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| Name = ストーン・ゴッサード<br/>Stone Gossard
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'''ストーン・カーペンター・ゴッサード'''('''Stone Carpenter Gossard'''、[[1966年]][[7月20日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[音楽家|ミュージシャン]]、[[シンガーソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]。[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]、[[パール・ジャム]]の[[リズムギター|リズムギタリスト]]として最もよく知られ、それ以前にも[[グリーン・リヴァー]]や[[マザー・ラヴ・ボーン]]で活動していた。他にも[[テンプル・オブ・ザ・ドッグ]]や[[ブラッド (バンド)|ブラッド]]での活動で知られる。

==パール・ジャムまでの活動==
===グリーン・リヴァー===
[[1984年]]、後に[[パール・ジャム]]の[[ベーシスト]]となる[[ジェフ・アメン]]、[[マッドハニー]]のフロントマンとなる[[マーク・アーム]]らと共に[[グリーン・リヴァー]]を結成する。翌[[1985年]]5月に[[ホームステッド・レコード]]より[[コンパクト盤|EP]]『Come on Down』でデビューし、[[1987年]]7月に[[サブ・ポップ]]からの初リリースとなるEP『Dry as a Bone』をリリースした<ref name="subpopbio">{{cite web |url=http://www.subpop.com/bio/green_river |title=Sub Pop Records biography |publisher=Subpop.com |date= |accessdate=2015年03月18日}}</ref>。[[1988年]]6月に唯一のフルアルバム『Rehab Doll』をリリースするが同年にメンバー間の対立により解散。

===マザー・ラヴ・ボーン===
グリーン・リヴァー解散後にゴッサードはアメンと共に[[マザー・ラヴ・ボーン]]を結成。フロントマンは[[マルファンクション]]のメンバーだった[[アンドリュー・ウッド]]が務めた。結成からすぐにバンドはレコーディングとライヴを開始し、[[1989年]]始めに[[ポリグラム]]と契約し、3月にEP『Shine』でデビュー。1stアルバムを[[1990年]]3月にリリース予定だったが、3月にウッドが[[ヘロイン]]の[[オーバードーズ]]により死去し、バンドは解散。ウッドの死後4ヵ月後に唯一のアルバム『[[アップル (アルバム)|アップル]]』がリリースされた。

===テンプル・オブ・ザ・ドッグ===
マザー・ラヴ・ボーン解散後の同年、子供の頃からの幼馴染であり、後の[[パール・ジャム]]の[[リードギター|リードギタリスト]]となる[[マイク・マクレディ]]を誘い[[テンプル・オブ・ザ・ドッグ]]を結成。このバンドはアンドリュー・ウッドを追悼するために結成され、同バンドにはグリーン・リヴァー時代からのバンドメイトであるジェフ・アメン、ウッドのルームメイトであった[[サウンドガーデン]]の[[クリス・コーネル]]が加入。その後パール・ジャムの[[ドラマー]]となる[[マット・キャメロン]]も加入し、バンドはコーネルがウッドの生前に書いた楽曲やゴッサードとアメンが以前に作成した[[デモテープ|デモ曲]]のリハーサルを開始する<ref name="Guitar World - Requiem for a Heavyweight">Alden, Grant. "Requiem for a Heavyweight." ''Guitar World''. July 1997</ref>。またオーディションによりパール・ジャムのフロントマンとなる[[エディ・ヴェダー]]も、コーネルとのデュエットやバックコーラス等で参加した。[[1991年]]4月に唯一のアルバム『[[テンプル・オブ・ザ・ドッグ (アルバム)|テンプル・オブ・ザ・ドッグ]]』を[[A&Mレコード]]よりリリース。

===パール・ジャム===
パール・ジャムは1990年にアメン、ゴッサード、マクレディで結成され<ref>{{cite web |last=Crowe |first=Cameron |url=http://www.rollingstone.com/news/story/10560431/five_against_the_world |title=Five Against the World |work=[[ローリング・ストーン]] |date=October 28, 1993 |accessdate=March 18, 2015}}</ref>、後に[[歌手|ボーカリスト]]のヴェダーとドラマーの[[デイヴ・クルーセン]]も加入。[[1991年]]に[[エピック・レコード]]と契約し、デビューアルバム『[[Ten (アルバム)|Ten]]』をリリースした。バンドは[[1990年代]]初頭の[[グランジ]]・ブームに乗り爆発的な人気を得、現在も活動を行っている。

==パール・ジャム以降の活動==
[[File:PearlJam-Oslo-2012.jpg|thumb|right|[[オスロ]]にて(2012年7月)]]
===ブラッド===
[[1992年]]、ゴッサードは[[シアトル]]のロックバンド、[[サッチェル]]のメンバーらと共に[[ブラッド (バンド)|ブラッド]]を結成し、翌[[1993年]]4月に[[エピック・レコード]]よりアルバム『Shame』でデビューを果たした。ブラッドは現在までに5枚のアルバムをリリースし、現在も活動中である。

===ソロ活動===
[[2001年]]に、[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)|SME]]よりアルバム『Bayleaf』でソロデビューを果たした。アルバムでは[[ボーカル]]や[[ギター]]の他に[[エレクトリックベース|ベースギター]]、[[ドラムセット|ドラムス]]や[[打楽器|パーカッション]]、[[ピアノ]]演奏なども一人で手がけた。[[ブラック・フランシス]]や[[ルーファス・ウェインライト]]、[[ローリング・ストーンズ]]などの影響を受けたメロウなサウンドを展開した<ref>{{cite web |url=http://www.billboard.com/billboard/specialreport/stonegossard/index.jsp |title=Gossard's 'Bayleaf' Falls From Pearl Jam Family Tree |accessdate=2015年03月18日 |author=Cohen, Jonathan |publisher=[[ビルボード]] |date=August 29, 2001 |archiveurl = http://web.archive.org/web/20010902231514/http://www.billboard.com/billboard/specialreport/stonegossard/index.jsp |archivedate=September 2, 2001}}</ref>。[[2008年]]9月には2ndソロアルバム『Moonlander』の楽曲がパール・ジャムの公式サイトで[[ダウンロード販売|ダウンロード]]可能となった。[[ハンク・ウィリアムズ]]の影響を受けた[[フォークソング|フォーク]]/[[カントリー・ミュージック|カントリー]]風の作風となった<ref>{{cite web| url=http://blog.wired.com/music/2008/10/pearl-jam-ax-ma.html |title=From Ticketmaster to Trees: An Interview With Pearl Jam Guitarist Stone Gossard |accessdate=2015年03月18日 |author=Thill, Scott |publisher=Wired News |date=October 17, 2008}}</ref>。

===レーベル、スタジオ・オーナーとして===
[[1994年]]、ブラッドのメンバーであるリーガン・ヘイガーと共にルースグルーヴ・レコードを設立。当初はSMEの傘下だったが[[1996年]]に[[インディーズ]]レーベルとなる。レーベル設立以来ゴッサードは[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]として多くの作品制作に携わり、また[[シアトル]]に自身の[[録音スタジオ|レコーディング・スタジオ]]であるStudio Lithoを竣工。[[サウンドガーデン]]、[[スクリーミング・トゥリーズ]]、[[デフトーンズ]]他多くのバンドがここでレコーディングを行った。ルースグルーヴは[[2000年]]に閉鎖したが<ref>Endino, Jack. [http://www.endino.com/archive/arch5-0.html "Endino Newsletter 5.0 (3/2000)"]. March 2000.</ref>、Studio Lithoは現在も利用可能である。

==脚注==
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==外部リンク==
*[http://www.allmusic.com/artist/stone-gossard-mn0000622886 オールミュージック内のプロフィール]

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{{パール・ジャム}}
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[[Category:1966年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:シアトル出身の人物]]
[[Category:アメリカ合衆国のミュージシャン]]
[[Category:アメリカ合衆国のギタリスト]]
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[[Category:パール・ジャムのメンバー]]
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[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]]

2016年1月24日 (日) 13:29時点における版

ストーン・ゴッサード
Stone Gossard
パール・ジャムのライヴにて(2007年8月)
基本情報
出生名 Stone Carpenter Gossard
生誕 (1966年07月20日) 1966年 7月20日(58歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州 シアトル
ジャンル オルタナティヴ・ロックハードロックグランジパンク・ロックヘヴィメタル
職業 ミュージシャンソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ギターボーカルベースピアノドラムスパーカッションチェロ
活動期間 1984年 -
レーベル モンキーレンチ、ホームステッドサブ・ポップ、スタードッグ、マーキュリーA&MエピックSME、レッドライン、J、C/Z、グリッターハウス、ライヴワイアー
共同作業者 パール・ジャムグリーン・リヴァーブラッドマザー・ラヴ・ボーンテンプル・オブ・ザ・ドッグ
著名使用楽器
フェンダー・ストラトキャスター
フェンダー・テレキャスター
ギブソン・レスポール

ストーン・カーペンター・ゴッサード(Stone Carpenter Gossard1966年 7月20日 - )は、アメリカ合衆国ミュージシャンシンガーソングライター音楽プロデューサーロック バンドパール・ジャムリズムギタリストとして最もよく知られ、それ以前にもグリーン・リヴァーマザー・ラヴ・ボーンで活動していた。他にもテンプル・オブ・ザ・ドッグブラッドでの活動で知られる。

パール・ジャムまでの活動

グリーン・リヴァー

1984年、後にパール・ジャムベーシストとなるジェフ・アメンマッドハニーのフロントマンとなるマーク・アームらと共にグリーン・リヴァーを結成する。翌1985年5月にホームステッド・レコードよりEP『Come on Down』でデビューし、1987年7月にサブ・ポップからの初リリースとなるEP『Dry as a Bone』をリリースした[1] 1988年6月に唯一のフルアルバム『Rehab Doll』をリリースするが同年にメンバー間の対立により解散。

マザー・ラヴ・ボーン

グリーン・リヴァー解散後にゴッサードはアメンと共にマザー・ラヴ・ボーンを結成。フロントマンはマルファンクションのメンバーだったアンドリュー・ウッドが務めた。結成からすぐにバンドはレコーディングとライヴを開始し、1989年始めにポリグラムと契約し、3月にEP『Shine』でデビュー。1stアルバムを1990年3月にリリース予定だったが、3月にウッドがヘロインオーバードーズにより死去し、バンドは解散。ウッドの死後4ヵ月後に唯一のアルバム『アップル』がリリースされた。

テンプル・オブ・ザ・ドッグ

マザー・ラヴ・ボーン解散後の同年、子供の頃からの幼馴染であり、後のパール・ジャムリードギタリストとなるマイク・マクレディを誘いテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成。このバンドはアンドリュー・ウッドを追悼するために結成され、同バンドにはグリーン・リヴァー時代からのバンドメイトであるジェフ・アメン、ウッドのルームメイトであったサウンドガーデンクリス・コーネルが加入。その後パール・ジャムのドラマーとなるマット・キャメロンも加入し、バンドはコーネルがウッドの生前に書いた楽曲やゴッサードとアメンが以前に作成したデモ曲のリハーサルを開始する[2] 。またオーディションによりパール・ジャムのフロントマンとなるエディ・ヴェダーも、コーネルとのデュエットやバックコーラス等で参加した。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をA&Mレコードよりリリース。

パール・ジャム

パール・ジャムは1990年にアメン、ゴッサード、マクレディで結成され[3] 、後にボーカリストのヴェダーとドラマーのデイヴ・クルーセンも加入。1991年エピック・レコードと契約し、デビューアルバム『Ten』をリリースした。バンドは1990年代初頭のグランジ・ブームに乗り爆発的な人気を得、現在も活動を行っている。

パール・ジャム以降の活動

オスロにて(2012年7月)

ブラッド

1992年、ゴッサードはシアトルのロックバンド、サッチェルのメンバーらと共にブラッドを結成し、翌1993年4月にエピック・レコードよりアルバム『Shame』でデビューを果たした。ブラッドは現在までに5枚のアルバムをリリースし、現在も活動中である。

ソロ活動

2001年に、SMEよりアルバム『Bayleaf』でソロデビューを果たした。アルバムではボーカルギターの他にベースギタードラムスパーカッションピアノ演奏なども一人で手がけた。ブラック・フランシスルーファス・ウェインライトローリング・ストーンズなどの影響を受けたメロウなサウンドを展開した[4] 2008年9月には2ndソロアルバム『Moonlander』の楽曲がパール・ジャムの公式サイトでダウンロード可能となった。ハンク・ウィリアムズの影響を受けたフォーク/カントリー風の作風となった[5]

レーベル、スタジオ・オーナーとして

1994年、ブラッドのメンバーであるリーガン・ヘイガーと共にルースグルーヴ・レコードを設立。当初はSMEの傘下だったが1996年インディーズレーベルとなる。レーベル設立以来ゴッサードはプロデューサーとして多くの作品制作に携わり、またシアトルに自身のレコーディング・スタジオであるStudio Lithoを竣工。サウンドガーデンスクリーミング・トゥリーズデフトーンズ他多くのバンドがここでレコーディングを行った。ルースグルーヴは2000年に閉鎖したが[6] 、Studio Lithoは現在も利用可能である。

脚注

  1. ^ "Sub Pop Records biography". Subpop.com. 2015年3月18日閲覧。
  2. ^ Alden, Grant. "Requiem for a Heavyweight." Guitar World. July 1997
  3. ^ Crowe, Cameron (October 28, 1993). "Five Against the World". ローリング・ストーン . March 18, 2015閲覧。
  4. ^ Cohen, Jonathan (August 29, 2001). "Gossard's 'Bayleaf' Falls From Pearl Jam Family Tree". ビルボード. September 2, 2001時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月18日閲覧。
  5. ^ Thill, Scott (October 17, 2008). "From Ticketmaster to Trees: An Interview With Pearl Jam Guitarist Stone Gossard". Wired News. 2015年3月18日閲覧。
  6. ^ Endino, Jack. "Endino Newsletter 5.0 (3/2000)". March 2000.

外部リンク

Eddie Vedder  · Jeff Ament  · Matt Cameron  · Mike McCready  · Stone Gossard
Dave Abbruzzese  ·
Dave Krusen  · Jack Irons  · Matt Chamberlain
スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション
シングル
ビデオ
フィルモグラフィ
関連人物・項目

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