三木鉄道三木線
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三木線(みきせん)は、兵庫県 加古川市の厄神駅から兵庫県三木市の三木駅までを結ぶ三木鉄道の鉄道路線である。
路線データ
概要
美嚢川沿いの田園地帯を走り、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線と金物の町三木を結ぶ。
元々の開業意図が貨物輸送であり、当時の物流ルートであった美嚢川の舟運を代替する目的で加古川・高砂へ向かって線路が敷かれたため、歴史的な人的交流ルートとズレがあり、開業当初から旅客輸送は僅少だった。1937年に現在の神戸電鉄 粟生線が開業すると京阪神方面への旅客流動は更に減り、戦後の貨物輸送廃止後はジリ貧となっていた。このため第一次特定地方交通線に指定され、1985年に三木鉄道へと転換された。しかし、転換前は加古川への直通列車が主体で、そこそこの利便性があったが、転換後は加古川への直通列車もなくなり、一層乗客が減少するという厳しい状況が続いている。
三木鉄道は長らく保有車両が2両と旅客鉄道会社では日本最少だったが1998年末に1両増備されたため最少ではなくなった。営業距離も第三セクター鉄道では最短だったが2002年開業の芝山鉄道にその座を譲った。
経営改善を狙い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発中の線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル(DMV)を導入して、三木線の終点三木駅から約800m離れている神戸電鉄三木駅の間を直通することも検討していたが、2006年に三木市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約に掲げ当選した薮本吉秀市長が2007年 3月1日の市議会で全線の廃止を正式決定し、早ければ2007年度中に廃線の方針を表明した。4月26日には三木鉄道の取締役会でも廃線が決定された。廃線になれば、特定地方交通線から鉄道として存続した路線では7番目(うち第三セクター鉄道として存続した路線では5番目、さらにそのうち会社の名前も消滅する全線廃止のケースでは4番目)となる。
運行形態
線内折り返し列車のみ毎時1〜2本程度の運行で、ワンマン運転を実施している。交換可能な途中駅はなく全線1閉塞であり、1本の列車が線内を行き来している。
利用状況
輸送実績
三木線の近年の輸送実績を下表に記す。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
収入実績
三木線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色の枠で、最低値を青色の枠で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色の枠で囲んで表記している。
千円/年度 総合計
千円/年度
歴史
播州鉄道が開業した路線が、播丹鉄道を経て戦時買収されたもの。国鉄再建法の規定により特定地方交通線に選定され、第三セクターの三木鉄道に転換された。
転換にあたり、より利用しやすいよう簡素な構造の駅をいくつか新設している。このため、駅間距離は比較的短い。
- 1916年(大正5年)11月22日 - 播州鉄道 厄神〜別所間が開業。国包駅、石野停留場、別所駅開業。
- 1917年(大正6年)1月23日 - 別所〜三木間が開業し全通。三木駅開業。
- 1922年(大正11年)5月9日 - 石野停留場休止。
- 1923年(大正12年)7月1日 - 石野停留場営業再開。
- 1923年(大正12年)12月21日 - 播丹鉄道に譲渡。
- 1930年(昭和5年)12月20日 - 別所〜三木間に高木神前停留場開業。
- 1943年(昭和18年)6月1日 - 播丹鉄道が国有化、三木線となる。石野停留場を駅に格上げ。高木神前停留場廃止。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物営業廃止。
- 1981年(昭和56年)9月18日 - 廃止承認(特定地方交通線第1次廃止対象)
- 1984年(昭和59年)2月23日 - 第三セクター鉄道への転換を決定。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 三木鉄道に転換。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業。
駅一覧
*印は転換後に設置された新駅。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
厄神駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:加古川線 | 兵庫県 | 加古川市 |
国包駅 | 1.0 | |||
*宗佐駅 | 1.5 | |||
*下石野駅 | 2.0 | 三木市 | ||
石野駅 | 2.6 | |||
*西這田駅 | 4.3 | |||
別所駅 | 5.3 | |||
*高木駅 | 6.0 | |||
三木駅 | 6.6 |