コンテンツにスキップ
Wikipedia

富田玲子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年7月23日 (火) 21:06; 山田晴通 (会話 | 投稿記録) による版 (関連項目)(日時は個人設定で未設定ならUTC)

山田晴通 (会話 | 投稿記録)による2024年7月23日 (火) 21:06時点の版 (関連項目)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
この存命人物の記事 には、出典まったくありません 信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります
出典検索?"富田玲子" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2016年12月)

富田 玲子(とみた れいこ、1938年 9月24日 - )は、日本の女性建築家象設計集団の創始者の一人。現在象設計集団東京事務所主宰。

略歴・人物

[編集 ]

母は日本初の女性大使デンマーク大使を務めた高橋展子。父は軍医であったが戦死した。東京府に生まれ、高田馬場で育つ。戦時中は埼玉県疎開し、その後阿佐ヶ谷で育つ。代表作のドーモアラベスカはそのときの家を改修したものである。ピアノを音楽評論家藤田晴子に師事。

東京教育大学附属高校から東京大学理科二類に進学。1961年に東京大学工学部 建築学科を卒業し、大学院に進学。なお、東大建築学科初の女子学生であった。同年、林泰義と結婚。当初は吉武泰水研究室に所属していたがしばらくして丹下健三研究室に移籍。丹下健三とともにケヴィン・リンチの著書の翻訳を手がける。

1963年に修士課程を修了し、しばらくして吉阪隆正が主宰する建築設計事務所U研究室に所属する。1965年に休職し子育てと夫の親戚の家の設計に携わった後復職。1971年から、象設計集団設立に参加。設立後は主要なプロジェクトのほとんどに主導的に関わる。

設計活動のかたわらマサチューセッツ工科大学ペンシルベニア大学、東京大学、早稲田大学等で客員講師を務める。

代表作

[編集 ]
詳細は「象設計集団」を参照

初期には設立当初の沖縄の建築類には関与せず、ドーモアラベスカ、ドーモ・セラカント(現在は保養施設)、ドーモ・パレーラ、脇田邸、船曳・岸田邸などの住宅プロジェクトに主導的に関わり、1980年代から2000年ごろまでは主要なプロジェクトのほとんどに参加している。

著書

[編集 ]
  • 都市のイメージ 共訳 岩波書店 1968年、2007年新装
  • 小さな建築 みすず書房 2007年
  • 象設計集団『空間に恋して』工作舎 2004年 ISBN 4-87502-383-9

関連項目

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /