「台南海軍航空隊」の版間の差分
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2014年8月9日 (土) 13:00時点における版
台南海軍航空隊 | |
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1942年6月ラエで撮影された下士官搭乗員たちの写真 3列目左端、西沢広義。2列目左から、太田敏夫・坂井三郎 | |
創設 | 1941年(昭和16年)10月1日 |
廃止 | 1942年(昭和17年)11月1日 |
編成地 | 台南州(台湾)台南基地 |
最終上級単位 | 第11航空艦隊第25航空戦隊 |
最終位置 | ラバウル |
特記事項 | 廃止後第251海軍航空隊と改称 |
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台南海軍航空隊(たいなんかいぐんこうくうたい)とは第二次世界大戦期の大日本帝国海軍の航空部隊の1つ。
1941年10月1日太平洋戦争開戦直前、第一航空隊戦闘機隊を母体に戦闘機航空隊として発足した。12月8日の開戦時には台湾から出撃しフィリピン航空撃滅戦に従事。戦線拡大に伴い、ボルネオ・ジャワ・ラバウル・東部ニューギニアと転戦し、太平洋戦争初期における基地航空部隊の中心として活躍した。
蘭印作戦が一段落した1942年3月、人員を大幅に入れ替えてラバウルに進出した。ラバウル進出以降は、東部ニューギニア・ガダルカナル島の2方面の作戦に当たり、当時の日本航空隊の中では最も会戦機会の多い部隊であった。西沢広義・坂井三郎・笹井醇一・太田敏夫・羽藤一志らの数多くのエースパイロットを輩出したが、その一方で損耗率も高く、多くの搭乗員を失った。
1942年11月1日、第251海軍航空隊として再編成され、同月上旬に戦力の消耗に伴い再建のため日本本土に帰還した。
開隊時主要幹部等
主力機種
関連項目
参考文献
- 秦郁彦・伊沢保穂著『日本海軍戦闘機隊 戦歴と航空隊史話』大日本絵画、2010年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
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