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尾形正己

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尾形 正己
基本情報
出身地 兵庫県 姫路市
生年月日 1953年5月12日
身長
体重
181 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
  • 新日本製鐵広畑
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

尾形 正己(おがた まさみ、1953年5月12日 - )は、日本の兵庫県出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手内野手

来歴・人物

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山崎高校では、1971年 夏の甲子園県予選投手中堅手として出場し、決勝に進むが、松本匡史らがいる報徳学園高校に惜敗した。高校卒業後に、1971年のドラフト会議読売ジャイアンツから4位指名されたが入団を拒否し、社会人野球の新日本製鐵広畑のチームに入団した[1] 。その後は、左翼手として活躍するようになる。

新日本製鐵広畑に在籍[2] していた時も、1974年のドラフト会議大洋ホエールズから5位指名されたが入団を拒否し、チームに残留した[3] 。その後、社会人野球でプレーし続け、1981年の都市対抗野球では、10年連続出場選手に選ばれた。その後も現役をつとめ、1988年まで17年連続出場を果たした。

現役引退後は、1987年から新日本製鐵広畑の監督を務めた[2]

脚注

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