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2005年12月23日 (金) 12:10時点における版

衆議院議員 二階俊博
生年月日 1939年2月17日
出身地 和歌山県御坊市
最終学歴 中央大学法学部
前職 議員秘書(遠藤三郎)
和歌山県議会議員
役職 元運輸大臣
(第二次小渕内閣・
第一次森内閣)
経済産業大臣
世襲の有無 世襲ではない
(父・二階俊太郎は稲原村長、
和歌山県議会議員)
選挙区 和歌山3区
当選回数 8回
所属党派 (自由民主党→)
(新生党→)
(新進党→)
(自由党→)
(保守党→)
(保守新党→)
自由民主党(二階グループ)
党の役職 元・総務局長
会館号室 衆・第二議員会館223号室
ウェブサイト http://www.nikai.jp/

二階俊博(にかい としひろ 1939年(昭和14年)2月17日 - )は、日本政治家。現在経済産業大臣で、衆議院議員

1939年(昭和14年)2月17日、和歌山県 御坊市に生まれる。父の二階俊太郎は稲原村長、和歌山県議会議員。

和歌山県立日高高等学校を経て1951年(昭和36年)中央大学 法学部を卒業し、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山に戻り、1975年(昭和50年)に和歌山県議会議員に立候補し、当選し2期務めた。1983年(昭和58年)和歌山2区(旧)から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補し、5万3611票を獲得し、2位当選(以後7期連続当選)する。

竹下派結成に当たっては、二階は、田中に対する配慮と師事していた遠藤三郎が元藤山愛一郎派に属しており、そのつながりで江崎真澄に近いことから創政会には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加する。

1990年(平成2年)海部俊樹内閣で運輸政務次官に就任する1992年(平成4年)竹下派分裂の際は、小沢一郎に同調し、羽田孜派(改革フォーラム21)に参加。1993年(平成5年)宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党、小沢らと共に新生党を結成に参加した。総選挙後、発足した細川 連立政権で運輸政務次官に就任する。

細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」の国土・交通政策担当などを務める。また、小沢側近として小沢党首選出に尽力した。1998年(平成10年)小沢に従い自由党に参加。国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年(平成11年)第二次小渕恵三改造内閣で運輸大臣北海道開発庁長官として入閣する。

自自連立に公明党が加わり、自自公連立が成立し、自由党の政策が実現されないと連立解消を主張する小沢と袂を分かち、野田毅らと保守党を結成し、自公保連立政権を作る。小渕内閣を引き継いだ森喜朗内閣で留任。

2000年(平成12年)7月保守党国会対策委員長に就任。自民党国対委員長の古賀誠、公明党国対委員長の草川昭三と強いパイプを作る。2001年(平成13年)保守党幹事長に就任。

2002年(平成14年)保守新党でも幹事長に就任するが、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。復党後、旧保守新党の議員らで二階グループを結成し会長となる。2004年(平成16年)9月、自民党の総務局長に就任。

2005年(平成17年)5月小泉首相より指名を受け、郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任。郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。その功績を買われて2005年10月に成立した第3次小泉改造内閣では経済産業大臣として入閣した。

まだ保守新党が存続していた時代、地元の田辺市新庄総合公園に日本国内の右派から政治姿勢が反日的だと指摘される江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」と言う文字と、2000年の二階も参加した日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講和を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、全国にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元の抵抗等もあって頓挫した。この逸話に代表されるように、二階は自民党内の親中派の有力議員の一人であることがいえる。

外部リンク

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