小国城 (出羽国最上郡)
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小国城(おぐにじょう)は、山形県 最上郡 最上町本城にあった城。形式は山城である。
歴史
城が建立されたはっきりとした年は分かっていないが、戦国時代に現在の最上町域(小国郷)を支配した細川直元が「岩部の館」を築いたとされ、これが小国城の起源と言われる。
細川直元は、天童城主天童頼澄と同盟して、最上義光に敵対していたが、最上義光が天童氏を滅ぼすと、天正8年(1580年)に小国郷にも攻め込んできた。山刀伐峠を越えて攻め込んだ最上軍に対し、赤倉温泉付近にある平原、万騎ヶ原で迎え撃つがあえなく敗退、細川直元は討ち死に、小国郷は最上氏の領土となった。
最上義光は、万騎ヶ原の戦いで戦功があった蔵増安房守に小国郷を与えた。蔵増安房守嫡子光基は、家督を受け継ぐと小国光基と改名し、岩部の館を改修して小国城となった。
その後、小国氏の居城として使われていたが、最上氏が家督相続にまつわるお家騒動(最上騒動)で元和8年(1622年)に改易されると、小国氏も佐賀藩鍋島家預かりになって小国郷を去り、小国城は廃城となった。
構造
絹出川の南側に延びた標高290mの丘陵に位置している。山の北端を頂点にして本丸とし、南側に階段状に斜面を削って各郭を置いている。北端の背後には、尾根を利用した空堀とし、東側の谷にも郭を配置している。山麓には城下町を置いて、その周りを柵で囲っていたとされる。
アクセス
陸羽東線 最上駅から徒歩20分程度。いわゆる向町地区の東端に当たる本城地区の裏山が小国城である。
補足
- 小国城は、日本全国に数多く存在する。山形県においても同名の城があり、混同されがちである。