ボールドネシアン
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ボールドネシアン | |
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欧字表記 | Boldnesian |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1963年 4月14日 [1] [2] |
死没 | 1975年 |
父 | Bold Ruler |
母 | Alanesian |
母の父 | Polynesian |
生国 | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 |
生産者 | William Haggin Perry[1] [2] |
馬主 | William Haggin Perry[1] |
調教師 | James W. Maloney |
競走成績 | |
生涯成績 | 5戦4勝[1] [2] |
獲得賞金 | 107,625ドル [1] [2] |
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ボールドネシアン(Boldnesian、1963年 - 1975年)は、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、種牡馬。競走馬時代はサンタアニタダービーを制し、その後種牡馬として活躍した。
経歴
[編集 ]母アラネシアンを所有していた馬主ウィリアム・ハギン・ペリーの生産したサラブレッドの牡馬で、そのままペリーに所有され、母と同じくジェームズ・マロニー 調教師のもとに預けられて競走馬となった[1] 。
競走馬としてのボールドネシアンはデビュー戦こそ敗れたものの、その翌戦で初勝利を挙げると以後連勝を重ね、サンタアニタダービーで2着馬をハナ差破って4連勝を遂げた。しかし、その後に膝に骨片が生じたため引退を余儀なくされた[1] [3] 。
種牡馬入り後
[編集 ]ボールドネシアンはフロリダ州のウィリアム・リード所有の牧場メアヘイヴン牧場で種牡馬となった。アメリカジョッキークラブの調べによれば、ボールドネシアンは生涯で253頭の産駒を出し、うち175頭が勝ち上がり、27頭がステークス競走勝ち馬になったとある[1] 。
代表産駒に、のちに種牡馬として成功しカナダ殿堂馬となったボールドラッカス(Bold Ruckus)がいる。ボールドラッカス以外ではジャージーダービー勝ち馬で、のちにシアトルスルーの父となったボールドリーズニング(Bold Reasoning)がいる。母の父としての影響も強く、母父としての代表産駒にはミスアレッジド(ブリーダーズカップ・ターフなど)やスカイウォーカー(ブリーダーズカップ・クラシックなど)、ローソサイエティ(アイリッシュダービーなど)などがいる。
ボールドネシアンは1975年、蹄葉炎のために安楽死の処置がとられた[1] 。
血統表
[編集 ] Nogara
Mumtaz Begum
Blenheim
Ariadne
Outdone
Pompey
Sweep Out
Blue Glass
Black Polly
Polymelian
Black Queen
Blossom Time
Double Time
Sir Gallahad
Virginia L.
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
出典
[編集 ]- ^ a b c d e f g h i Avalyn Hunter. "Boldnesian (horse)". American Classic Pedigrees. 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b c d "Boldnesian (KY)". EQUIBASE. 2022年5月20日閲覧。
- ^ Steve Cady (23 March 1966). "Knee Operation Sidelines Boldnesian for Six Months; INJURY IS TRACED TO COAST STAKES Bone Chips Developed in Santa Anita Derby Victory Baeza Hurt in Fall". The New York Times. https://www.nytimes.com/1966/03/23/archives/knee-operation-sidelines-boldnesian-for-six-months-injury-is-traced.html 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b c "血統情報:5代血統表|Boldnesian(USA)". JBISサーチ. 2022年5月20日閲覧。
- ^ a b c d "Boldnesianの血統表". netkeiba.com. 2022年5月20日閲覧。