アミュンタス2世
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アミュンタス2世(希:Ἀμύντας Β、ラテン文字転記:Amyntas II、紀元前5世紀)は、マケドニア王国の王位請求者である。
アミュンタスはマケドニア王 アレクサンドロス1世の子ピリッポス(王にならなかった)の子である。アミュンタスはオドリュサイの王シタルケスの援助を受け、当時のマケドニア王ペルディッカス2世(アレクサンドロス1世の子でアミュンタスの伯父にあたる)から王位を奪わんとしてマケドニアに侵攻した(紀元前429年)[1] [2] 。しかし、ペルディッカスや周辺のギリシア人 ポリスの抵抗、糧秣の不足、冬の到来のため、シタルケスはペルディッカスと講和の上撤退したため、アミュンタスは梯を外される形となった[3] [4] 。その後のアミュンタスについては不明である。
註
[編集 ]参考文献
[編集 ]- ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
- トゥキュディデス著、藤縄謙三訳、『歴史』(1)、京都大学学術出版会、2000年