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== 来歴・生涯 ==
== 来歴・生涯 ==
[[大坂]]出身。鶴家団十郎を名乗る以前の経歴には不明な点が多い。初春亭新玉の門下で三玉を名乗っていたという。または初春亭新玉門下の寿玉門下とも、または寿玉を名乗っていた時期もあるともいわれる。兄弟弟子の二玉とともに坐摩神社界隈の席で舞台に出ていた。この頃は素人の仁輪加であったという。明治20年代前半に鶴家団十郎と改名。二玉は団九郎と改名。鶴家団十郎という芸名は[[歌舞伎役者]]の[[市川右團次 (初代)|初代市川右団次]]の[[屋号]]の[[鶴屋 (歌舞伎)|鶴屋]]から(または[[鶴屋南北 (4代目)|四代目鶴屋南北]]の屋号)、団十郎は当時「劇聖」と呼ば(削除) 人気役者であっ (削除ここまで)た[[市川團十郎 (9代目)|九代目市川団十郎]]に由来。また紋も[[市川宗家]]([[市川流]])の三升を使用した。
[[大坂]]出身。鶴家団十郎を名乗る以前の経歴には不明な点が多い。初春亭新玉の門下で三玉を名乗っていたという。または初春亭新玉門下の寿玉門下とも、または寿玉を名乗っていた時期もあるともいわれる。兄弟弟子の二玉とともに坐摩神社界隈の席で舞台に出ていた。この頃は素人の仁輪加であったという。明治20年代前半に鶴家団十郎と改名。二玉は団九郎と改名。鶴家団十郎という芸名は[[歌舞伎役者]]の[[市川右團次 (初代)|初代市川右団次]]の[[屋号]]の[[鶴屋 (歌舞伎)|鶴屋]]から(または[[鶴屋南北 (4代目)|四代目鶴屋南北]]の屋号)、団十郎は当時「劇聖」と呼ば(追記) れ (追記ここまで)た[[市川團十郎 (9代目)|九代目市川団十郎]]に由来。また紋も[[市川宗家]]([[市川流]])の三升を使用した。


自らの時事ネタや歌舞伎のパロディーを題材にした仁輪加を「改良仁輪加」と称し団九郎とのコンビで[[1894年]]より千日前改良座に常打小屋に出演。[[1898年]]には東京[[明治座]]でも公演している。[[1906年]]まで改良座に出演し当時の長期出演記録を作る。団九郎との対立でコンビ解消後は堀江明楽座、また[[大和家宝楽]]と組んで鶴宝会を組織した。1909年に死去。墓所は[[寿法寺]](通称:紅葉寺)。
自らの時事ネタや歌舞伎のパロディーを題材にした仁輪加を「改良仁輪加」と称し団九郎とのコンビで[[1894年]]より千日前改良座に常打小屋に出演。[[1898年]]には東京[[明治座]]でも公演している。[[1906年]]まで改良座に出演し当時の長期出演記録を作る。団九郎との対立でコンビ解消後は堀江明楽座、また[[大和家宝楽]]と組んで鶴宝会を組織した。1909年に死去。墓所は[[寿法寺]](通称:紅葉寺)。

2020年12月12日 (土) 02:09時点における版

初代鶴家 団十郎(つるや だんじゅうろう、1846年(弘化3年)7月8日 - 1909年(明治42年)3月6日)は、上方仁輪加師。本名は辻岩吉。大阪(立売堀の槌橋北詰北入る西側)で父辻熊太郎、母タミの長男として出生。

来歴・生涯

大坂出身。鶴家団十郎を名乗る以前の経歴には不明な点が多い。初春亭新玉の門下で三玉を名乗っていたという。または初春亭新玉門下の寿玉門下とも、または寿玉を名乗っていた時期もあるともいわれる。兄弟弟子の二玉とともに坐摩神社界隈の席で舞台に出ていた。この頃は素人の仁輪加であったという。明治20年代前半に鶴家団十郎と改名。二玉は団九郎と改名。鶴家団十郎という芸名は歌舞伎役者初代市川右団次屋号鶴屋から(または四代目鶴屋南北の屋号)、団十郎は当時「劇聖」と呼ばれた九代目市川団十郎に由来。また紋も市川宗家(市川流)の三升を使用した。

自らの時事ネタや歌舞伎のパロディーを題材にした仁輪加を「改良仁輪加」と称し団九郎とのコンビで1894年より千日前改良座に常打小屋に出演。1898年には東京明治座でも公演している。1906年まで改良座に出演し当時の長期出演記録を作る。団九郎との対立でコンビ解消後は堀江明楽座、また大和家宝楽と組んで鶴宝会を組織した。1909年に死去。墓所は寿法寺(通称:紅葉寺)。

弟子には初代団之助(二代目はのちの漫才松鶴家団之助)、団蔵、団道理、団治(のちの初代渋谷天外)、団枝(のちの田村楽太)、軽口の鶴家団七・団鶴らがいた。また団九郎は団十郎没のちに二代目団十郎となる。団蔵の弟子に二代目団之助(のちの松鶴家団之助)、二代目団十郎の弟子に団福郎(鶴田浩二の叔父)、横山エンタツの相方であった杉浦エノスケらがいた。

平成元年度の大阪市「上方芸能顕彰」に舞踊家花柳有洸、舞台美術家大塚克三と共に顕彰される。

参考文献

  • 大衆芸能史資料集成 第八巻

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