「横浜市立横浜商業高等学校」の版間の差分
2011年3月26日 (土) 02:47時点における版
横浜市立横浜商業高等学校 | |
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正門から | |
過去の名称 |
横浜商法学校 横浜商業学校 横浜市立商業学校 |
国公私立の別 | 公立学校(市立) |
設置者 | 横浜市 |
学区 |
商業科・県内全域 国際学科・横浜市内全域 (学区外入学限度30%) 別科・県内全域 |
設立年月日 | 1882年 3月20日 |
開校記念日 | 6月2日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 国際学科 |
別科 |
理容科 美容科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 14212D |
所在地 | 〒232-0006 |
神奈川県横浜市南区南太田2-30-1 | |
外部リンク |
公式サイト 別科公式サイト |
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横浜市立横浜商業高等学校(よこはましりつ よこはましょうぎょうこうとうがっこう)は神奈川県 横浜市 南区にある、全日制の商業科および国際学科と別科(理容科・美容科)を持つ市立 高等学校。
概要
校章および学生帽、野球部のユニフォームのマークからY校(ワイこう)という愛称で親しまれている。
現存する神奈川県内の公立高校としては、最も古い歴史を持つ[1] 。 校歌は、森鴎外(森林太郎)によって作詞された。
同窓会は進交会(しんこうかい)。同会は、Y校と横浜市立大学(市大)、および市大の前身である横浜市立横浜商業専門学校(Y専)の3校の卒業生を会員とする。
なお、定時制は横浜市立港高等学校、横浜市立横浜工業高等学校と発展的に統合される形で横浜市立横浜総合高等学校に移行、2005年(平成17年)3月をもって閉課程となった。
沿革
- 1882年 - 港の有力生糸商人・小野光景らにより横浜商法学校設立。
- 1888年 - 横浜商業学校と改称。
- 1905年 - 現在地に校舎が落成し、移転。
- 1917年 - 横浜市立商業学校と改称。
- 1924年 - 本科の上に2年制の専修科を置く。神中(神高)戦[2] が開始される。
- 1928年 - 専修科を母体に横浜市立横浜商業専門学校(通称Y専)を設置。
- 1948年 - 学制改革により横浜市立横浜商業高等学校となる。
- 1949年 - 横浜市立港高等学校を統合し、男女共学となる。商業科、普通科、家政科、別科として理容科が設置される。港高校の夜学部を港分校とした。
- 1950年 - 港分校は横浜市立港高等学校(定時制)として分離独立した(港高校の復活)。
- 1954年 - 普通科の募集を停止。港高校全日制(横浜市立南高等学校)が開校。
- 1963年 - 港高校に併設する形で、新たに全日制商業科としての港分校を設置。
- 1964年 - 港分校が分離独立し、横浜市立港商業高等学校として開校。
- 1982年 - 創立100周年記念式典挙行。
- 2003年 - 国際学科を設置。
- 2005年 - 定時制閉課。
- 2008年 - Y校祭来場者数10,207人を記録。
部活動
硬式野球部
野球部は1896年(明治29年)に創部された。創部のきっかけとなったのは同年5月23日と6月5日に行われた、旧制一高(現在の東京大学)野球部とYC&ACとの対戦試合である。この試合で旧制一高野球部はそれぞれ29対4、32対9で大勝するが、Y校関係者はこの試合の応援に駆けつけ、勝利した一高野球部員と懇意になり、応援のお礼として一高側はボールとバットを贈り、その後の野球部創立となった。創部時のコーチは一高投手の青井鉞男であった。
Y校野球部は創部以来、関東における高等中学校野球 - 高校野球の牽引役となった。1923年(大正12年)夏、神奈川県の学校として初めて甲子園(第9回全国中等学校優勝野球大会。現全国高等学校野球選手権大会)に出場した。以後、春(選抜高等学校野球大会)9回、夏7回、甲子園に出場している。1983年(昭和58年)の春と夏には、準優勝した。神奈川県の公立高校の夏の準優勝はこれ以降2010年現在未達成である。
横浜高等学校との試合は「YY決戦」と呼ばれ親しまれている。横浜スタジアムでの試合時には、横浜商のスコアボードのチーム名表記は「Y」となる(Y校は公立、横浜高校は私立である)。また、TVKテレビの高校野球中継でのチーム名表記も、90年代後半まで一貫して「Y」であった。
野球部の部員数は県下最大ではあるが、近年は初戦で敗退したり、復活したと思えば慶應に大敗を喫するなど、かつての強さに陰りが見え始めている。現在、夏の甲子園は1990年の第72回大会が最後の出場となっており、これが県下の公立高校硬式野球部にとっても最後となっている(県立高校にいたっては、1951年出場の神奈川県立希望ヶ丘高等学校が最後となっている)。 春の甲子園も、1997年の第69回大会以来出場していない。 ちなみに、1990年(平成2年)第72回大会の一回戦の対戦校は、Y校の校歌を作詞した森鴎外の生誕地である島根県 津和野町にある島根県立津和野高等学校(5-1でY校の勝利)であった。
その他の運動部
- 長い花園の高校ラグビーの歴史の中で、神奈川県の公立高校として出場したのは1947年の本校と、神奈川県立相模台工業高等学校の2校であり、1995年の相模台の出場以来2010年現在公立高校の花園出場はない。
- ボート部は現在も大岡川で練習を続けている。
交通
著名な関係者
出身者
OB間の結束が強い。実業系の高校であるが4年制大学を始めとした進学者の割合が比較的高い。
- 河野安通志 - 東京六大学野球・早稲田大学投手、野球殿堂
- 片岡建- 元プロ野球選手
- 岡本三男- 元プロ野球選手
- 小松原博喜 - 元プロ野球選手
- 林秀樹 - 元プロ野球選手
- 中島浩人 - 元プロ野球選手
- 宮城弘明 - 元プロ野球選手
- 三浦将明 - 元プロ野球選手
- 荒井幸雄 - 元プロ野球選手
- 河原隆一 - 元プロ野球選手
- 武藤孝司 - 元プロ野球選手
- 長坂健冶 - 元プロ野球選手
- 山口鉄也 - 読売ジャイアンツ選手(投手、2008年新人王受賞)
- 中村大伸 - 野球選手。外野手。1996年アトランタオリンピック野球チーム主将銀メダリスト。1994年社会人ベストナイン賞受賞。
- 大谷泰司 - 元プロ野球セントラル・リーグ審判。関西審判部に所属していた
- 須藤力- 元プロ野球選手
- 須田開代子 - プロボウラー
- 山本小鉄 - 元プロレスラー、レフェリー、解説者
- 鈴木忠治 - 元鈴木商店社長、元東信電気社長、鈴木竹雄の父、横浜商業学校卒
- 松信泰輔 - 元有隣堂社長
- 野並豊 - (株)崎陽軒代表取締役会長
- 田川誠一 - 元自治大臣
- 中村全宏 - 丸全昭和運輸(株)創業者、元社長・会長
- 宮澤健一 - 経済学者、元一橋大学長、同大名誉教授
- 左右田喜一郎 - 経済学者、帝国学士院賞、元左右田銀行頭取、元貴族院議員
- 古屋文雄 - Y校商業科教諭、野球部元監督(春夏全国準優勝に導いた名監督である)。後に校長も務めた。
- 森川信- 俳優
- 井上和彦 - 声優
- 服部桂吾- 俳優
- 森貴美子- モデル
- 宮内亮治 - 元ライブドア最高財務責任者
- 加藤龍昭 - 横浜 市議会議員
- 桂歌丸 ‐ 落語家 ※(注記)中退
- 滝沢涼子 - 女優
- 小島烏水 - 登山家
- 北野英明 - 漫画家
- 春風亭柳枝 - 落語家
- 朝戸鉄也 - 声優
- 青柳文司 - 会計学者
- 朝野公平 - サバイバル腕立て伏せ日本記録保持者(記録回数:1200回)
- 長尾寛征 - 北京オリンピックカヌースラロームカナディアンペア日本代表。
- 岡崎静夏 - オートバイ・ロードレース レーサー
教職員
脚注
- ^ 藩校時代を含めると神奈川県立小田原高等学校が最古である
- ^ 神奈川県立横浜第一中学校(神奈川県立希望ヶ丘高等学校)との体育対抗戦。1969年まで行われ、通算成績は本校の18勝24敗1分であった。
関連項目
- 横浜市立桜丘高等学校(男子校であったY校に対応する、実科女学校として設立)
- 神奈川県高等学校一覧
- 日本の商業に関する学科設置高等学校一覧
- 日本の英語科設置高等学校一覧
外部リンク
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