主観で編纂したものと思われる。明治に出版された藩翰譜の解説には、異本が非常に多く、善本により校正したとある。また、誤字脱字、語法の誤りを是正。家系図においても、寛政重修諸家譜で大幅に修正を加えると、ほとんど改修となってしまうと記載されている。

新編藩翰譜(全5冊);新人物往来社の目次

(第1巻:松平総系図/越前家/尾張家/紀伊家/水戸家/保科/甲府家/館林家/松平(方原)/松平(深溝)/松平(能見)/松平(荻生=大給)/松平(桜井)/松平(藤井)/松平(長沢)/水野/松平(久松)/増山/酒井/本多[中務少輔忠勝〜]/本多[中務大輔忠国〜]/本多[豊後守康重]/本多[越前守利長]/本多[飛騨守成重]/本多[縫殿助康俊〜]/本多[兵部少輔康将〜]/本多[伯耆守正永]/井伊/榊原/松平(越智)/田安/一橋/清水/松平(鷹司)/本庄/松平(滝脇)) (第2巻:大久保/石川/鳥居/内藤/植村/安部/渡辺/松平(戸田 二連木)/戸田/牧野[右馬允康成〜]/牧野[内匠頭信成〜]/松平(松井)/三宅/西郷/土岐/高木/酒井/土井/阿部/青山/永井/安藤/板倉/井上/森川/久世/稲垣/西尾/三浦/米津/伊丹/奥平) (第3巻:小笠原[兵部少輔秀政]/小笠原[掃部助信嶺〜]/岡部/諏訪/土屋/屋代/丹羽/山口/加々爪/北条/秋元/稲葉/堀田/太田/朽木/内田/柳生/小堀/池田/浅野/前田/京極/黒田/有馬/山内/堀[左衛門督秀治〜]/堀[丹後守直寄〜]/伊達/細川/加藤/藤堂/森) (第4巻:毛利[中納言輝元入道宗瑞〜]/嶋津/鍋島/蜂須賀/上杉/佐竹/岩城/秋田/相馬/丹羽/立花/新庄/土方/真田/九鬼/金森/分部/遠山/遠藤/一柳/市橋/桑山/仙石/溝口/南部/戸沢/津軽/六郷/水谷/那須/大田原/大関/亀井/伊東/中川/有馬/大村/毛利[伊勢守高政〜]/稲葉/脇坂/小出/加藤/谷) (第5巻:木下/相良/秋月/宗/松浦/久留嶋/織田/建部/片桐/青木/伊東/薩摩守殿/七郎殿/上総介殿/駿河殿/松平(竹谷)/水野/松平(大須賀)/平岩/五島/本多[佐渡守正信〜]/高力/天野/菅沼/北条/山岡/小笠原[和泉守吉次〜]/皆川/酒井[山城守重隆]/堀[市正利重]/蒲生/金吾/福嶋/加藤[肥後守清正〜]/最上/堀尾/田中/中村/筒井/里見/生駒/寺沢/富田/稲葉[蔵人道通]/徳永/西尾/古田[兵部少輔重勝]/古田[織部正重勝]/山崎/本多[因幡守俊政]/松下/高橋/関/杉原/前田/松倉/坂崎/戸川/平岡/藤田/竹中/佐久間/村上/石川/日根野/成田/佐野/滝川/柳沢/米倉/黒田/間部/加納/大岡/田沼/加々爪/桑山/那須/喜多見/坂本/西郷/水谷/伊丹/屋代/植村/金森/喜連川/松前)

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