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湘南社と頌徳碑
1883年(明治16年)から84年頃にかけて、養蚕と器械製糸の「湘南社」を設立し、そののち1893年(明治26年)に持田角左衛門とともに生糸共同販売団体の「盛進社」の設立[1] や、横浜若尾銀行藤沢支店の設立に関わった[2] 。この幾造の藤沢・高座郡域における養蚕業の貢献を顕彰して1914年(大正3年)に高さ661cm[3] の頌徳碑が建立された[4] 。この頌徳碑は遊行寺境内にあったが、2000年ごろに破壊され、現形をとどめていない[4] 。
(銘)
— 記念碑「若尾幾造君頌徳碑」、藤沢市文化財総合調査報告書 第9集 (補遺 2) [3]
若尾君幾造頌徳碑 正二位勲一等候爵西園寺公望篆額
(上部)若尾 幾造 君頌 徳碑
明治維新専奨励殖産興業海内諸州争製出産物况相模之為州西負連山東北接平野南臨
大洋気温度腴宜大出産物而不然者為無有力者誘導之也十六七年之交州之紳士有慨之
謀横濱豪商若尾君受指導為養蠶製絲設湘南社不幸末欠而廢社員有持田角左衛門者獨
力營業百折不墝遂用器械型絲君感其篤志謂是可以假力二十六年糾合同志興盛進社於
藤澤置橫濱若尾銀行支店貸資金築乾燥室貯生繭又屢捐資褒賞社員及工女於是絲質日
精良生額亦月増加遂輸出海外至興海内諸州角碓三十六年君進本社為共同販賣組合自
為其長与外商約豫賣又著書論桑園改善多方盡心致今日之隆盛是實君誘導扶助之力而
不負國家獎励之旨項者社員胥謀欲建大碑頌君功徳請余銘君名幾造為人寛厚温和持己
儉素為人謀而忠不吝財貨平生業貿易自建銀行兼任数十會社重職三十七八年之役以功
労叙勲五等賜兼貴族院議員現衆議院議員銘曰
自殖大産 除 人 忠謀善導 扶助郷紳 養蠶製絲 産業日振 内富黎庶
澤遍湘濱 外豉輸出 國力大伸 爱頌功徳 永勤貞珉
大正二年六月 從三位勲二等文學博士三島毅譔 井亀泉刻
正三位 日下部東作書
(碑前面)
大正十二年九月震災ノ為倒壊シタルヲ以テ此處ニ
之ヲ修築ス 現ニ若尾幾造君ハ正六位勲四等タリ
大正十三年十一月 (碑左側面)
頌徳碑建設産賛者芳名
(12段合計467名)
大正三年十一月建之 (碑背面)
出典
- ^ 斉藤 1990.
- ^ 大日本蚕糸会 1915.
- ^ a b 藤沢市文化財 1994.
- ^ a b 内海 2004.
参考文献
- 永瀬覇天郎『湘南概観』大日本蚕糸会神奈川支会蚕業共進会・高座郡外四郡連合農産物品評会協賛会、1915年、15-16頁。全国書誌番号:43003633 NDLJP:932665/22。
- 斉藤多喜夫「横浜の養蚕製糸業(横浜新風土記稿11)」(PDF)『開港のひろば : 横浜開港資料館館報』第31号、横浜開港資料館、1990年8月1日、8-10頁。
- 藤沢市教育委員会社会教育課 編『藤沢市文化財総合調査報告書 第9集 (補遺 2)』藤沢市教育委員会、1994年3月、97頁。全国書誌番号:94051378 NDLJP:12419668/54。
- 内海孝「〈歴史講座〉外国人と藤沢 -サミュエル=コッキングの事歴を中心に-」『藤沢市史研究』第37号、(続) 藤沢市史編さん委員会、2004年3月、11-30頁、全国書誌番号:00020819。