コンテンツにスキップ
Wikipedia

七条明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。マルコヴィッチ (会話 | 投稿記録) による 2008年8月2日 (土) 07:18 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎人物 )であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。

マルコヴィッチ (会話 | 投稿記録)による2008年8月2日 (土) 07:18時点の版 (→‎人物 )
日本の旗 衆議院議員 七条 明
生年月日 1951年(昭和26年)8月1日
出身地 徳島県板野郡上板町
出身校 東京農業大学 醸造学科卒業
前職 徳島県議会議員
所属委員会 法務委員会常任委員長
(平成19年2月16日現在)
世襲
選出選挙区 比例四国ブロック(徳島2区で落選)
当選回数 5回
所属党派 自由民主党(高村派)
党役職 拉致問題対策特命委員会副委員長
金融調査会副会長
総合農政調査会副会長
食育調査会副会長
観光問題対策小委員会委員長
観光特別委員会副委員長
海運・造船対策特別委員会副委員長
航空対策特別委員会副委員長
たばこ・塩産業特別委員会副委員長
四国地方開発委員会副委員長
徳島県第2選挙区支部長
会館部屋番号 衆・第2議員会館614号室
ウェブサイト [衆議院議員 七条 明のホームページへようこそ]
テンプレートを表示

七条 明(しちじょう あきら、1951年 8月1日 - )は日本政治家衆議院議員徳島県 上板町出身。

人物

徳島県立阿波高等学校東京農業大学醸造学科を経て、清酒醸造元及び関連会社の役員を務めた。その後、1981年から徳島県議会議員を4期務めた後、1993年第40回衆議院議員総選挙で徳島県選挙区(全県一区)から自由民主党公認で出馬し、地元板野郡で大量得票することにより日本社会党仙谷由人を小差で凌ぎ初当選を果たした。

1996年第41回衆議院議員総選挙では選挙区調整の結果、板野郡が含まれる徳島県第2区での立候補を山口俊一に譲り、自身は自由民主党比例四国ブロック第4位に搭載され落選した。2000年 3月24日越智伊平死去により繰上当選した。2000年第42回衆議院議員総選挙では選挙区調整の結果、徳島県第1区に選挙区を移し岡本芳郎コスタリカ方式で交互に立候補することになり、自由民主党比例四国ブロック第3位に搭載され当選。2003年 第43回衆議院議員総選挙では、徳島県第1区において民主党 (日本 1998-)仙谷由人に敗れるも、比例復活で当選。2005年郵政解散に伴う第44回衆議院議員総選挙では、造反した山口俊一に対抗する自由民主党公認候補として本来の地盤を含む徳島県第2区から出馬。小選挙区では山口に敗れたが、比例代表四国ブロックで復活当選した。

大蔵政務次官や財務大臣政務官を歴任した後、2004年第2次小泉改造内閣内閣府副大臣を拝命した。2006年10月、衆議院法務常任委員長に就任。

郵政造反組復党問題で山口が自民党に復党し、山口と徳島2区の自民党公認候補を争っていたが2008年2月、古賀誠自民党選対委員長は七条の処遇を後回しにした上で山口を徳島2区の自民党公認候補とすることが発表された。

不祥事

政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。

脚注

外部リンク

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /