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孫襄

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孫 襄(そん じょう)は、古代中国の前漢時代の人物である。生年不明、紀元前104年死。番禺で反乱を起こした。臨蔡侯

解説

父の孫都はもと南越の役人で、南越が漢に攻められたとき、寝返って南越の相を捕え、その功績で南越滅亡後に漢の武帝により臨蔡侯に封じられた[1] [2]

漢書』景武昭宣元成功臣表によれば、孫襄は父の後を嗣いで侯となったが、太初元年(紀元前104年)に「番禺を撃ち、人を奪い、慮掠(掠奪)」した罪で死んだ[3] 。番禺は当時の南海郡、今の広東省にあり、かつて南越の都だったところである[4] 。この反乱についてはこの簡略な記載があるだけで、他に情報がない。

脚注

  1. ^ 『史記』巻113、南越列伝第53。ちくま学芸文庫『史記』7の281 - 283
  2. ^ 『漢書』巻95、西南夷両粤朝鮮伝第65、南越。ちくま学芸文庫『漢書』8の30 - 32頁。
  3. ^ 『漢書』巻17、景武昭宣元成功臣表第5、臨蔡侯孫都。
  4. ^ 『漢書』巻28、地理志第8下、南海郡。ちくま学芸文庫『漢書』3の415頁。

参考文献

外部リンク

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