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== 開山能信上人 ==
== 開山能信上人 ==
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== 文化財 ==
== 文化財 ==

2014年3月1日 (土) 14:16時点における版

大須観音

観音堂
所在地 愛知県名古屋市中区大須2-21-47
位置 北緯35度9分35.13秒 東経136度53分58.23秒 / 北緯35.1597583度 東経136.8995083度 / 35.1597583; 136.8995083 座標: 北緯35度9分35.13秒 東経136度53分58.23秒 / 北緯35.1597583度 東経136.8995083度 / 35.1597583; 136.8995083
山号 北野山
宗派 真言宗智山派
寺格 別格本山
本尊 聖観音
創建年 元弘3年(1333年)
開基 能信
正式名 北野山 真福寺 寶生院
札所等 日本三大観音
東海三十六不動尊10番
尾張三十三観音1番
なごや七福神 布袋 霊場
大名古屋十二支主管寺
文化財 真福寺文庫
古事記 写本他(国宝)、絹本著色仏涅槃図他(重要文化財)〕
公式サイト 大須観音
法人番号 8180005000334 ウィキデータを編集
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大須観音(おおすかんのん)は、愛知県 名古屋市 中区 大須にある真言宗智山派別格本山本尊聖観音。寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」だが、一般には大須観音の名で知られる。日本三大観音の1つとも言われる観音 霊場である。なごや七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。

歴史

建久年間(1190年代)、尾張国 中島郡長庄大須に中島観音が発祥する[1] 元亨4年(1324年)に後醍醐天皇大須郷(現岐阜県 羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺が当寺の始まりである。

その後、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正茂によって現在地に移転する。 明治25年(1892年)3月21日には、境内にあった宝生座(芝居小屋)裏手からの出火(大須の大火)により本堂五重塔仁王門を焼失[2] 第二次世界大戦名古屋大空襲による2度目の焼失後、昭和45年(1970年)に本堂を再建し、現在に至る。

大須の地名はこの大須観音の門前町が発祥の地である。

開山能信上人

開山能信上人
正応4年(1291年)生まれ
正平10年10月25日(1355年11月29日)入寂。
字を浄水、性は桜井
能信
尊称 開山能信上人
生地 勢州鈴鹿郡関の郷井後
宗旨 新義真言宗
宗派 智山派
寺院 北野天満宮別当 真福寺(大須観音)
仏通禅師(大慧)、慈恩院の実清、安養寺の寂雲
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開山能信上人(以下、能信)はを能信、を浄水、は桜井にして、正応4年(1291年)に勢州鈴鹿郡関の郷井後(現・亀山市井尻町の付近[3] )で誕生する[4] 正和元年(1312年)、仏通禅師(大慧)の入寂に際して禅学と密教の書籍を全て譲り受ける[5] 文保2年(1318年)、慈恩院の実清阿闍梨に随って落飾する。嘉暦元年(1326年)、安養寺の寂雲に法求す[4] 元弘元年、元徳3年(1331年)、後醍醐天皇が能信に帰依する。元弘3年(1333年)、後醍醐天皇より北野天満宮別当職を拝し真福寺の開山をなす。正平10年10月25日(1355年 11月29日)、能信が入寂せられる[1]

文化財

真福寺文庫(大須文庫) - 大須観音にある文庫(図書館)。醍醐寺根来寺と共に日本三経蔵の1つ。あるいは仁和寺根来寺と共に本朝三文庫の1つと称される。15,000冊もの古典籍所蔵書誌学の世界では真福寺本大須本と言う。国宝の『古事記』は「真福寺本古事記」として知られ、同書の現存最古の写本である。

国宝

重要文化財

絵画
典籍・古文書

名古屋市指定文化財

  • 宝生院開山塔[6]
  • 宝生院中興開山印雅上人逆修塔[6]

その他

札所

所在地

交通手段

参考文献

脚注

  1. ^ a b 鈴木快聖・編 1954, p. 62.
  2. ^ ライブラリーから - 名古屋都市センター (PDF)
  3. ^ 亀山市教育委員会「糀屋垣内遺跡」『三重県埋蔵文化財報告100-3』4頁。1994年。三重県埋蔵文化センター。
  4. ^ a b 鈴木快聖・編 1954, p. 12.
  5. ^ 鈴木快聖・編 1954, p. 11.
  6. ^ a b "市指定文化財". 名古屋市 (2012年10月19日). 2013年5月25日閲覧。

外部リンク

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