坂本健一
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避
この項目では、歴史家について説明しています。大阪市の古書店主については「坂本健一 (古書店主)」をご覧ください。
坂本 健一(さかもと けんいち、1874年3月 - 1930年?月[1] )は、日本の歴史家、著述家。 号は蠡舟(れいしゅう[2] ・いしゅう[1] )。坂本 健名義の著書もあるらしい。
生涯
[編集 ]兵庫県 淡路島 平民出身。1895年7月3日に旧制第四高等学校大学予科第一部を卒業、1898年7月10日に東京帝国大学文学部史学科を卒業。1900年北京京師大学堂(現・北京大学)の招聘を受け、7年間の出向を経て著述業に従事[1] 。
大正期には「コーラン経」(1920年、セイルらのクルアーン英訳本からの重訳)や「ムハメッド伝」(1923年)を著した[3] 。
著作
[編集 ]- 坂本健一『麻謌末』博文館〈世界聖典全集〉、1899年。
- 坂本健一、高桑駒吉『新撰東洋史』富山房、1901年。
- 坂本健一『日本風俗史』 48巻、博文館〈帝國百科全書〉、1910年4月。https://books.google.co.jp/books?id=m-ILAQAAIAAJ 。
- エドワード・ギボン『羅馬盛衰史』1918年。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001553944-00 。 翻訳。
- 『コーラン經』世界聖典全集刊行會〈世界聖典全集〉、1920年。 George Sale、Reverend John RodwellのThe Koran(1861) Edward Henry PalmerのThe Qur'an(1880)を参照したクルアーンの重訳。
- 『ムハメッド傳』1923年。
- 「成吉思汗傳」『成吉思汗非源義經』雄山閣、1925年。https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN1017202X 。
- 『通俗世界歴史』五巻(博文館)
関連人物
[編集 ]- 服部宇之吉
- 太田達人(文部省図書審査官)
- 桑野久任(東大助教授)
- 矢部吉禎(東大助教授)
- 氏家謙曹(二高教授)
- 西村熊二(工学士)
- 高橋勇(1891年東京美術学校 (旧制)絵画科入学、1896年卒)[6]
- 法貴慶次郎(後の東京市視学)
- 鈴木信太郎 (弘前高等学校長) [7]
- 林紓 清末の文人。数々の西洋小説の漢文文語訳で知られる。
脚注
[編集 ]- ^ a b c 日本児童文学大事典 - 大日本図書
- ^ 坂本, 蠡舟 - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ^ 坂本健一 とは - コトバンク(世界大百科事典【中東】)
- ^ "和解学の創成〜正義ある和解を求めて". 2020年6月14日閲覧。
- ^ 増田史郎亮「沖禎介の「文明学堂」創設前後の日中教育文化交流の一断面 ―文明学堂章程(条規)の資料紹介もかねて―」『長崎大学教育学部教育科学研究報告』第27巻、長崎大学教育学部、1980年3月、37-62頁、ISSN 0388-2802、NAID 110009624008。
- ^ "岡倉覚三「日本美術史」を読む 第一回 2008年6月6日,14". 2020年6月14日閲覧。
- ^ "魯迅と日暮里(29)南波登発の「亞細亞」への視線(4)古いものと新しいもの Something old, something new(下)". 2020年6月14日閲覧。