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エキスポランド

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曖昧さ回避 この項目では、大阪府吹田市の遊園地について説明しています。沖縄県にあった遊園地については「沖縄エキスポランド」をご覧ください。

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万博記念公園駅前より望むエキスポランド(2007年5月撮影)

エキスポランドとは、大阪府 吹田市にある万博記念公園に付帯する遊園地である。1970年に開催された大阪万博のアミューズゾーンとして作られ、閉幕後、1972年3月15日に営業を再開。敷地面積は約20万平方メートル。

運営は、山田三郎 会長(2007年 5月5日の事故当時は社長)が会長を兼務する遊具メーカー「泉陽興業」の子会社で「株式会社エキスポランド」が行っている。

概要

万博閉幕後のエキスポランドの運営、契約については売上げの95%が委託運営先会社のエキスポランドに交付されるという契約であるなど不明朗さがあり、1973年の衆議院予算委員会でも取り上げられたことがある[1]

ジェットコースターダイダラザウルスは模様替えしながらも当時から存在する。また南口部には当時のエキスポタワーが残されてシンボルとなっていたが、老朽化のために2003年に解体撤去された。

当遊園地は、万博開催時の建設にあたり阪急電鉄がプロデュースした経緯から、かつては阪急東宝グループに属していた[2]

後述する事故の影響で利用者が例年の2割以下に減少、また赤字もあり2007年 12月10日から当面の間休園となる予定である[3]

主なアトラクション

風神雷神II
1990年大阪府 大阪市の鶴見緑地で開かれた国際花と緑の博覧会(大阪花博)の会場内で運行していたスタンディングコースター「風神雷神」がモデル(初代のものは、熊本県 荒尾市グリーンランド<旧:三井グリーンランド>に移設された)。大阪花博では2本の軌道を使い、青を基調とした「風神」と、赤を基調とした「雷神」を同時走行することもあった。エキスポランドでは単独の軌道で、「風神」と「雷神」のいずれか1編成のみでの運行、多客時は1編成が走行中に相方の編成が出発準備をする形態をとっている。設計はトーゴ、製作は泉陽興業。下記に記載されている通り、廃止が決まっている。
テクノスター
1985年茨城県 つくば市で開催された科学万博つくば85の目玉として、高さ85mの大観覧車が製作された。製造は泉陽興業。閉幕後にエキスポランドに移設され、同園のシンボルになっている。
ビスタライナー
ビスタライナー
同じく科学万博での会場内の移動手段として泉陽興業が製作した小型モノレール。テクノスターとほぼ同期に大阪へ移り、園内の遊覧列車(同じ駅に戻ってくる)として運行中。

ジェットコースター「風神雷神II」の脱輪事故

2007年 5月5日昼12時48分頃、ゴールデンウィークで園内が賑わう上に、最も客が入場するこどもの日に、ジェットコースター「風神雷神II」の「風神」の車体から、車輪と関連する部品が外れ落下。当該車両が45°傾く事故が発生した。

この事故で乗客3人が落下。うち、19歳の女性1名が頭を手すりに強打し即死。その他、男性4人、女性17人の合計21人が病院に搬送された。さらに事故の目撃者で気分が悪くなった13人も病院で手当を受けたが、過度の恐怖や興奮でPTSDが懸念されている。この事故に伴いエキスポランドは同日の事故発生直後から休園となり、事故を起こしたコースターの点検などを行った。

事故の原因は、コースター車軸の金属疲労による折損で2両目が脱線し、急停止したことが事故につながったのではないかとみられている。また直前に、事故車両の部品が飛び散ったのが周囲の客に目撃されている。その後の調査で、同型車である「雷神」の車軸からも同様の亀裂が発見された。

外部機関等が全遊具を点検し、当局の捜査進展につれ、会社側の杜撰な管理体制が明るみになり、監督官庁に再発防止策(フールプルーフ等を採り入れた多重安全構造等)を報告するよう求められ、長期間の営業休止となった。

なお、エキスポランド以外の遊園地でも遊具の緊急点検や運行休止を余儀なくされた。

社長ら関係者は遺族に面会しようと通夜や葬儀に訪れても結局は断られていたが、6月17日に社長ら幹部5人が自宅を訪れ、初めて霊前で手を合わせることを許された。

一時は、7月20日から、プールのみの営業再開をしようとするため、茨木保健所が水質検査などを行い「安全」と確認されたが、阪口市長から「全施設の安全が認められなければ、プールのみの営業再開はしてはならない」としたため、プールのみの営業再開は断念。

2007年8月9日に株式会社エキスポランドの社長が吹田市役所で記者会見を行った。そして、全施設の点検が終了したことや、亡くなった女性の遺族から一定の理解を得た為、翌8月10日からエキスポランド側は安全宣言を出した上で「風神雷神II」を除く全50遊戯施設とプールで営業を再開した。また事故の起きた「風神雷神II」を廃止し、撤去を行うことも発表。しかし客足が伸びなかったため12月9日を持って再び休園し、絶叫マシーンなどを撤去し、改修工事に入るとしているが、再開時期は未定としている。

その他の事故・トラブル

  • 2006年8月20日13時35分頃、回転式遊戯施設「Gフォース」が運転中にほぼ水平状態で突然停止し、乗客の男女9人が一時、地上約9.7mで取り残されたが、約25分後に救助され、けが人はなかった。
  • 2007年8月10日(ジェットコースター事故からの再開初日)、小型コースター「ワイルドマウス」が緊急停止する事態が発生。発車直後にコースの最も高い位置まで車両を引き揚げる斜面の途中で、コンピュータに不具合が生じ安全装置が作動したため、車両が緊急停止した。
  • 同年9月15日14時頃、宙づり式ジェットコースター「OROCHI(オロチ)」が周回を終えホームに戻ってきた後、通常通りホーム直前で減速。乗客に腰の安全ベルトを外すよう指示する場内アナウンスが流れたが、停止せず2周目に突入、もう1周するトラブルがあった。その後に安全装置が作動して停止し、乗客約10人にけがはなかった。エキスポランド社は、オロチの運行を急遽取りやめた[4] 。同16日に点検を行い、さらに翌10月19日の吹田市建築指導課の職員による点検で、センサーの誤反応が原因と判明。なぜ誤反応が発生したかは突きとめられなかったが、再発防止策として二重の自動車両停止システムを導入し、同20日正午に運転を再開した[5]
  • 同年10月7日14時半頃、急流すべり「バックスピン」に乗船中の小学1年の男児がボートの縁に頭を打ち付け、救急車で搬送される事故が発生。コース最後の急流部分を下った直後、前列の男児が額をボートの縁にぶつけたため園内の救護所で手当てし、119番したという。事故を受け同園は、遊具の運転を中止し市に報告。安全ベルトが何らかの原因で伸びた可能性もあるとして、ベルトの伸びしろを30センチ短くし、市の了解を受け10日に運転を再開した。

交通アクセス

脚注・出典

  1. ^ 衆議院会議録情報第071国会予算委員会
  2. ^ 出典:『宝塚戦略』津金澤聰廣 著 講談社現代新書・1991年 ISBN4-06-149050-8 P.22(当該ページの元資料は『ハンドブック阪急'90』阪急電鉄広報室 1990年)。現在の阪急阪神東宝グループの一覧にはエキスポランドは記載されておらず関係はなくなったものとみられる。
  3. ^ YAHOO!ニュース2007年12月7日版より
  4. ^ コースター止まらずもう1周 エキスポランド 産経新聞 2007年9月16日報道
  5. ^ 大阪・コースター事故:「オロチ」再開 きょうから運行--エキスポランド /大阪 毎日新聞 2007年10月20日報道

関連項目

ウィキニュースにエキスポランドに関するニュースがあります。

外部リンク

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