「舟入本町停留場」の版間の差分
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== 歴史 ==
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2019年4月1日 (月) 02:59時点における版
舟入本町停留場 | |
---|---|
横川駅・広島駅方面ホーム | |
ふないりほんまち Funairi-hon-machi | |
◄E1 舟入町 (0.5 km) (0.3 km) 舟入幸町 E3► | |
所在地 | 広島市 中区舟入本町 |
駅番号 | ●くろまるE2 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■しかく江波線 |
キロ程 | 1.0 km(土橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1943年(昭和18年)12月26日 |
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舟入本町停留場(ふないりほんまちていりゅうじょう、舟入本町電停)とは、広島市 中区舟入本町にある広島電鉄江波線の路面電車停留場である。駅番号はE2。
歴史
舟入本町停留場は1943年(昭和18年)、江波線の開通と同時に開設された[1] [2] 。当初は江波線の終点であったが、半年後には当時の舟入南まで路線が延び[1] 、以降は線内の一停留場である。路線は1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により不通となったが、2年後の1947年(昭和22年)に全線で復旧を果たしている[1] 。
- 1943年(昭和18年)12月26日 - 江波線が土橋から当停留場までの区間で開業[1] [3] 。
- 1944年(昭和19年)6月20日 - 当停留場から当時の舟入南までの区間が開通[1] 。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により休止[1] 。
- 1947年(昭和22年)11月1日 - 江波線が復旧し、運転を再開[1] 。
- 2008年(平成20年)3月 - ホームの延長工事が行われ、連接車両に対応した停留場となる。
- 2013年(平成25年)2月15日 - 9号線の運行が八丁堀から江波まで延長され、当停留場にも乗り入れる。
構造
江波線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームを有する。ホームは低床式で2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されている[4] [5] 。ただし互いのホームは交差点を挟んで南北方向にずれて位置しており、交差点の北に土橋方面へ向かう上りホームが、南に江波方面へ向かう下りホームが置かれている[4] [5] 。
ホームは2008年(平成20年)に改良され、連接車両に対応した長さを持つ[4] 。
運行系統
「広島電鉄#運行系統」も参照
当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、6号線、8号線、9号線が乗り入れている。
上りホーム | 6号線 | 広島駅ゆき |
---|---|---|
8号線 | 横川駅ゆき | |
9号線 | 白島ゆき | |
下りホーム | 6号線 8号線 9号線 | 江波ゆき |
周辺
付近はおおむね住宅街である。停留場のある交差点から東西に商店街が伸びる。その端にはそれぞれ東に旧太田川(本川)、西に天満川が流れている。北側すぐには国道2号が東西に走っている。
- 舟入本町商店街
- 広島市立神崎小学校
- 広島市立舟入市民病院
- 広島医師会館
- 広島県立広島観音高等学校
- 住吉神社
- 広電バス 舟入本町バス停
隣の停留場
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、150-157頁。ISBN 4-533-05986-4。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、38頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年、430頁。
- ^ a b c 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、15・84頁頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103・108頁頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
参考文献
- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4。
関連項目
外部リンク
- 舟入本町 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄