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2014年10月6日 (月) 02:14時点における版

曖昧さ回避 この項目では、俳優の加藤剛について説明しています。京都大学教授を務めた社会学者加藤剛については「加藤剛 (東南アジア研究者)」をご覧ください。
画像提供依頼 :顔写真の画像提供をお願いします。(2013年7月)
かとう ごう
加藤 剛
加藤 剛
本名 加藤 剛(かとう たけし)
生年月日 (1938年02月04日) 1938年 2月4日(86歳)
出生地 日本の旗 日本 静岡県 榛原郡 白羽村
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 173cm
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1962年 -
活動内容 1962年:デビュー
1970年:『大岡越前
1973年:『剣客商売
1976年:『風と雲と虹と
2001年:紫綬褒章を受章
2008年:旭日小綬章を受章
配偶者 伊藤牧子
著名な家族 夏原諒(長男)・加藤頼(次男)
所属劇団 俳優座
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
大岡越前』 / 『人間の條件』
三匹の侍』 / 『剣客商売
風と雲と虹と』 / 『関ヶ原
獅子の時代』 / 『蒼き狼 成吉思汗の生涯
命のビザ』 / 『坂の上の雲
映画
上意討ち 拝領妻始末』 / 『天狗党
忍ぶ糸』 / 『影の車』 / 『黒の斜面
砂の器』 / 『天城越え』 / 『空海
次郎物語』 / 『ハラスのいた日々
草刈り十字軍』 / 『沈まぬ太陽
舟を編む
 
受賞
紀伊國屋演劇賞文化庁芸術祭賞芸術選奨文部大臣賞
紫綬褒章 (2001年)
旭日小綬章 (2008年)
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加藤 剛(かとう ごう、1938年昭和13年〉2月4日 - )は、日本俳優俳優座所属。身長173cm体重70kgみずがめ座 [1] [2] 。本名は加藤 剛(かとう たけし)。

2001年紫綬褒章受章。2008年旭日小綬章受章。

来歴

出生から学生時代まで

静岡県 榛原郡 白羽村(御前崎市)出身。父鉉一郎は小学校の校長 [3] 。姉四人と兄、弟がいる[4] 。加藤家は古くからの地主農地改革で大半を失ったとはいえ、自宅の敷地は八百近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があった[4] 。庭にはたくさん木があった[4] 。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった[5] 。いわゆる腕白少年ではなく、よく母の台所仕事を手伝った[5] 畑仕事もした[5] 。自作するだけの畑はあったから、サツマイモを交代で作った[5]

御前崎の遠州灘に続く茶畑のある風景の中で育った。地元を離れたのは中学三年の時である[6] 。戦争未亡人となり美容室を開いていた文京区の長姉宅に寄宿した[6]

父鉉一郎は加藤を医者にしたかった[7] 。俳優になろうとは思っていなくて「何か演劇映画に関係する仕事ができればいいかな」と思っていた[6] 小石川高校の時、柔道部に入ってたけど先輩が演劇もやっていて「お前も手伝え」と命じられ舞台に立ったのがきっかけだった[8]

早稲田大学文学部演劇科で学ぶ[6] 。学内の劇団、自由舞台で活躍する[6]

俳優として

大学四年の時、二十倍の難関を突破して俳優座養成所に入る[8]

途中テレビドラマ『人間の條件』出演のため1年「休学」。「人間の条件」では「ぼくという裸身の素材にこの男(主人公の梶)の一生を忠実に刻み込んでゆくこと」で演じきり、原作者より「テレビ映画の優れた主演者」と評された[9] 。後、13期生として修了。修了時の同級生には石立鉄男佐藤友美細川俊之横内正らがいる。27歳で正月公演で安部公房作『お前にも罪がある』で「男」を演じ、演出上傾いた舞台装置「男の部屋」上で2時間の連続演技を行う主役に抜擢[10] 。 長年に渡り一貫して演じ通した当たり役である『大岡越前』は1970年(昭和45年)から、『江戸を斬る』『水戸黄門』等とローテーションを組みながら、足掛け約30年間月曜8時を支え、TBSテレビの看板番組となった(詳しくは『大岡越前』参照)。『大岡越前最終回スペシャル版』では実子である夏原諒頼三四郎との共演を果たした。『大岡越前』で親友役を演じた竹脇無我とは私生活でも40年間以上親友関係にあり、2011年(平成23年)8月に竹脇が急死した際は、手書きの追悼文を寄せた[11]

『大岡越前』の終了後、『命のビザ』や『そして戦争が終わった』など現代史ドラマに進出。

人物

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出典検索?"加藤剛" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2013年7月)
  • 高校時代は柔道部
  • 映画評論家の田山力哉は、加藤は大岡越前さながらの真面目で真摯な人柄で、取材の際にジョークをぶつけると、その都度困ったような微笑で返されたと記している。
  • その端整な容姿に対してダウンタウン松本人志は、「世界三大美男子は、アラン・ドロン、加藤剛、ジョン・ローン」であると発言している。
  • たばこは吸わず、酒も飲まず、ギャンブルとは無縁である[12]
  • 戦争反対の一心で俳優を続けてきた(出典同上)。
  • 高校時代、実家でチェーホフの戯曲を読んで俳優を志した(出典同上)。

家族・親族

加藤家

(静岡県 御前崎市東京都)
加藤家は古くからの地主だった[4] 農業も営んでいた[4] 。家族九人が揃っていた頃は食事の時など壮観だった[4] 。茶の間の広い板の間で作男の人たちが箱膳でご飯を食べた[4]
厳格な明治の男ながら、家事を分担するリベラルさと進取の気性に富む人だった[3] 。「何をしてもいいが、自分の行動に責任を持て」と述べ、それ以外は放任主義だった[7] 1981年88歳で他界[7]
1937年生 -
1975年生 -
1980年生 -

出演作品

映画

*太字はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

テレビドラマ

主な舞台

  • 俳優座1965年正月公演 『お前にも罪がある』作:安部公房、演出:千田是也 - 主演・「男」 役
  • 次郎長が行く - 清水次郎長
  • コルチャック先生 - コルチャック先生
  • 伊能忠敬物語 - 伊能忠敬
  • 大岡越前〜卯の花が咲くとき〜 - 大岡忠相
  • 月光の海 ギタラ - 速水 役

朗読

CM

ディスコグラフィー

シングル

著書

  • 海と薔薇と猫と(1980年、創隆社)のち中公文庫
  • 歩く人 加藤剛 写真&エッセイ集(著:蔵原輝人、撮影:しゃっせただお、1985年、創隆社)
  • こんな美しい夜明け(2001年、岩波書店)のち現代文庫

脚注

  1. ^ "加藤剛 - プロフィール". YAHOO! 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2011年10月28日閲覧。
  2. ^ "加藤剛". 演技部-男性. 俳優座連名. 2011年10月28日閲覧。
  3. ^ a b c d 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』100頁
  4. ^ a b c d e f g h i j 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』101頁
  5. ^ a b c d 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』102頁
  6. ^ a b c d e 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』104頁
  7. ^ a b c d 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』106頁
  8. ^ a b 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』105頁
  9. ^ 夢の肩身「人間の条件」ほるぷ新聞1969年11月15日
  10. ^ 加藤剛『海と薔薇と猫と』1980年 創隆社・「野鴨まで」より
  11. ^ "竹脇無我さん盟友 加藤剛 直筆追悼文「天下の名医が...信じられない」". Sponichi Annex . (2011年8月23日). オリジナルの2014年5月18日時点におけるアーカイブ。. http://archive.today/AHrd0 2014年5月18日閲覧。 
  12. ^ 『「最後」の覚悟で舞台へ』生老病死の旅路 2014年6月9日 読売新聞夕刊9面

関連項目

外部リンク

1 - 10作
11 - 20作
21 - 30作
31 - 40作
41 - 50作
51 - 60作
61 - 70作
その他(NHK新大型時代劇)
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