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'''エルビト・サラバリア'''('''Erbito Salavarria'''、[[1946年]][[1月20日]] - )は、[[フィリピン]]の元[[プロボクサー]]。[[マニラ]]出身。元[[世界ボクシング評議会|WBC]]および[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[フライ級]]チャンピオン(削除) 。巧みなカウンターパンチを武器に、世界フライ級タイトルを2度獲得した (削除ここまで)。
'''エルビト・サラバリア'''('''Erbito Salavarria'''、[[1946年]][[1月20日]] - )は、[[フィリピン]]の元[[プロボクサー]]。[[マニラ]]出身。元[[世界ボクシング評議会|WBC]]および[[世界ボクシング協会|WBA]]世界[[フライ級]]チャンピオン。
== 来歴 ==
== 来歴 ==
2020年5月4日 (月) 11:53時点における版
基本情報 | |
---|---|
階級 | フライ級 |
国籍 | フィリピンの旗 フィリピン |
誕生日 | (1946年01月20日) 1946年 1月20日(78歳) |
出身地 | マニラ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 54 |
勝ち | 40 |
KO勝ち | 11 |
敗け | 11 |
引き分け | 3 |
テンプレートを表示 |
エルビト・サラバリア(Erbito Salavarria、1946年 1月20日 - )は、フィリピンの元プロボクサー。マニラ出身。元WBCおよびWBA世界フライ級チャンピオン。
来歴
1963年にデビュー。1967年5月13日、リック・マグラモを12回判定に破りフィリピンのフライ級王座を獲得。同年10月14日にマグラモとの再戦に敗れタイトルを失うが、翌年8月17日に再びマグラモからタイトルを奪還した。1969年10月18日には中村剛への再度のチャレンジが実り、12回TKOで東洋フライ級王座を獲得している。
翌1970年12月7日、チャチャイ・チオノイの持つWBC世界フライ級王座に挑戦し、2回KO勝ちで世界王座を獲得した。翌1971年4月30日にマニラで行われた初防衛戦では、花形進の前進をストレートパンチで阻み、15回判定で勝利した。しかし、同年11月20日のベツリオ・ゴンザレスとの2度目の防衛戦でドーピングによる失格負けを宣せられ、王座を剥奪された。同王座は1972年6月3日に王座決定戦でゴンザレスが獲得した。
1973年2月9日、ゴンザレスから強打者ベニス・ボーコーソーの手に移ったWBC同王座に挑むが判定負け。
1975年4月1日、富山県で花形進のWBA世界フライ級王座に挑戦、2対1の判定で勝利、2度目の世界王座を獲得した。同年10月17日、花形を再び僅差の判定に退け、初防衛に成功したものの、1976年2月27日、アルフォンソ・ロペスに15回判定で敗れて2度目の防衛に失敗、王座から陥落した。
関連項目
外部リンク
- エルビト・サラバリアの戦績 - BoxRec (英語)
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